次世代ギター・ヒーローの呼び声も高い、ギタリストAssH。SNSでの活躍は早耳のギター・ファンには届いていたが、YOASOBIへのサポート参加をきっかけにその影響力は確固たるものとなったように思う。しかし、その注目度の高さに比べてメディアなどでの情報は少なく、実は謎の多いギタリストでもある。今回はそんな彼のプロフィールを埋めるべく、ミュージシャンとしてのキャリアやアーティストとしての姿勢など、ざっくばらんに話を聞いた。
取材/機材撮影=福崎敬太
アメリカに行った時に出会ったのが、ゴスペルだったんです。
VOXのインタビュー動画では、17歳でギターを始めたと言っていましたが、きっかけは何だったんですか?
アニメの『BECK』(著:ハロルド作石/テレビ東京で2004年より放送)の(南)竜介です。当時、僕は1人でプレハブに住んでいたんですよ。
え?
そうなんですよ、そこはラジカセとVOXのPathfinderっていうアンプ、あとはソファくらいしかない環境で。竜介も同じような境遇だし、カッコ良すぎて。
インタビュー動画で“インターネットがなかった”と言っていましたが、そういった環境だったんですか。では、音楽はどのように吸収していったのでしょう?
もともと子供の頃から家に音楽が溢れていたんですよね。3~4歳の時はKISSやガンズ(アンド・ローゼズ)がすごく嫌いで。曲名は覚えていないんですけど、ライブ・バージョンの歓声を聴いただけで、“またあの曲がくるじゃん……”って思ってましたね。でも聴いてはいたんです。その経験が大きくて、ギターを始めてからも“ここではこうやるよね”っていうのが体に入っているんですよね。そういう環境で育ったから、今みたいなギター・スタイルになったし、それが相当大きかったと思います。
では、そこからの練習は、体に染み付いている音楽と手元の答え合わせをしていったような感じなんですね。
そうです。あと、それこそインターネットがなかったしお金もなかったので、ブックオフの250円の欄から“名前は聞いたことがあるけど、そんなに知らないな”っていうようなCDをとりあえず買ってました。たまに終電を逃して漫画喫茶に入った時も、脳内レコーダーに保存するがごとくライブ映像をひたすらに観たりしていましたね。
寝るために入るわけじゃないんですね(笑)。KISSやガンズなどのハードロックがルーツにあるのはわかりましたが、AssHさんのソロ作品だと現代的なビート・メイクなども吸収されている印象です。ギターだけでなく全体の音楽的なルーツはほかにどういったものがあるんですか?
まず根本的に、音楽自体がすごく好きで。EDMのフェスに出させてもらった時からエレクトロが好きになったりすることもありましたし。その前は“バンドで同期? ダサいな”くらいの感覚もあったんですが、好きだなって思うようになったり。最近で言うとトラップとか、全然ギターは入っていないですけど聴いていますね。で、一時期ギターが入っている音楽を聴かなくなったことがあって、ピアノにめちゃくちゃ影響を受けんたんですよ。ダイナミクスから音像感まで、アンサンブルを全部自分でコントロールしているところにすごく影響されました。
どういった曲を聴いているんですか?
最近はドビュッシーやショパンが好きなんですよね。あの人たちはギターではないので直接的に影響されるわけじゃないんですけど、ダイナミクスの出し方やアーティキュレーションっていう部分はすごく勉強になります。それが自然とギターに反映されていく。あとはゴスペルからも影響を受けていますね。最初はロック一辺倒で、さらにその前はORANGE RANGEやRADWIMPS、マキシマム ザ ホルモンがすごく好きだったんですけど、そこからどんどん変わっていって。アメリカに行った時に、“ロックだけじゃ無理だ、コードをもっと勉強しないと”って思って出会ったのが、ゴスペルだったんです。で、あっちのチャーチで働いて学ぶこともあったし、日本に帰ってきてもそれを消化して色々と試していく。
僕はツェッペリンにはなれないし、やっぱりどう頑張ってもツェッペリンを弾くならジミー・ペイジが最強で。70年代を生きてきた背景があって80年代のロックはあの音になっていると思うし。だから逆に、2000年代を生きてきている僕が思ったことを、音楽というフィルターをとおして出す音っていうのは、彼らにはできない強みだなって思っていて。で、色々とやったらハイブリッドになっていって、結果的に今しか出せない音になっているなと思います。
渡米2日目に運良くライブしているんですよね。
アメリカへはギタリストとしての武者修行的な感じで行ったんですか?
そうですね。短期ではあったんですけど。
その経緯は?
