キャリアの初期には様々なギブソン・ギターを愛用したエリック・クラプトンだが、ソロ転向後の彼のそばには常にストラトキャスターがあった。今回はエリックがストラトキャスターを相棒として選んだ理由や、その切っても切り離せない関係性について深く考えてみたい。
文=細川真平 Photo by Ian Gavan/Getty Images
なぜ初期にストラトキャスターを選ばなかったのか
エリック・クラプトンは、ブルース・ブレイカーズ時代(1965〜66年)にギブソン・レス・ポール・スタンダードを使用し、ロック・ギター・サウンドの基礎を作り上げた。そして、その後のクリーム(1966〜68年)では、レス・ポール・スタンダード/カスタム以外にも、SGやES-335やファイアーバードなどのギブソン製ギターを使い、ギブソン・サウンドこそがブリティッシュ・ブルース・ロック・サウンドであると、広く認知させていくことになった。
しかし、ブラインド・フェイス(1969年)が解散したあと、エリックはストラトキャスターを使い始め、1970年以降はストラトキャスターこそが彼の最も信頼のおける相棒になっていく。
つまり、キャリアを大きくいくつかに分けた場合の、第1期全盛期とも言うべき期間には、彼はストラトを使用していないのだ。
ヤードバーズ時代(1963〜65年)にはテレキャスターを使っていたエリックだったが、どうやらストラトキャスターに対しては、ややネガティブな先入観を持っていたようだ。このことについて、本人はこう語っている。
ストラトキャスターのネックが、僕にはいつも非常に狭く見えて、チョーキングをするだけのスペースがないのではないかと思っていたんだ。実際には僕の間違いだったけどね。
それと、それまで見たことのあるストラトはどれもローズウッド指板のものでね。その前にローズウッド指板のギターを使ったこともあったけれど……理由は聞かないでほしいんだが、僕はローズウッド指板に嫌悪感を持っていたんだ。
だから、メイプル・(ワンピース)ネック指板のストラトを手にした時には、その弾きやすさに驚いたよ。
──エリック・クラプトン
ここで語られているメイプル・ワンピース・ネック指板のストラトというのが、のちに“ブラウニー”と呼ばれることになる、56年製のサンバースト・フィニッシュのストラトだと思われる。彼はこれを、1967年5月に購入している。1970年にリリースされた、記念すべきソロ第1作『Eric Clapton』(邦題:エリック・クラプトン・ソロ)のジャケットに写っているのがこのギターだ。
そして、デレク・アンド・ザ・ドミノス名義で同年(ソロ・アルバムのあと)にリリースした『Layla and Other Assorted Love Songs』(邦題:いとしのレイラ)の裏ジャケットにも、ドミノに埋もれるようにして写っている。
エリック・クラプトンがストラトキャスターを選んだ理由
この時期に彼がストラトを使い始めた理由は何だったのだろうか?
もちろん前述のとおり、メイプル・ワンピース・ネック指板の弾きやすさに気づいたという点はある。しかし、“ブラウニー”の購入は1967年5月なので、実際にメインとして使い始めるまでには2年以上が経過している(その間、ブラインド・フェイス期には、テレキャスターに“ブラウニー”のネックを移植して使用していたこともある)。
そう考えると、もう1つの理由はサウンドの面だろう。
“ギブソン・サウンドこそがブリティッシュ・ブルース・ロック・サウンドであると、広く認知させた”と先ほど書いたが、1969年の夏以降エリックは、デラニー&ボニーの影響で米南部のスワンプ・ロックに、まさに沼(スワンプ)にはまるように傾倒していく。そこには、ブリティッシュ・ブルース・ロックの分厚くハードなサウンドは必要なかったし、彼自身そういうサウンドには飽き飽きしていた。
そんな彼に、ストラトの軽快にして枯れたサウンドはぴったりだったのだろう。
さらにもう1つの理由として、操作性の面もあるかもしれない。
ソロ・アルバム『Eric Clapton』の当初のタイトル案が『Eric Clapton Sings』だったことからもわかるように、本作から彼は本格的に歌い始めた。歌いながら弾くとなると、ギブソン系よりもコントロール部分がシンプルなストラトのほうが、手元でのボリューム調整やそれに伴う歪み量のコントロールがしやすいのは間違いなく、これもストラトにスイッチした大きな理由だったのではないだろうか。
そして、これはストラトを使うことでの副次的な要素だったのかもしれないが、彼はストラトのハーフ・トーン(リア・ピックアップとセンターPU、センターPUとフロントPUの間にセレクター・ノブを止めて出すことのできる独特のサウンド)にも強く惹かれている。
ちなみに、ハーフ・トーンがエリックの発明(発見?)のように言われることがあるが、それは間違いで、古くはバディ・ガイ(彼が最古の使用者ではないだろうか?)が、その後はジミ・ヘンドリックスも使っており、エリックはその影響下で、“せっかくストラトを使うならハーフ・トーンも使おう”というところから使い始めたのではないかと思われる。
『Eric Clapton』でもハーフ・トーンらしき音は聴けるが、エリック自身は『Layla and Other Assorted Love Songs』での「Bell Bottom Blues」を代表例に挙げ、“このセンターとリアのハーフ・トーンが大好きだ”と語っている。
このようないくつかの要因が重なって、エリックはストラトをメインに使うようになっていったのだと思う。
また、ブラインド・フェイスでの盟友、スティーヴ・ウィンウッドがストラトを使っていたことの影響があったことも、本人が認めている。
それ以外にも、これは本人の発言などでの確証は得られていないが、バディ・ガイからの影響も考えられる。クリームの結成は、1965年にバディがトリオ形態でロンドンで行なったギグをエリックが観て感銘を受けたところから始まった。その時もバディはストラトを使っていただろうから、“バディのようにストラトを弾きたい”という思いはそれ以降エリックの中に必ずあったはずだ。また、バディがメイプル・ワンピース・ネックのストラトを愛用していたことも、エリックがその仕様のストラトを手に取った理由ではないだろうか?
