連載:『Player』盛衰記 第26回|大きな転機となった『楽器の本 1976』その① 連載:『Player』盛衰記 第26回|大きな転機となった『楽器の本 1976』その①

連載:『Player』盛衰記 第26回|大きな転機となった『楽器の本 1976』その①

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第26回
大きな転機となった『楽器の本 1976』その①

楽器情報新聞としてスタートした『Player』が日本を代表する音楽雑誌、楽器雑誌、ロック雑誌に成長するまでには、いくつものターニングポイントがあった。

1968年に楽器新聞として誕生した『Player』の前身となる『The Young Mates Music』は、70年代初頭にタブロイド判の新聞形式からA4判の雑誌形式に変更された。その後、1975年1月号から雑誌名を『Player』(正確名称は『The Young Mates Music Player』)に変更。そして翌76年6月に初のプレイヤー別冊『楽器の本 1976』を発売し、それが高く評価されたことで『Player』が多くの音楽ファン、ギター・ファンの目に留まったのである。この『楽器の本』の発売は、雑誌にとっても会社にとっても、とても大きな転機と言える。

70年代はインターネットがなく、楽器ユーザーは常に楽器の情報に飢えていた。そんな70年代半ばにアメリカのギター・シーンや楽器に関する様々な話題を満載したムック本として誕生し、当時のギター・ファンの間で話題となった書籍が『楽器の本 1976』だった。70~80年代には“『楽器の本』は楽器ファンのバイブルだ”とまで言われ、このムック本によってアメリカの音楽シーンやギター・シーン、さらには最新の楽器カルチャーを知った人が多く、音楽好きの若い世代に影響を与えた。

『楽器の本』の高い評価は、それを製作した『Player』の評価にもつながっていった。『楽器の本』の表紙には「Musical Instruments And Way Of Musical Life ~ 楽器の本 1976年号 ニューライフのための楽器カタログ」という長いコピーが記されているが、ギターが音楽好きの若い世代にとってライフ・スタイルの一部になりつつある時代だった。

実は『楽器の本 1976』の誕生には当時話題となっていた、あるベストセラーの存在があった。70年代のアメリカのライフ・スタイルを紹介したムック本『Made in U.S.A. Catalog 1975』(読売新聞社)である。この書籍は、アメリカのメンズ・ファッションやアウトドア・ギア、ホビー、スポーツ用品、工具、日用品などの最新情報をカタログ形式で紹介したもので、アメリカのカルチャーやライフ・スタイルがリアルタイムで紹介されている。『楽器の本』は、そのコンセプトを意識した楽器バージョンとして企画され、当時アメリカの楽器情報に飢えていた日本のギター・ファンに話題を提供した。

その狙いは見事に的中し、『楽器の本』は売れに売れ、プレイヤー・コーポレーションも会社始まって以来の好成績を記録。初版本は瞬時に売り切れ、慌てて第2版を製作したが、第2版も短期間で完売した。その後は、本を買いそびれた読者や書店から、在庫に関する問い合わせが1ヵ月ほど続いた。

この企画がいつ立案されたのかは定かでないが、おそらく私が入社した直前の1975年秋ではないだろうか。その製作にあたり、河島編集長から“田中君はアコースティックが好きみたいだから、マーティンの歴史のコーナーを担当してもらおう”ということで、“ヒストリー・オブ・ザ・ギター:マーティン”という4ページのミニ特集の編集を任された。学生時代から憧れの存在だったマーティン・ギターの歴史紹介を自分が担当できることの喜びを噛み締めながら、“よし!”と心で叫んでいた。

今考えれば、たかだか4ページの小さな特集だが、当時は初めて任された記事であり、嬉しさの反面、戸惑いながら作業に取りかかったのを今でも覚えている。1833年に始まるマーティン社の歴史は堀り下げればキリがないが、そのストーリーに関しては様々な書籍やメーカーの資料などで紹介されていたので、それらを参考にしながらどうにかテキストを原稿用紙30枚に書き上げた。

問題はデザインだった。当時、綱島さんという専門学校を76年3月に卒業したばかりの若い女性デザイナーが途中から参加したが、彼女はカタログ・ページなどのレイアウトに追われ、私が担当するミニ特集までとても手が回りそうになかった。そこで、“自分のページだから自分でレイアウトしてみるか……”と、ほかの編集者の作業を横目で見ながらレイアウトに挑戦。“もともと彼女が入社するまでは編集者が自分の担当ページをレイアウトしていたのだから、なんとかなるだろう……”と意気込んではみたものの、やればやるほどわからないことばかり。

当時は“レイアウト用紙”というデザインを指定する専用の用紙があり、そこにラフにテキストや写真のレイアウトを手描きし、色指定用のカラー・ガイドという指定紙を直接そこに貼り付けて色の指定を行なうという、完全なアナログ作業だった。何しろ初めての経験なので勝手がわからず、とりあえず思いつくままに適当に指定をして入稿したものの、色校正の段階になって自分のイメージとは全く違う仕上がりになってしまい、かなり焦った記憶がある。

当時の『Player』は、わずか44ページのカタログのように薄い雑誌だったが、『楽器の本』は324ページで、しかも大半がカラー・ページ。新入社員だった私はもちろんのこと、当時の編集長河島さんにとっても初めての経験で、あの厚い書籍をまとめ上げる作業はさぞかし大変だったことだろう。それだけに、見本誌が上がってきた時の喜びはひとしおだった。ずっしりとした重さ、豊富なカラーページと高級感、ワクワクするその内容……“よし、これは売れる!”と、誰しもが実感した。

『楽器の本』の制作・編集は、極一部の特集を除いてプレイヤーで行ったが、発行所は“日刊スポーツ出版社”名義になっている。実は、当時『Player』は神田商会やプリマ楽器、テイハツといった楽器関連の代理店を経由して楽器店で販売されていたため、書店ルートの取次店とは代理店契約が結ばれていなかった。そのため『楽器の本』を書店で発売するにあたり、どこかの出版社の名義を借りることになり、急遽、赤星先生の紹介で日刊スポーツ出版社名義で発行することになった。

そのあたりの販売チャンネルや取次店などに関する諸問題は大きな課題となったが、まだ入社半年の私にとっては『楽器の本』がようやく完成し、しかも好評でユーザーからの問い合わせに追われる日々は、至福のひと時でもあったことは間違いない。

次回は、その『楽器の本』の内容に関して紹介しよう。

『楽器の本 1976』の表4。可愛らしい写真の子は、オールド・タイム・ピッキン・パーラーの取材時にたまたま店に来ていたギターの名手、ノーマン・ブレイクの息子、ジョイ君。『楽器の本』は、遊び心がある編集デザインも話題となった。
『楽器の本』の目次。当時の日本にはほとんど伝わっていなかったアメリカ各地の音楽と楽器の話題が満載されていた。
1975年に日本で発売された『メイド・イン USA カタログ 1975』(写真左)。このムック本に刺激されて『楽器本 1976』の企画が生まれた。そういえば、カバーもどことなくイメージが似ているかも……。このベストセラー・シリーズは、翌年に「2」(右)が発売された。
巻頭ページには、取材記事のダイジェストがコンパクトに紹介されている。書店でこのページを見た人は、立ち読みではすまない内容とボリュームに圧倒されただろう。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。