僕はそれまでずっとブルース界隈にいて、22歳くらいでバンドを組んで日本全国回るようになったんです。で、ライブハウスで10代とかからやっている人にしたら、“こんなヤバいやつ、どこから出てきたの?”っていう感じだったらしくて、どこに行っても“うまいな、ヤバいな”って言われていたんです。でも当時の僕は今思うとすごく尖っていたので、1人のギタリストとしてカッコ良い音を出せないといけないって考えていたから、“同じレベルにいるヤツを簡単にカッコ良いって言えるほうがヤバいだろう”くらいに思っていて。で、自分がいる場所はここじゃないなって感じたんです。
その時にギターを作ってくれたアキさん(勝見明大/Aki’s Guitar Shop)と5年ぶりくらいに再会して。彼はその間にロスに行って、メタリカやイーグルス、レッチリのギターを直したりしていたんですけど、たまたまFacebookで見つけたんです。で、彼とギターを弾いていたら、“それだけ弾けるんならアメリカに行ったほうが良いよ”って言われて。なるほど、と。
いつかはアメリカに行きたいと思っていたけど、あくまでブルースを軸にギターを弾いていたのに、リアルなブルースを本当に観たことがないし、実際に体感したことがない。でも、“何やっているの?”って聞かれたら、“ブルース”って答える。それが意味わからないって思うところもあって。で、今はバンドをやっているけど、行かない理由はないなって。家族や友人に相談してもみんな“良いじゃん”しか言わないから、行かない理由が本当に見当たらなくなったんです。で、バンドをやめて。その1ヵ月後にはもうロサンゼルスに向かって飛んでましたね。
行動力が……。それで実際にアメリカに行ってみて、ギターに対する姿勢はどのように変わりましたか?
180度変わりましたね。ギターと服だけ持って、英語もしゃべれない状態でアメリカに行ったんです。で、2日目に運良くライブしているんですよね。メンバーもTOTOのキーボードとか、ベイビーフェイスのドラム、ニック・ウェストのコーラスとか、周りにいっぱいいて。それもアキさんに紹介してもらったベーシストのリンさん(Yuki “Lin” Hayashi)のおかげで。ロスに来たしせっかく紹介してもらったので会いに行ったら、そういう人たちと一緒にバンドをやっていたのがリンさんだったんですよ。で、ライブに遊びに行ったら、“AssH、出ちゃいなよ”って。“AssH、出ちゃいますか”と(笑)。
すごい話ですね……(笑)。
そう、何の曲をやるかも知らないまま、ラウド・アズ・ファンクっていうリンさんのバンドの中に入って弾かせてもらって。結局あとで聞いたら、スヌープ・ドッグのカバーをめちゃくちゃファンクでやっていたんですよね。で、その時にバカウケだったんです。ソロも弾きまくったり、できることを全部出したら、“Oh my god, AssH!!”みたいになって(笑)。その時に“アジア人でもやれるんだ”って思ったんです。もちろん差別はまだあると思うし、僕の知らない大変なこともたくさんあると思うけど、音楽っていうフィールドだったらやれるんだって。自分がやっていることは間違っていなかったんだなっていうことをすごく感じたんですよね。めちゃめちゃ運が良かったなって思います。
運もあると思いますが、そこでバカウケさせる技術があることがすごいと思います。
できることは全部しましたから(笑)。で、そこでつながりが増えて、初仕事は2週間目かな。それがチャーチだったんです。本来出る予定だった人が事故にあってしまって、それが僕が2日目にライブをしたバンドの正規のギタリストだったんです。彼は僕のギター・プレイを見ていたから、“お前ならいけるよ”って。
で、“3曲だけ覚えれば良い”って言われたんですけど、その日も僕は夜中の3時に帰っていて、4時間後の朝7時に仕事が始まるって言うんです。“用意できてなさすぎるから怖いな”とも思いましたけど、そこで逃げたら何のためにアメリカに来たかわからないし、あとで仕事くれって言ってももらえる保証はない。それに普通はアメリカで仕事をできるようになるまで2~3年かかるらしいけど、2週間で仕事が取れるって自信にもなるし、これはありがたいことだなって。それで、やるって決めて、寝ずに3曲覚えて行ったんです。そしたらその3曲はやらなくて(笑)。
悲しすぎる……(笑)。
朝7時から昼の2時まで知らない曲をずっと……だから頭はずっとフル回転で。で、“すごく良いよ”って言ってくれたけど、自分の中の課題が多すぎて、それを素直に受け入れられなかった。コードのアプローチも違ければ、ペンタだけじゃ通じないこともあるし。でも、ちょっと方向を変えるだけでペンタだけでいけることもあるんですよね。そういう身のこなし方の重要さも体感して。僕以外は何百人と黒人しかいないっていう環境も日本では体験できないし、めっちゃ勉強になりました。
Aki’s Guitar Shop
AssH Signature ST
AssHのギタリスト人生でターニング・ポイントに必ず登場する、アキさんこと勝見明大。彼がビルダーを務めるAki’s Guitar ShopがAssHのために製作した不動のメイン器が、この超極太ネックのSTタイプだ。当初はリア・ピックアップにセイモア・ダンカンのJBが搭載されていたが、一度シングルコイルのAY(アビゲイル・イバラ)ピックアップに変更。しかし元来のロック好きからハムバッカー愛を忘れられず、現在のセイモア・ダンカン59 Classicへと換装した。
コントロールは5ウェイ・セレクターにボリューム&トーン、キル・スイッチという構成。トーン・ノブにはリア・ピックアップ用のコイルタップ機能が付いているがこちらは使わない。
また、入手当初は現在とまったく違う音だったそうで、極太ネックということもあり、使いこなせるようになるまで3年かかったという。最近になってようやく絶大の信頼を寄せられるまで、“鳴る”ようになったそうだ。
AYASEとはもともとバンド時代の知り合いで、
2回対バンしたことがあったんです。
日本に戻ってからYOASOBIに参加するまでの流れは?
