ソロ活動10周年を迎えた中田裕二。前作『DOUBLE STANDARD』をリリースした2020年4月といえば、新型コロナ・ウィルスによる緊急事態宣言が出された頃。ライブの予定なども中止をやむなくされ、中田は音源制作に入る。そして、前作から約半年という驚異的なスパンで最新作『PORTAS』を生み出した。ギターはトラックの背景に馴染むような音で、シンプルながら深い味わいを楽曲にもたらしている。今回は作品の話を中心に、これまでの活動を振り返りつつ、中田とギターとの今の距離感を測っていきたい。
取材=尾藤雅哉 撮影=西槇太一
自分が飽きっぽいのが
逆に功を奏した。
ソロ10周年でもありますが、椿屋四重奏の結成から20年、言わばミュージシャンとしては成人式ですよね。
なるほど! その発想はなかったですね。
音楽を続けるということ自体がすごく難しいことだと思います。改めてバンドとソロでそれぞれ10年、振り返っていかがですか?
あっという間でした。特にこの10年は一瞬だったな。いろいろありましたけど、基本的には“音楽を作って歌う”っていうミュージシャンとして当たり前のことをくり返してきただけで。ただ、5年続けるのも難しければ、それで食べていくということはなお難しい。そんな中で20年間やり続けられているというのは本当にありがたいと思うし、何よりそれをより痛感させられる2020年だったと感じていますね。
でも、ただのくり返しだとルーティンになってしまうけど、中田君の場合はバンドがソロになったり、アコギ1本になったりカバーをやったりと、常に変化がありましたよね。
ある程度勝ち取ったところへの安住というか、“前作が評判よかったから、次もその路線で”みたいなことを一瞬たりとも思っちゃダメなんですよね。常に次の表現の素材を探し回る日々だったのはすごく良かったと思う。それは自分が飽きっぽいっていうのが逆に功を奏したというか。
次に進む方向が見えないことはなかった?
たまに“あぁ、もうネタが切れた”ってぼんやり思う時があるんですけど、そういう時は必ず何かきっかけがあって、次の題材が見つかるんですよ。それはだいたい人がアイディアを運んできてくれるんです。あと、俺はたぶんまだ成功していないんですよね。これは良い意味でなんですけど、ヒットを出したり武道館を埋めたりって、そういうわかりやすい成功例の中には当てはまってないのに続けられている。少し前までは、目に見える、先輩方が踏んできたそういった成功の場に憧れがあったんですけど、途中からなくなったんです(笑)。“たぶん俺はほかに立つべき場所があるんだろうな”って、冷静にわかるようになって。そういうことを30代後半からいろいろ気づくようになったんです。
ライブの形も変わってきましたし、大きい舞台でやることが成功という感じでもなくなってきましたよね。
ライブに関してはこのコロナ禍だと、オンラインでのやり方も考えるようになりましたね。拍手も歓声もないから、たぶん“歌番組感覚でやるのが正解”だと思っていて。MCで自分で笑ったり、そうやって自己解決していくライブ。それが強い人がこれからは重宝されるかなと思います。ただ、俺のライブはコロナ以前からずっとそういう色が強くて、あまり歓声とかも……“歓声挫折”しているので(笑)。ロック・バンドをやっていると、何かとオーディエンス依存みたいのがあるんですよ。反応を求めて、その快感でこっちもテンションが上がっていく。椿屋時代に何度もそこで挫折しているんですよ(笑)。
いやいや、けっこうオラオラなMCもしていたじゃないですか(笑)。
オラオラでいった時こそ反応がない。
ハハハ(笑)。
だからひとり語りみたいな念仏スタイルになったんですよ(笑)。なので、オンライン・ライブでもあんまり落ち込まなかったですね。
今伝わらない音楽は、
もう伝わらない。
今作の制作はいつ頃から始まったんですか?
『DOUBLE STANDARD』(2020年4月15日発売)がリリースされてすぐですね。予定していたライブが全部飛んじゃって“やることねぇ”ってなったので、音源を作るのは好きだから“どんどん作っちゃおう”と(笑)。それにコロナ禍で思うことがたくさんあったので、それを曲にしたいと思って。俺にできることはそれくらいしかないし。
表現者だからこそ、今っていう感じがありますよね。
そう、今伝わらない音楽は、もう伝わらない。きっと今までは時代の空気に甘んじているものも多かったと思うんです。で、それが通用しなくなってきているというか、今は浮かれた感じに説得力はない。幸か不幸か、俺は一回も浮かれることはなかったから、そこには自信がありますよね(笑)。
(笑)。2020年はみんな一番自分と対話しただろうし、本当に必要なものに気づいた感じはありますよね。
それでめちゃくちゃ落ち込んじゃった人とかもすごくいるじゃないですか。すごく難しい時代だなと思いますけど、最終的には自分とどう向き合うかになると思いますね。
曲はスムーズにできていったんですか?
ものすごくスムーズでした。ほぼ音源の状態のデモを30曲くらい、毎日毎日作っていましたよ。“はいできた~、次の曲~”みたいな(笑)。
歌詞は書かずに曲だけ次々に?
いや、歌詞も書きながらですよ。
え?! 職業作家のペースじゃないですか(笑)。
誰にも求められてない作家(笑)。でも、誰かがこれで喜んでくれればいいなって。30代後半から、自分の中で目指すところが、京都や東京・日本橋の老舗なんですよ。それの音楽版ができたらずっと続けられると思っていて。常に味の追求をしていって、“あそこにいけば間違いなく美味しいおまんじゅうが食べられる”存在というか(笑)。さっき言ったことと同じなんですが、音楽を続けるためにはどうするかというと、同じ場所に甘んじてしまうと続けられないから、ずっと追い求めるしかない。さだまさしさんが“この世界は下りのエスカレーターを常に登っている状態”みたいなことを言っていたんです。気を抜くとすぐ下にいってしまうから、けっこう走らないと上に登れないんですよね。
インタビューの前に以前の曲もいろいろ聴いていたんですけど、ドラマチックなのは変わらないけど、以前は入りのインパクトが強いなと感じました。
昔はギターの弾き方もエフェクターの使い方もそれしかわからなかったし、とにかくどうやってパンチのある音を作るか、だったんですよね。ロック・バンドはそうじゃないとライブでも掴まないといけないし、どれだけインパクトを与えるか。今、「群青」(椿屋四重奏の楽曲)とかを聴いてもむちゃくちゃカッコ良いですよ。すごい音だなと思って。
今は勝負のベクトルが以前と違ってきているんですかね?
だんだん寝技になってきましたね(笑)。
前は特徴的な3連のフレーズがありましたけど、今回はそれもあまりないですし。
あんまり手グセで弾かなくなった感じがあるんですよね。もっと新しいアプローチはないかって考えながらやっているかな。自分で前のと被ってしまうと興醒めしちゃうんですよ。常に進化したいっていうか。
その進化を一番聴きたがっているのが自分自身なんですね。
そうですね。想像の範疇のものを作るということが申し訳ないと思ってしまうんです。