ブラッド・ギルス(ナイト・レンジャー)『Guitar Magazine Laidback vol.17』インタビューのこぼれ話。オジー・オズボーン・バンドへの加入秘話、フェルナンデスのギターについても! ブラッド・ギルス(ナイト・レンジャー)『Guitar Magazine Laidback vol.17』インタビューのこぼれ話。オジー・オズボーン・バンドへの加入秘話、フェルナンデスのギターについても!

ブラッド・ギルス(ナイト・レンジャー)『Guitar Magazine Laidback vol.17』インタビューのこぼれ話。
オジー・オズボーン・バンドへの加入秘話、フェルナンデスのギターについても!

好評発売中の『Guitar Magazine Laidback vol.17』にてインタビューが掲載されているナイト・レンジャーのブラッド・ギルス。本誌では『70年代世界最強ギター・タッグ決定リーグ戦』に絡めたツイン・ギターの話を収録しているが、それ以外にオジー・オズボーン・バンドへの加入時の話、フェルナンデスのギターの話なども聞けたので、特別に本記事で紹介する。

取材:文=守屋智博

ナイト・レンジャー
ナイト・レンジャー

オジー・バンドの初演は
人生で最も怖い1日だったね(笑)。

ギターを始めたのはかなり早い時期だったそうですね。

オレがほかのキッズたちに勝っていた点は、8歳の時にギターを手に入れたことだ。当時はビートルズが世の中に出てきた頃で、オレは最初リンゴ・スターになりたかったんだよ。両親がドラム・セットを買ってくれて部屋でガンガン叩いていたら、“もうやめてくれ!”って言われてね(笑)。代わりにギターを買ってくれたんだ。

それはどんなギターでしたか?

KayのVanguard 2っていうモデルだったね。オレには7つ歳上の兄貴がいるんだけど、彼は照明関係の仕事をやっていて、ミラー・ボールやスモーク・マシンを作ったりもしていたよ。兄貴は60年代後半のグレイトなレコードをたくさん持っていたから、彼が仕事へ行っている間、オレは兄貴の部屋に行ってレコードに合わせて何度も何度もギターをプレイしていた。

そのうち機械に強い兄貴が通販で買った部品を使ってディストーション・ユニットを作ってくれて、それをフェンダーのChampみたいな小さいアンプにつないで練習しするようになったんだ。そうして、“あぁ、ジミ・ヘンドリックスはこうやってやるんだな”と感嘆しながら覚えていき、ジミー・ペイジのグレイトなリズムのパートを覚えていったね。さらにジェフ・ベックからはフィーリングやソウルを学んだのさ。

改めて、オジー・オズボーンのバンドに誘われたキッカケを教えて下さい。

オレは小学校の頃から自分のバンドで活動していて、14歳で高校に入学するとすぐに17歳の学年のやつらとバンドを組んだ。オレはオジーの曲をほとんど知らなかったけど、ランディ・ローズ時代の曲は誰もが知っていたよ。彼が小型飛行機の事故で亡くなった時は本当にショッキングだったね。というのも、オレの父はパイロットで747型機を操縦していて、オフの日にセスナ機に乗せてくれたことが度々あったからだ。だからあのニュースは本当に身近に感じたよ。

で、ランディが亡くなった1週間後くらいにオレたちがオジーの曲をナイトクラブで演奏していると、プレストン・スロールという男が来て、“オジーのギグに参加できるかもしれないぞ”と話しかけてきたんだ。オレは“あぁ、ハイハイ”くらいに思っていたけど、彼は“これは本当の話だ。兄貴に伝えてみるよ”と言っていた。彼の兄はパット・トラヴァースのバンドでギターを弾いていたパット・スロールでね。その後、プレストンがパットに電話して、トラヴァースのバンドでドラムを叩いていたトミー・アルドリッジにもその話が伝わり、トミーからオジーのマネージャーであるシャロンに伝わっていったらしい。

そうだったんですか。

ある朝早くに、“ハロー、ブラッドリー。私はシャロン・アーデン(シャロンの旧姓)、オジーのマネージャーです。ニューヨークに今すぐ飛んできてもらいたいの”と、シャロンから電話がかかってきた。前の晩にライブをして寝ていたオレは苛立ちながら、“誰がお前の話に付き合えるか!  切るぞ、寝る!”って返したんだが、“待ちなさい! 私はシャロンよ。オジーを電話に出しますからね”と言われてね。だから、“よし、オジーを電話に出してみろ!”って言い返してやった(笑)。