そこからソロで初めて「ALONE」っていう曲をリリースさせてもらって、サポート業もスタートさせたんですけど、正直その頃は仕事は全然なかったですね。年に2回くらいで、たまたまメジャーで良い仕事がもらえたので、キャリアにはなったけど、生活ができるようになる状況ではなくて。ただ、僕は23歳でバイトをやめているんですよ。バイトに行く時間が無駄だなって思って、それだったらお金がなくても良いから自分の夢に向かって制作をしたりしたほうが良いと思ったんです。
背水の陣ですね。
で、ひたすらに制作するっていう生活を2年くらい続けていたら、おそらく精神的な理由で、手が動かなくなってしまって。その時、“ギタリストとして受け入れてくれているファンの方がいるけど、ギターを弾けなくなったら僕に価値はないんだな”って思ってヤバいと感じまして。そこでDTMを極めようと思ったんです。朝か夜かっていう感覚もなく1日3~4曲作って、めっちゃ勉強してマスタリングまで覚えましたね。そしたら手が治ってまた動くようになったので、有賀(教平)さんやこーじゅんくんとか、2週間日替わりで色んな人に会って勉強させてもらって。
それと同時にSNSに動画をあげ始めたんです。で、そのSNSがきっかけで知ってくれた人がすごく多くて、2020年に毎月リリースをさせてもらえることになったんです。それと合わせて、その頃に海外でもライブをするようになったんですけど、すぐにコロナ禍になってしまって……。でも、コロナ禍になる前に“毎月リリースします”って発表しちゃっていたので、ちょうど良かった(笑)。
(笑)。
それで、2020年の夏くらいにAYASEから連絡がきたんですよね。AYASEとはもともとバンド時代の知り合いで、2回対バンしたことがあったんです。でも、当時は彼も違う名前で活動していたので、“すごいフォロワーがいる人から連絡がきたな”って思って(笑)。ただ、僕自身は“自分は絶対にいける”っていう自信はあったので、そういう人から声かけてもらってラッキーだなって思っていたんですよ。そしたら“覚えてますか?”って。“いや、知らないよ。こんな有名な人”と(笑)。で、“いや、〇〇ですよ。今電話しても良いですか?”って言われて彼だとわかって、そこで色々と話を聞いて“ギターでサポートをお願いしたい”って言われたところから始まりましたね。で、その数ヵ月後にリハーサルとかが始まって、2021年2月に初ライブ、4月に2ndライブ、今年の年末に武道館という。
怒涛ですね……。
本当に2021年は運命の年じゃないですけど、YOASOBIも含め、色んな人のおかげで、多くの人が僕を知ってくれたので、嬉しく思っています。
2022年はよりソロ・アーティストのほうが強くなると思います。
YOASOBIのギター・パートについて、AYASEさんとのやりとりではどういった言葉が交わされるんですか?
そもそも原曲にはギターがない曲が多かったり、僕が弾いてない打ち込みのギターもあるんですよね。で、ライブ・バージョンは、打ち込みだからこそできるギターのサウンドもあるので、そういったところをどうするかは最初すごく悩みました。どっちかというと僕は王道なギターを弾くスタイルなので。ただ、意外と全任せで細かいところの指定はなくて、“一旦好きなように弾いて下さい”っていう感じがほとんどでしたね。で、僕が思うように弾いたものを削るほうが早いって(笑)。でも、基本的にはそのまま通ることが多くて、それがライブ・バージョンとしてある感じですね。で、レコーディングで参加しているものはシンプルに難しいことは一切しない。でもライブは難しい(笑)。「群青」とかマジで難しいんですよ。ネオソウルっぽいのを入れたりもしているので。
そういったサポート・ワークとソロ・アーティストとしてのバランスは、AssHさんの中でどういう感覚ですか?
