スティーヴィー・レイ・ヴォーンを語るうえではずせない、伝説のストラト“レニー”にまつわるヒストリー スティーヴィー・レイ・ヴォーンを語るうえではずせない、伝説のストラト“レニー”にまつわるヒストリー

スティーヴィー・レイ・ヴォーンを語るうえではずせない、伝説のストラト“レニー”にまつわるヒストリー

伝説のインスト・ナンバー「Lenny」を生んだ、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの1965年製ストラトキャスター、通称“レニー”。質屋で出会ったそのストラトは、妻レニーと友人たちからスティーヴィーの誕生日にプレゼントされたものだった。そのヒストリーを紹介しよう。

文=細川真平 Photo by Robert Knight Archive/Redferns

テキサスの質屋で出会い惚れ込んだ“レニー”

スティーヴィー・レイ・ヴォーンの愛器といえば“No.1”が真っ先に思い浮かぶが、“レニー”もまたファンにとっては忘れることのできない1本。スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルのデビュー・アルバム『Texas Flood』(1983年)に収録された美しいインストゥルメンタル・ナンバー、「Lenny」を奏でた1965年製ストラトキャスターだ。

スティーヴィーは1980年に活動拠点だった米テキサス州オースティンのポーン・ショップ(質屋)でこのストラトを見つけ、いたく気に入った。しかし、彼にはこれを買うだけのお金がない。そこで、妻レニー(レニーは愛称、本名はLenora)と友人たちはお金を出し合ってこのギターを買い、1980年10月3日のスティーヴィーの誕生日に、彼が出演していたクラブ、スティームボート・スプリングズでプレゼントした。

スティーヴィー・レイ・ヴォーン (Photo by Ebet Roberts/Redferns)

ただし、まずスティーヴィーのローディーだったバイロン・バーがそのギターを買い、それをレニーが譲り受けてスティーヴィーにプレゼント、レニーがバイロンに支払うべき代金を友人たちが援助したが、結局足りない分はスティーヴィーが現金と革ジャケットで清算した、という説もある。

ちなみに、その時のこのギターの価格は350ドル。当時の為替レートで換算すると8万円ぐらいだ。物価自体が今とはまったく違うが、それにしても安いし、にもかかわらず、デビュー3年前のスティーヴィーにとって、これは払えない額だったのだ。彼はネック・ジョイント・プレートに自ら、“Stevie Ray Vaughan ’80”と彫り込んだが、これはこのギターを手に入れた嬉しさの表われだったのかもしれない。

レニーのネック・ジョイント・プレート。(Photo by Robert Knight Archive/Redferns)
レニーのネック・ジョイント・プレート。(Photo by Robert Knight Archive/Redferns)

このストラトは、もとはサンバースト・フィニッシュだが、前のオーナーによって茶色がかったサテン・ナチュラル・カラーにリフィニッシュされ、ブリッジ下のあたりに1900年代初頭のものと思われるマンドリンのピックガードが貼られていた。そういうところにもスティーヴィーは惹かれたのだろう。

こうして彼のものになったこのストラトは、妻の名にちなんで“レニー”という愛称で呼ばれることになった。彼はこのギターで「Lenny」を作り、この曲を演奏する時には必ずこれを使った。

ビリー・ギボンズから譲り受けたシャーベル製のメイプル1ピース・ネック

入手した翌年、スティーヴィーは、メイプル・ネック+ローズウッド指板を、メイプル1ピース・ネックに付け替えている。このネックは、ZZトップのギタリスト、ビリー・ギボンズからもらったもの。ヘッドにフェンダーのデカールが貼られてはいるが、シャーベル製だ。それが明らかになったのは、このギターのレプリカが2007年にフェンダーカスタムショップで製作された時のこと。指揮を取ったのは、元シャーベルのマイク・エルドレッド。彼は“レニー”を分解してみて、そのネックが、自分がシャーベル時代にビリー・ギボンズのために作ったものだとわかって驚いたという。ネックのジョイント部に、ビリーからのオーダーだとわかるように鉛筆で彼の名前を書いたのがそのまま残っていたからだ。

また同じ時期に、サドルはMighty Mite製の、いわゆる“トイレット・シート”型のものに交換された。1985年4月にはMLBのヒューストン・アストロズに招かれて、テキサス州ヒューストンのアストロドームでアメリカ国歌を演奏した際に、ミッキー・マントル(野球殿堂入りしている元ニューヨーク・ヤンキースの選手)からボディ裏にサインをもらっている。その後、1986年頃、ピックガードに“SRV”のレタリング・ステッカーが貼られた。

スティーヴィー・レイ・ヴォーン

このようにスティーヴィーと“レニー”の蜜月関係は続いたが、妻のレニーとは1980年代半ば頃には不仲に。1年以上の別居生活のあと、1987年になってスティーヴィーのほうから離婚の申し出をしたがレニーは同意せず、逆にスティーヴィーを訴え、裁判は1988年6月まで続くことになった。結局、スティーヴィーがかなりの額の慰謝料を払うことで離婚が成立。

一方でスティーヴィーは“レニー”を愛用し続け、スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル名義では生前最後のアルバムとなった『In Step』(1989年)でも、「Lenny」に並ぶインスト・バラードの傑作「Riviera Paradise」でその音を聴くことができる。

1990年のスティーヴィーの悲劇の事故死のあとは、兄のジミーによって大事に保管されていたが、2004年にエリック・クラプトン主催の“クロスロード・ギター・オークション”に出品され、エリックの“ブラッキー”に次ぐ62万3,500ドルという高価格でギター・センターが落札。もとは350ドルで、それですら当時のスティーヴィーは払えなかったというのに……。

最後に、元妻のレニーが2018年にメキシコで亡くなったこともお伝えしておきたい。64歳だった。