2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第13回
1970年代のビンテージ・ギター・シーン2
日本のギター市場において、ビンテージの人気が高まってきたのは80年代に入ってからのことで、70年代はまだビンテージ市場が確立されていなかった。しかし、70年代前半から日本でも現行モデルとは別にオールドや中古ギターをアメリカから輸入・販売していたショップがいくつか存在した。
最も古いところでは、神戸のマックス・ギター・ギャラリーや新宿のミュージックランドKEY、お茶の水や渋谷のイシバシ楽器、大阪の梅田ナカイ楽器、関西楽器などは中古ギターやビンテージを積極的に扱い、マニアックなギター・ユーザーに注目されていた。それに続いて79年に吉祥寺にオープンしたヴィンテージ・ギターズ、同じく79年に広島にオープンした2ステップなどは、早くからビンテージにこだわったショップとしてその名を残している。
80年代初頭になるとイケベ楽器、黒澤楽器店など一部の大手楽器店もビンテージ・ギターを積極的に扱うようになり、80年代後半にはナンシーやハイパー・ギターズ、ギター・ギャラリーなどビンテージ・ギターの専門店が相次いでオープンし、ビンテージ市場はにわかに活性化していった。
日本で“ビンテージ・ギター”という言い方が定着したのは80年代半ば頃からだが、これは単に“古いギター”というより、“ビンテージ・ワインのように成熟した価値のあるギター”という意味合いも兼ねて、“ビンテージ”と呼ぶようになった。
76年に発刊されたプレイヤー別冊『楽器の本 1976』は、そんな70年代半ばにおけるアメリカのビンテージ・ギター・シーンを取材・紹介しており、当時としては最も早くその魅力を日本に紹介した書籍だった。また、本誌『Player』では、70年代から人気ギタリストのインタビューを通じて、ビンテージ・ギターの魅力やギタリストとの関わり合いについて数多く紹介しており、ビンテージ市場を先取りした特集記事なども少なくなかった。
それでは、次回から70年代半ばの『Player』について紹介する。私が入社した1975年当時、『Player』はまだマイナーな音楽雑誌で書店では扱っておらず、楽器店の店頭で細々と販売されていた……。





プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。