2021年は本当に忙しすぎてペースを掴むのがやっと、という感じだったんですけど、やっぱり基本はギタリスト/アーティストが軸にありますね。で、2022年はよりソロ・アーティストのほうが強くなると思います。実は今年も20曲くらい作ったんです。全部完パケているものもあるんですけど、出せていない。でも逆に、自分のギタリスト人生としてのキャリアやアプローチがこの1年でも変わってきているので、それで良かったと思っています。1年前に作ったデモをこの間たまたま見つけて聴いていたら、“今だったらこうするな”って感じる部分もあれば、“忘れてた。こういうアプローチがカッコ良いよな”みたいなところがあったりするので、来年はソロとしての表現に力を入れてやっていきたいなって考えていますね。
1stソロ作『Re:born』についても聞かせて下さい。
初めてAssHとして世に出るアルバムだったので、すごく実験的でした。でもね、これは2週間くらいで作ったんです。とりあえずすぐ出そうって。もともとシングルを先に出して、2作目は3曲入りかシングルで出すかっていう流れだったのが、“けっこう良いからもっと曲出しちゃえば?”っていう話になって。急遽作った感じなんです。
これは打ち込みとかもすべてAssHさんが行なっているんですか?
基本的に全部僕です。で、アレンジが入っている曲と入っていない曲があって、「Like A Star」や「ALONE」はiamSHUMくん(vo,DJ/AssHとのグループ=Plus81を11月に結成)にやってもらって。ほかは全部アレンジまで僕がやっていて、ミックスとマスタリングは彼にやってもらってます。
曲作りはどのように行ないましたか?
最近は弾き語りでボイスメモに録って、それをパソコンに書き起こしていくような感じです。でも『Re:born』を作った当時は、カッコ良いと思うビートやリフみたいに、パーツごとに考えていましたね。そこから膨らませていく感じ。まぁ当時は時間しかなかったので(笑)。
(笑)。ところでギタリストとしての印象が強いですが、アルバムだと歌ってもいますよね。ソロ・アーティストとしてはボーカル&ギターという意識が軸にあるんでしょうか?
歌モノがカッコ良いと思っていて。歌があればコードが2つとか4つでも良いんですよね。あと、僕は別にギターはうまくないので、本気のインストだけでやるには市場が狭すぎるし、勝てないと思ったんです。そうなった時に、歌うのがいいなって。本当は自分の声がすごく嫌いなのであまり歌いたくないんですけど、歌の素晴らしさも知っているし自分でも歌いたいっていう気持ちはあったんです。そういう意味でも『Re:born』は挑戦的だったと思いますね。まず“やってみな”っていうアドバイスをいただいて、当時歌ってみて。でもやっぱり基本はギタリストなので、リフがなくなったりギター・ソロがなくなったりとかは嫌なんです。現代の音楽だとちょっと遠のいているじゃないですか。それを取り戻したい、っていうのはずっと考えています。
最後に1つ聞かせて下さい。AssHさんが弾くギターには王道の香りを色濃く感じるんですが、そういう“ソロが縁遠くなってきた”現代の音楽へのアプローチはどのように考えているのでしょうか?
一貫しているのは、僕のギターは“言葉”であるっていうこと。で、僕の人生経験とかいろんなものがあって今の“言葉”になっているので、もちろん80年代の人には僕の“言葉”は出せないんですよね。2000年代を生きてきて、ヒップホップやトラップ、ファンク、ソウルとか色んなものが混ざって、でも軸にあるのはロックでありペンタ。で、プラスアルファでちょっとジャジィにしたり、色々と弾いている。現代の音楽へのアプローチとかではなく、僕の音が間違いなく“イマ”の音楽なんです。簡単なフレーズだとしても、昔の人にも現代のほかの人にも僕の音は出せない。で、僕の音は今後も変わっていくと思うんですよね。それは歪み量がどうこうとか機材が変わるからとか、そういう話じゃなくて、僕が持っているシグネチャー・トーンの変化。そういった部分が僕の強みなので、ぜひ聴いてほしいですね。
AssH
あっしゅ◎ソロ活動以外にも、YOASOBIを始めとしたサポート・ワークやiamSHUMとのユニット=Plus81、SNSやYouTubeでの発信など、多様な形態で活躍の場を広げている。ソロ最新作『2020』が配信中。
作品データ
「Give me a call – Single」
Plus81
CLMX Records/配信/2021年11月18日リリース
―Guitarist―
AssH