連載:『Player』盛衰記 第23回|アドバイザー 奈良史樹 連載:『Player』盛衰記 第23回|アドバイザー 奈良史樹

連載:『Player』盛衰記 第23回|アドバイザー 奈良史樹

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第23回
アドバイザー 奈良史樹

1973年頃から、初期の『Player』にはもう1人、重要な人物が深く関わっていた。神田商会企画室長の奈良史樹さんである。奈良さんは、私より1つ年上の1951年8月生まれで、私が入社した当時のプレイヤー・スタッフ、戸井田瑠美子(旧姓)さんのご主人である。187センチの高身長、がっしりした体格でジョン・レノン風の髪型や丸いメガネが印象的だった。黙っているとちょっと怖そうだが、とてもユーモアのある明るいキャラクターで、面白いこと、楽しいこと、遊ぶことが大好きな人だった。

私の入社当時、神田商会の広告は全て奈良さんが企画・制作を行なっていた。当時セールスが好調だったグレコ・ギターのイメージと、奈良さんのユーモアのあるコピーとモダンなデザインとが上手くマッチし、ギター・ユーザーはもとより楽器業界の中でも時代を先取りした広告として話題となっていた。

奈良さんは、あまり“遊び”と“仕事”のボーダーラインがなく、いつも遊び感覚で親しい仲間と一緒に仕事をすることが多く、“仕事で遊ぶ”天才だった。学生時代にグラフィック・デザインとコピー・ライターの勉強をして、銀座ヤマハのスタッフとして企画の仕事をしたあと、1970年代初頭に神田商会に入社した。また、神田商会に籍を置きながらも1年弱ほどシカゴのギター・ショップでリペアなどの勉強をした経験もあり、当時の業界人としては珍しく英語も堪能で、社内でも特別な存在だった。

彼はとても話し上手で話題も豊富だった。1978年4月から東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送が始まったTV番組『ロックおもしロック』(毎週日曜日10:00~10:30 / グレコ提供)のMC役を務めるなど、どんなことでも器用にこなすマルチな才能の持ち主で、業界でも目立つ存在だった。

私がプレイヤーに入社した1975年当時は、まだ広告部というセクションは明確ではなかった。しかし、島田さんが入社して広告部というセクションができ、私はその担当としてクライアントを回ることが多かった。当時神田商会の企画室や社長室、経理、リペアなどは、本社の隣にあった12階建てのビルの最上階にあり、私はその12階に頻繁に出入りしていた。私が企画室を訪ねると、奈良さんは“待ってました!”とばかりに音楽やギターの話を始め、しばし雑談に花が咲いた。

彼はアコースティックやシンガーソングライター系とビートルズが好きで、バンドや音楽活動の経験がある点でも自分と共通していた。企画室に誰もいない時などは、2人でギターを弾きながら一緒に歌ったりハモったりして遊ぶこともあった。彼とは出会って数ヵ月で“奈良ちゃん”、“タナミノ”と呼び合う間柄となり、仕事を通じて一番最初にできた友達だった。

奈良さんはとにかく人を笑わせたり喜ばせることが大好きで、話題も豊富、さらに話の最後にはいつもオチが付いていた。飲み会の時などは常に話の中心にいてみんなを盛り上げ、エンジンがかかると止まらないタイプ。若いプレイヤーのスタッフはみんな奈良さんのファンで、河島編集長とも親しい間柄だった。奈良さんはとても活動的で、キャンプやバイクのツーリングなど、奈良さんに誘われてずいぶん楽しい時間を共有した。彼は自分の感情を素直に表すタイプで、体は大きかったが無邪気で子供のようなところがあり、ある意味でかわいい性格だった。

奈良さんは気の合う人とはすぐに親しくなって友達になる。それがミュージシャンであろうと出入りの業者の担当であろうと、同じように付き合い、蕎麦屋の若い出前持ちでも気が合えばキャンプや飲み会に誘って友達の輪を広げていた。彼はプレイヤーだけではなくリットーミュージックやシンコーミュージックの広告部のスタッフとも親しく、奈良さんを介してプレイヤーとリットーミュージックのスタッフが合同の飲み会やキャンプ、ツーリングなどを行なうこともあった。

