毎週、1人のブルース・ギタリストに焦点を当てて深掘りしていく新連載『ブルース・ギター・ヒーローズ』。アルバート・キング特集の第3回は、彼が“ルーシー”と名付け愛用した、歴代のメイン・ギターたちにフォーカス。
文=久保木靖 Photo by Frans Schellekens/Redferns
アルバートが使い続けたことで知名度を上げていったFlying V
アルバート・キングの愛器と言えば、Flying Vフォルムのモデルで決まりだ。
最初に手にしたのはオリジナルのギブソン製Flying V(1959年製)で、キャリアが軌道に乗り始めたセントルイス時代の1960年頃に入手。B.B.キングの愛器“ルシール”に対抗するかのように“ルーシー”と名づけた。その“ルーシー”がどこから来たのかというと、それは『アイ・ラブ・ルーシー』や『ザ・ルーシー・ショー』といった人気テレビ番組を持っていたコメディアンで女優のルシル・ボールにちなんだとのこと。
コリーナ材をボディとネックに使ったナチュラル・フィニッシュのモデル(右利き用)は、Stax時代の名演の大部分で使われている。そのギターが盗まれてしまった際、アルバートはギブソンから1966年製のFlying Vを贈られており、名盤『Born Under A Bad Sign』(1967年)ではこちらが使われたようだ。
左右対称でネックの上部を遮るものがなく、フレットの上限まで押さえられるFlying Vは、アルバートにとって理想的なギターであった。右利き用に張られた弦をそのままひっくり返して弾くアルバートにとって、実際のところ、ハイ・ポジションのダウン・チョーキングはこのフォルムでないとほぼ不可能なのだ(一般的なフォルムだとボディが邪魔になる)。そして、B.Bキングの「Lucille」同様に、アルバートは「(I Love)Lucy」(1968年)という曲をリリースしている。
ちなみに、Flying Vの販売が始まったのは1958年。大成功を収めたフェンダーのストラトキャスターに対抗するために生まれたが、当初はその奇抜なフォルムが受け入れられず、1959年には一旦生産が中止される。2年間で生産された数量はわずか98本であったという(1967年に復刻開始)。Flying Vはアルバートが使い続けたことでその知名度を上げていった。
ギブソン製Flying Vを初代ルーシーとするなら、名製作家ダン・アールワインの申し出で作られたFlying Vは二代目ルーシーと言えよう。ダンはアルバートのギブソン製を採寸するところから始め、樹齢125年のブラック・ウォルナットをセンター2ピースで使用し、ローズウッドのピックガードを配するなど、ゴージャスな作りの左利き用のFlying Vを完成させた。ヘッドに“LUCY”、指板に“ALBERT KING”の文字がインレイされたそのモデルは1972年からアルバートのメイン・ギターとして君臨する。
三代目は、1980年にブラッドリー・プロコポウという製作家によって作られた白のボディに黒のバインディングを備えたモデル。
四代目と五代目は共に1987年にZZトップのビリー・ギボンズからプレゼントされたもので、1つはボーリン・ギターのジョン・ボーリンの手による鮮やかなピンク色のモデル。もう1つは、のちにピックアップ・マエストロとして知られるトム・ホームズが製作したフレイム・メイプルを使ったアーチトップ・ボディのもの。
晩年までよくステージで使われたのは、ダン・アールワイン製とブラッドリー・プロコポウ製ものだった。