そして、ジミ・ヘンドリックスとの関係性についても語ることはできるだろう。ジミが生きている間は、エリックは気後れしてストラトを使えなかったという話もあったりはするのだが、実際にはエリックは1969年中にはストラトを使用し始めているので(『Eric Clapton』のレコーディングは1969年11月から始まっている)、その噂には根も葉もない。ただ、エリックがジミを意識しなかったことなど一度もないはずなので、ジミを通してストラトへの思いが徐々に募っていったということは十分にあり得る。
名器ブラッキーと、シグネチャー・ストラトの誕生
“ブラウニー”の次にエリックのメインのストラトになったのが“ブラッキー”だ。いくつかの中古ストラトのパーツを寄せ集めて自ら組んだギターで、ボディ・フィニッシュがブラックだったことからこう呼ばれる。
もとになったストラト数本を彼は1970年に購入しているが、“ブラッキー”が公に初お目見えしたのは1973年1月13日、ロンドンのレインボー・シアターで行なわれた“レインボー・コンサート”の1stショーでのことだ。
その後、ライブでもレコーディングでもメインで使用され、アルバム『Slowhand』(1977年)、『Backless』(1978年)、ライブ・アルバム『Just One Night』(邦題:ジャスト・ワン・ナイト〜エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館〜)ではジャケットにも登場している。
“ブラッキー”時代は12年に及ぶが、1985年にフェンダーがエリックのシグネチャー・ストラトのプロトタイプ開発に着手。レース・センサー・ゴールド・ピックアップと、ミッド・ブースト回路、高域を強調するTBXコントロールを搭載していることが特徴だった。
エリックはこれを、レコーディング中だったアルバム『August』(1986年)で使用、また同年6月20日、ウェンブリー・アリーナでの“プリンス・トラスト・コンサート”では、トリノ・レッド・フィニッシュの個体が公に初登場した。
そして、いくつかの仕様の見直しを経て、1988年に“エリック・クラプトン・ストラトキャスター”として発売されることに。
“エリック・クラプトン・ストラトキャスター”は今に至るまでに、ピックアップを含めて仕様変更はいくつかあったものの、ミッド・ブースト回路の搭載は変わらない。これこそがこのモデルの最大の肝と言っていいだろう。
“ブラウニー”と“ブラッキー”は、細かい違いはあれど、基本的には50年代仕様のオーソドックスなストラトだった。1970年代のエリックは、スワンプ・ロックから、よりゆったりとしたレイド・バックと呼ばれる音楽性へと進んでいったが、そうした音楽性において“ブラウニー”と“ブラッキー”のクリーンなサウンドは最適解だった。
しかし、1985年の『Behind the Sun』から一気にモダンな音楽性へと変貌すると同時に、サウンドももっと歪み量の多い、ダイナミックでパワフルなものが必要になってきた。そうした中で、ミッド・ブーストはエリックにとって福音となったのだろう。
もちろん、足下やラックのエフェクターで解決することもできたわけだが、そうではなく、手元で完結させたいという気持ちが彼にはあった(今でもある)のだと思う。また当然、他のギターに持ち替えるという選択肢もあるわけだが、そうしないのはやはり、歌いながら弾くことを前提としてのストラトの操作性の部分が大きいだろう。
だがそれ以上に、彼がストラトキャスターを使い続けるのは、ストラトというギターを愛しているからだと思うし、結局はこの部分が一番重要かもしれない。そしてそれは、いつまでも変わらないもののように見える。