(笑)。

すると、“ハロー、ブラッドリー。オレがオジーだよ”って、本当にオジーが電話に出たんだ。オレはもう“本物だ!”となるしかなかったね(笑)。 それからすぐニューヨークに飛んだんだけど、最初の数週間は一時的な代役としてバーニー・トーメがオジーのバンドに参加していたから、オレは小さなステレオでひたすら曲を聴いて耳で覚えていったんだ。

ソールドアウトのライブ会場に行って、コンソールの横で演奏を観て、“スゲェな。あと数日でオレもあそこに立つんだ”と思ったらゾッとし始めたよ(笑)。4日間ですべての曲を覚え、ルディ・サーゾ(b)やドン・エイリー(key)からもアドバイスをもらい、5日目に初めてのライブを迎えたんだ。それはニューヨークのビンガムトンで、7,000人の観客が詰めかけたライブだった。オレにとっては人生で最も怖い1日だったね(笑)。

オリジナルのフロイド・ローズを持っている人がいたら、
ぜひ買わせてくれ!

あなたはフェンダーのストラトキャスターだけでなく、現在も80年代にフェルナンデスが制作した自身のシグネチャー・モデルもライブで使用していますね。

オレのメイン・ギターは、キャリアを通してずっと使っているオレンジっぽいレッドの62年製ストラトキャスターで、この世で3番目に作られたフロイド・ローズのユニットが搭載されている。Shureのワイヤレス・システムも内蔵されていて、ネックは22フレット仕様だ。これはオジーのバンドやナイト・レンジャーでの活動を含めずっとオレの相棒だったし、今でもツアーで使い続けている。

あとは80年代中頃に100本ほど製作されたフェルナンデスのブラッド・ギルス・モデルを今も5〜6本所有していて、オリジナルのフロイド・ローズをフローティング状態でセットアップしているよ。フェルナンデスはオレの仕様に合わせた素晴らしいギターを作ってくれた。10月のジャパン・ツアーにもストラト、フェルナンデスの2本を持っていくつもりだよ。

シグネチャー・モデルの改造箇所は?

オレが受け取ったあとにピックアップを交換して、ワイヤレスも内蔵し、トレモロをオリジナルのフロイド・ローズに変更した。ちなみに、フロイド・ローズは77年か78年にガレージでオリジナルのユニットを25個作ったんだが、オレはそのうちの12個を持っている。それでもまだまだ探していて、もし日本にオリジナルのフロイド・ローズを持っている人がいたら、ぜひ買わせてくれ! バックステージにも招待するからさ(笑)。

ギター・マガジン・レイド・バック編集部には、高校生の頃にナイト・レンジャーのコピーバンドをやっていた部員がおり、当時のメンバーが再集結して武道館に足を運びます。こういったファンを目にして感慨深くなったりしますか?

グレイトなことだよ。オレがギターを始めたばかりの頃は色んなバンドのファンだったし、今でもそのバンドのライブを観に行きたいと思っている。だから40年経ってもファンがずっと応援してくれているのはグレイトだし、嬉しいよ。日本では駅や空港、ホテルでよく同じ顔触れに遭遇するし、それが40年間も続いている。オレは彼らがキッズの頃から見てきたけど、今やみんな大人になって、オレたちみたいにちょっと白髪が目立つようになってきた。ファンがずっと日本にいてくれたことが本当に嬉しいんだ。ずっと応援してもらえるのは最高だよ。

では待望の日本公演、ぜひロックしてください!

本当に楽しみにしているよ。食べ物、何種類もあるソース、文化、そしてファンのみんな、全部楽しみなんだ。ありがとう!

Live Information
ナイト・レンジャー
『FAREWELL JAPAN The “Goodbye”Tour』

<日程>
・2025年10月14日(火)
グランキューブ大阪

・2025年10月16日(木)
日本武道館

<お問い合わせ>
公演HP https://udo.jp/concert/NightRanger25/

Guitar Magazine Laidback vol.17

『Guitar Magazine Laidback vol.17』では、ジェフ・ワトソンやケリ・ケリーとのツイン・ギターの話をたっぷりと掲載!

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Brad Gillis
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