フェンダーにとって初のアーティスト・モデルとなったのが、エリック・クラプトン・ストラトキャスターである。1988年の発売から現在まで愛され続けるこのモデルの開発は、当然フェンダーにとっても一大プロジェクトだった。完成にいたるまでのドラマをお届けしよう。
文=細川真平 Photo by Gie Knaeps/Getty Images
フェンダーの歴史的な決断
“ブラッキー”のネックは長年の酷使のために痛み、これ以上リフレットすることが不可能な状態にまでなっていたために、1985年の“Behined the Sunツアー”を最後に引退を余儀なくされた。
エリックにとって、今後メインのギターをどうするかは、悩みの種だっただろう。
“ブラッキー”の影武者的なサブ・ギターはあったし、“ブラウニー”もあることはあったが、彼の音楽性自体がその頃にはモダンなものに変貌を遂げており、1950年代のビンテージなギター・トーンだけではカバーし切れない状況もあった。
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さて、当時のフェンダーでは、副社長で開発最高責任者であるダン・スミスが中心となって様々な改革や新製品開発、新たなアプローチを押し進めていた。彼の在任期間を“ダン・スミス期”と呼ぶほど、それはフェンダーの歴史にとって大きな革新期だった。
このダンが抱いたアイディアが、メジャーなアーティストのシグネチャー・モデルを開発して販売する、というものだった。
そこで、1983年にフェンダー担当者がまずアプローチしたのは、デヴィッド・ギルモアとジェフ・ベック。デヴィッドにはサンプルとして83年製の’57ビンテージ・リイシュー・ストラト(Vintage ’57 Stratocaster)を渡したが、彼はそれに満足してしまい、それ以上シグネチャー・モデル開発の話は進まなかった。逆にジェフは乗り気になり、開発を進めることに合意した(それは今に続く“ジェフ・ベック・ストラトキャスター”として花開くことになるが、発売はエリックのモデルよりもあとになった)。
次にフェンダーが交渉を始めたのがエリックだった。
エリック・クラプトンとの交渉
1983年9月20日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行なわれた、ジェフやジミー・ペイジも出演した“アームズ・コンサート”の際に、フェンダーの欧州担当者はこの件について正式な面会をする約束をエリック側と取りつける。
その後、12月5日、6日にロサンゼルスのザ・フォーラムで行なわれた同コンサートの時に、ストラトキャスターのデザインに大きく貢献した重鎮、フレディー・タヴァレスと、のちにフェンダー・カスタム・ショップ立ち上げることになるビルダー、ジョン・ペイジがエリックと面会し、’57ビンテージ・リイシュー・ストラトも手渡している。
ちなみに、先述のとおりデヴィッド・ギルモアにもビンテージ・リイシュー・ストラトを渡しているが、今では当たり前のこの“ビンテージ・シリーズ”は、1982年に市場に投入された、当時のフェンダーとしては画期的なものだった。フェンダーの歴史の中で、過去のモデルを再生産するということは初めての試みだったし、他メーカーによるコピー・モデルによってこれ以上市場を奪われることを阻止するという意図もあった。
次に、副社長ダン自らがエリックと面会する。1985年4月5日、ダラスでのことだった。そこでダンがオファーしたのは、“「ブラッキー」のクローンを作らせてほしい”ということと、“エリックのカスタム・ギターを作らせてほしい”という2点。
しかし、“ブラッキー”のクローン製作についてはエリックが断り(冒頭で触れたように、“ブラッキー”にはそっくりの見た目をした優秀なサブ・ギターがあったからかもしれないし、音楽性の点から違うものを必要としていたからかもしれない)、カスタム・ギターを作る方向で合意した。
エリック・クラプトンからの要望にベストを尽くすフェンダー
当初エリックから出てきた要望としては、1930年代のマーティン・ギターの、かなりエッジの立ったVシェイプのネックが好きで、それを採用してほしいということだった。フェンダーはそれを受け、マーティン・タイプの尖ったVシェイプと、一応“ブラッキー”タイプのソフトなVシェイプ・ネックもいくつか製作することにした。
