ジョージ・ハリスンが自らサイケデリックなペイントを施したストラトキャスターがある。“ロッキー”と名づけられたこの1本は、ビートルズの伝説的なアルバムで数多くの名演を彩ってきた。ジョージとストラトキャスターを巡るエピソードから、“ロッキー”の誕生までの物語を紹介しよう。
文=細川真平 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
求めても手に入らない、憧れのストラトキャスター
若きジョージ・ハリスンは、ストラトキャスターに憧れていた。
世界初のストラト・ヒーローと言ってもいいバディ・ホリー(1936〜59年)からの影響だ。しかし、当時のイギリスでストラトを手に入れることは難しかった。輸入代理店がないために、フェンダー製品はほとんどイギリス国内に入ってこない。
そんな中、1959年頃のことだと思われるが、ジョージはある楽器店でストラトが売られているのを発見。絶対にそれを手に入れたいと思ったのだが、タッチの差でほかの客に購入されてしまった。
その客はローリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズのギタリストで、当時そのバンドのドラマーはリンゴ・スター。なんと縁とは不思議なものだろうか。ちなみに、ジョージはこのハリケーンズに入りたがっていたのだが、若過ぎて入れてもらえなかったというエピソードもある。
とにかく、この時にそのストラトを入手し損ねたことはジョージにとって大きなショックだったようで、“本当にがっかりした。一生の後悔だ”とまで語っている。
ジョン・レノンとお揃いのソニック・ブルー
その後、ザ・ビートルズが大スターになってアメリカを席巻した1964年頃、実はフェンダー社が、マネージャーであるブライアン・エプスタインに対して、ビートルズにフェンダー製品を使用してもらうための働きかけを行なっていた。しかし、理由はわからないが(条件やタイミングなどが想像できる)、この働きかけは失敗に終わり、この時もジョージは(本人は知らなかっただろうが)ストラトを手に入れる機会を逃してしまった。
そして1965年。『Help!』のレコーディング中に、彼とジョン・レノンはローディーのマル・エヴァンスを楽器店に向かわせ、2本のストラトキャスターを買ってこさせた。このあたりの詳細な事情は今ひとつわからないが、たまたまストラトが店頭に出ているという情報を得たのだろうか。新品のフェンダー製品は、まだそれほどイギリスにおいて流通していなかったはずだし、実際にマルが購入してきたストラトも中古の61年製だった。
いずれにしても、こうしてジョージは初めて、ジョンとお揃いでソニック・ブルー・フィニッシュのストラトキャスターを入手したのだった。
年式どおりに、スラブ貼りのローズウッド指板で、グリーン・ガード(白・黒・白のセルロイド製3プライ・ピックガードで、真ん中の黒が透けて緑がかって見える)が採用されたモデルだ。ヘッド裏には“GRIMWOODS; THE MUSIC PEOPLE; MAIDSTONE AND WHITSTABLE”と、購入した楽器店のデカールが貼られており(後年までは貼りっぱなしだった)、シリアル・ナンバーは“83840”。
このギターは、『Help!』の「Ticket to Ride」の一部や、「You’re Going to Lose That Girl」のソロで使用され、この年の秋からレコーディングが始まった『Rubber Soul』(1965年)の「Nowhere Man」や、『Revolver』(1966年)などで愛用されていく。
とある夜に衝動的に施したサイケ・ペイント
1966年にコンサート活動をやめたビートルズは、1967年に世界初の多元衛星中継テレビ番組『OUR WORLD』に出演、「All You Need Is Love」を演奏。この時、ソニック・ブルーだったジョージのストラトは、全面的にサイケ・ペインティングが施されていた。
その少し前に『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のレコーディングが終了しており、それ以降、この番組放送までの間にペイントされているため、“『OUR WORLD』出演を記念して”と言われることもあるが、特にそういう意図はなかったようだ。
ただ、同じ年に、先にエリック・クラプトンがギブソンSGをサイケ・ペイントしているので、その影響があったことは間違いない。ただし、エリックのSGのペインティングはデザイン集団“ザ・フール”が手掛けているが、ジョージは自ら行なっている。
ザ・フールは『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケット内側デザインや、『OUR WORLD』出演時のビートルズの衣装デザインのほか、ジョージのミニ・クーパー(車)のペインティングも手掛けているぐらいだから、彼らに依頼する手もあったかと思うが、ジョージはやや衝動的にペインティングをしたという面もあったようだ。
彼はこう語っている。
1967年頃、みんな色んなものを(サイケに)ペイントし始めていた。それで、僕もやってみようと思って、塗料を用意して、ある晩遅くにやったんだ。
ヘッドの男性のイラストの緑色の部分には、当時の彼の妻で、その後、三角関係を経てエリックと再婚することになるパティ・ボイドのマニキュアが使われた(これだけでもロック史を彩る1つのエピソードになり得るだろう)。
そして彼はこのギターに、“ロッキー”という愛称をつけた。
なぜこの愛称になったのか、また、このイラストの男がロッキーなのかなどは不明だ。また、一部にはこのイラストはエリックを描いたものだという説もあるが、それも真偽のほどは定かではない(さすがに考え過ぎのような気もする)。
『OUR WORLD』の次には、同年のTV映画『Magical Mystery Tour』の中の「I Am the Walrus」で“ロッキー”の姿を見ることができる。
ここまでのペイントは一晩に行なわれたものだが、その後1969年12月までのどこかのタイミングで、ボディに“Bebopalula.”(ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスの曲名「Be-Bop-A-Lula」のこと)、ピックガードに描かれた赤いサークルの中に“GO CAT GO.”、そしてヘッドに“Rocky”と文字要素が追加された。
これらは、1969年12月1日にジョージがエリックとともにデラニー&ボニーのデンマーク・コペンハーゲン公演に参加した時の写真で初めて確認することができる。
このギターが最後に公式録音で使用されたのは、1995年に発表された(レコーディングは1994年)ビートルズの新曲、「Free as a Bird」でのことだった。
ここでは、ジョージが入手してから30年の時を経た“ロッキー”の素晴らしいサウンドが聴ける。
ジョージの、誰にも真似のできないジェントルなスライド・プレイとともに。