『Player』の前身である『The Young Mates Music』から『Player』になったのは1975年初頭であるが、それには奈良さんが深く関わっていた。彼がシカゴに在住していた70年代前半に、あるギター専門雑誌が目に止まった。『Guitar Player』誌である。この雑誌は、1967年にアメリカでGPI社によって創刊された世界で最も古いギター専門誌として知られ、70年代のアメリカのギター・シーンにおいてすでに定評があった。日本のようにアイドルやボーカリストを中心とした音楽雑誌ではなく、“ギタリストによるギタリストのためのギター雑誌”というスタンスが当時はとても新鮮だった。

彼はその『Guitar Player』の存在を知ると同時に、それとは根本的に異なる日本の音楽専門誌のあり方に疑問を持つようになった。そしてアメリカから帰国後、神田商会の企画室に籍を置きながらも、いつかは『Guitar Player』のような専門雑誌が日本でも必要だと考えていた。

その一方、当時の『The Young Mates Music』は、一部の楽器店で販売(配布?)されていたが、コアなギター・ファンにしか知られていない状況が続き、雑誌でありながら書店でも扱っていなかった。赤星先生は『The Young Mates Music』をもっとメジャーな媒体にしたいと考えていたが、人材面でも資金面でもその実現が難しい状況にあった。

先生は当時メイン・クライアントだった神田商会を訪ね、“『The Young Mates Music』をもっとメジャーにできないか?”という相談をする中で、奈良さんからアメリカで愛読していた『Guitar Player』のような専門雑誌が今後日本にも必要だという話が出た。その話は建設的な方向に進み、先生と神田商会とで資金を出し合って新たな会社(プレイヤー・コーポレーション)を設立し、『The Young Mates Music』をベースとした新たな雑誌を作ろう、という話に発展していった。当初の『The Young Mates Music Player』の『Player』は、当時奈良さんがリスペクトしていた『Guitar Player』に敬意を込めて付けたネーミングだった。奈良さんは、当初編集アドバイザーとして『Player』の再出発に力を貸してくれた。当時の『Player』の奥付には、編集者の1人として“ジョン・F・ナッシュ”という架空の人物の名前が書かれているが、それは彼のニックネームである。 
 
その後、奈良さんは1970年代末に神田商会を退社し、広告デザインや制作を行なう有限会社2TONE GRAPHICSを立ち上げ、さらに80年代前半に株式会社2TONE CLUBを設立した。2トーン・クラブは、フェンダー・ジャパン、テューン、マクソン、イケベなどいくつものクライアントを抱え、持ち前のデザインセンスの良さと遊び心が感じられるコピーが好評で、多くのクライアントの発展に寄与し、楽器業界以外からも評価されるまでにいたった。

その後2000年頃に、2トーン・クラブを当初から奈良さんとともに仕事をしてきた小林博之さんに引き継ぎ、奈良さんはグラフィックとウェブ・デザインの新会社SPINNERSを立ち上げた。しかし、残念なことに2009年から大病を患い、2015年1月に63歳の若さで他界。楽器業界の中からも彼を惜しむ声が後をたたなかった‥‥。

私は、奈良さんとは数えきれないほどの思い出があり、仕事はもちろんのことプライベートでもいろいろなことを教えてもらった。長い付き合いの中で彼から学んだことはいくつもあったが、自分が一番強く影響を受けたのは“遊び心の大切さ”だった。これは彼の思考というよりも、生き方そのものだった。人との付き合い方はもちろんのこと、仕事でも遊び心を忘れない彼の生き方が好きだった。

音楽雑誌は、音楽と楽器の“楽しさ、素晴らしさ、面白さ”を多くの人々に伝えるという大きな役割を担っている。私は常に『Player』がそんな雑誌であってほしいと考え、“遊び心”を大切にすると同時に、自分自身が楽しめる雑誌を目指して、ワクワクするようなテーマを探してきた。雑誌作りにおいて、最も大切なことを気づかせてくれた友人が奈良史樹さんだった……。

1974年2月号、3月号、4月号の『The Young Mates Music』。この約1年後に『The Young Mates Music Player』になった。
70年代初頭の表4は、4色ではなく2色印刷だった。毎月その2色が変わる。もちろん表紙も2色。
『The Young Mates Music』時代は、手作り感満載の広告ばかりだった。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

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『Player』盛衰記