またエリックは、“マーシャル・アンプのマスター・ボリュームがギター本体に欲しい”とフェンダーに伝えた。1983年に発売されたダン・スミス期ならではのモデル、“エリート・ストラトキャスター”に搭載されていたミッド・ブースト・コントロール“MDX”は、その要望に応えるのにぴったりだった。“エリート・ストラト”を試したエリックはこの機構を非常に気に入り、彼のシグネチャー・モデルに採用されることが決まった。
また、高域を強調することが出来る“TBX Tone Control”も“エリート・ストラト”において初登場した機構だったが、これも搭載されることに。ピックアップは、他社の開発ではあるが、フェンダーがそれ以降力を入れていくことになるレース・センサー(そのラインナップの中でも、最も50年代のストラト・サウンドに近い“ゴールド”)を採用。
こうした特徴を持つプロトタイプが3本、1986年4月〜5月にかけて行なわれたアルバム『August』のレコーディング中にエリックに届けられる。フィニッシュは、トリノ・レッド、ピューター(チャコール・グレー)、キャンディ・アップル・グリーン。この3本はネック形状が微妙に違っており、トリノ・レッドの個体が最もマーティン的なエッジの立ったVシェイプだった。
エリックはこれらを非常に気に入り、たぶん中でも最も気に入ったトリノ・レッドの個体を使用してソロも何曲か録り直している。その後、このトリノ・レッドの個体は、6月20日のウェンブリー・アリーナでの“プリンス・トラスト・コンサート”で公に初登場。
しかしその後、エリックのネックの好みがソフトVに移っていったことから、“ブラッキー”のソフトVに最も近いネックを持つピューターの個体が多く使われるようになっていった。
このようなエリックの好みの変化も反映したうえで、時間をかけて細部の見直しが行なわれた。特にネック形状、中でも指板のエッジを丸めることは重要なポイントとなったし、フレット数もこのプロセスの中で22本に変更された。
ついに完成した“エリック・クラプトン・ストラトキャスター”
こうして、1987年のNAMMショーで発表されていながらも、1988年になってやっと“エリック・クラプトン・ストラトキャスター”は発売された。
おもな仕様、特徴は下記のとおり。
- ボディ材:アルダー
- フィニッシュ:ポリウレタン
- ネック材:メイプル
- ネック形状:ソフトV
- 指板:メイプル・ワンピース
- トラス・ロッド:バイフレックス・トラス・ロッド(ヘッド・アジャスト方式)
- 指板ラジアス:9.5インチ
- フレット数:22本
- ピックアップ:レース・センサー・ゴールド×3
- ピックアップ・セレクター:5ポジション
- コントロール:MDX Mid-Boost Control/TBX Tone Control搭載
※シンクロナイズド・トレモロ・ユニットはブロックド
当初、カラーはトリノ・レッド、ピューター、キャンディ・アップル・グリーンだけだったが、1991年になってブラックが登場。しかもヘッドストックのエリックのサインの下に、”BLACKIE”と加えられた。
これは今でもブラック・フィニッシュのモデルのみそうなっているが、単にBLACKIEではなく、”BLACKIE”とクォーテーション・マーク(”)がついていることに注目したい。オリジナルの“ブラッキー”ではなく、その引用だということを明記しているところにフェンダーの良心のようなものを感じるのだが、いかがだろうか?
また、1994年にはオリンピック・ホワイト・フィニッシュも追加された。
2001年になると、レース・センサー・ピックアップからフェンダー・ビンテージ・ノイズレスへと変更になる。このピックアップは、1998年に発売された“アメリカン・デラックス・ストラトキャスター”に初搭載されたものだ。このあたりには、1996年にレース・センサーを開発したドン・レース側とフェンダーとの契約関係が終了し、フェンダーが自社でノイズレスなピックアップの開発を推し進めることになったという理由がある。
2004年にはフェンダー・カスタムショップから“エリック・クラプトン・シグネチャー・ストラトキャスター”が登場。スペック的には従来の“エリック・クラプトン・ストラトキャスター”と大きな違いはないが、材のクオリティや作りはグレード・アップしている。また、エリックのサインはヘッドストックの裏に入れらており、ブラック・フィニッシュ・モデルの場合には、この下に”BLACKIE”と入る(その他のカラー・バリエーションは、メルセデス・ブルーとミッドナイト・ブルー)。
こうして見てきたように、“ブラッキー”引退と相前後して立ち上がったエリックのシグネチャー・ストラトの開発は、フェンダーにとって一大事業だった。そしてそれは、最大の成功事例となったと言っていいだろう。