2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第33回
『Player』書店で発売
前回紹介した『Vol.100』は、新たな大文字ロゴに対する読者の評判は良くなかったが、あれは“100号記念号の限定ロゴ”となり、その後、二度と使用されることはなかった。しかし社内では、“以前のロゴにそのまま戻すというのもいかがなものか……”という意見が多く、結果的に以前の大文字小文字スタイルはそのままに、書体をアレンジした新しいロゴが完成した。
新ロゴはやや左右が詰まった書体で、いくらかシャープなイメージとなり、さっそく制作中の10月号から使用された。以前のロゴとよく似ているので、変更されたことを気づかなかった読者もいたことだろう。

『楽器の本』の問い合わせがひと段落した頃から、『Player』に関する問い合わせがくるようになった。『楽器の本』の中に、『Player』の告知が掲載されていたことと、1月号の“フェンダー大特集”と3月号の“ギブソン大特集”が話題となり、『Player』に興味を持ってくれた読者や書店からの問い合わせが増えた。
当時、『Player』の販売ルートは楽器関連の問屋を介して行なわれていたが、全国的に見ると、ごく一部の楽器店での取り扱いに限られていた。書店での『Player』探しに痺れを切らした読者から、“『Player』はどこの書店で購入できるのか?”といった問い合わせが多くなった。当時の『Player』は自分たちが思っていた以上に認知度が低く、その存在すら知られていない現実をまざまざと知らされたが、それと同時に、“その存在を知ってもらえれば、もっと販売部数を伸ばせる”という確信にもつながった。
私と当時の営業部長だった島田さんは、“雑誌でありながら書店で扱っていないのでは販売数に限界がある。書店販売を実現しよう”といった会話を『楽器の本』の発売以降、何度も交わしていた。
『楽器の本』の発売から約3ヵ月、島田さんは、トーハン、日本出版販売、中央社、栗田出版販売、大阪村上楽器、など出版販売の取次店に出向き、『Player』を書店で扱ってもらえるよう新たなルートを開拓していった。そして76年10月号を皮切りに、『Player』はようやく全国の書店で扱われることになったのである。
音楽雑誌でありながら楽器店でしか購入できないという現実は、いつまでも “マイナー雑誌” というイメージが付きまとっていたが、この10月号から『Player』は新たなスタートを切ることになった。それは実際の売れ行きに大きく貢献したが、それ以上に本誌を製作しているスタッフの自信につながった。
76年10月号の内容は、ソロ活動もスタートさせますますギタリストとして勢いに乗る若き日のディッキー・ベッツがカバーで、我々スタッフの熱い想いとともに書店と楽器店の両方で発売された。10月号の発売日には、新宿の紀伊国屋書店などいくつもの書店を回り、『Player』が音楽雑誌のコーナーに並んでいる様子を眺めながら、“本当に書店に置かれている!”と密かに喜んだのは、私だけではなかったに違いない。

以前の『Player』は60ページ前後だったが、カラーは表紙まわりの4ページのみ。残りはすべてモノクロもしくは2色ページで、雑誌としてはやや寂しい体裁だった。しかし、書店で販売することが決まり、内容の充実とともに体裁もかなりボリュームアップした。60ページから84ページに増ページすると共に、本文のカラーを8ページ増やし、記事の内容もより充実させた。
そのタイミングでいくつかの新しい連載企画が誕生した。そのうちの1つが、のちの別冊シリーズにまで成長した“ザ・ギター”であり、人気の“楽器講座”であり、『Player』の顔でもある“ハードウェア特集”であり、“巻頭ピンナップ”だった。


記念すべき“ザ・ギター”の第1回目は、クリエイションの竹田和夫が愛用する1956年製レス・ポール・モデル。“ザ・ギター”は、やがて海外の有名ギタリストの機材をクローズアップする人気の大型コンテンツとして知られるようになったが、スタートした時は国内ギタリストのメイン・ギターを1本紹介するだけのコンパクトな企画だった。

この10月号では、クリエイションがアメリカ・ツアーの時にテキサスの地元ギタリストから直接購入したレス・ポール・モデルが大きく紹介された。竹田が購入した段階でゴールドトップの塗装が剥がされ、ピックアップも交換されていたが、“驚くほど安く譲ってもらった”という本人のコメントとともにカラーで大きく紹介されている。
当時、人気ミュージシャンのインタビュー記事は他誌でも珍しくなかったが、ギターだけをカラー・ピンナップとしてクローズアップした企画は『Player』しかなかった。この“ザ・ギター”というユニークなコンテンツは、当時のギター・マニアたちに絶賛され、この記事を見るために『Player』を購入する読者も少なくなかった。
巻頭を飾ったカラー・ピンナップには、エリック・クラプトン、デイヴ・メイソン、ボブ・マーリー、ジョン・マクラフリンが掲載されたが、当時マクラフリンやデイヴ・メイソンをピンナップとして掲載するのは、やはり『Player』くらいだった。
10月号のカバー・ストーリーは、オールマン・ブラザーズ・バンドとは別にソロギタリストとしても精力的に活動する若き日のディッキー・ベッツ。そのほかに、メイン・インタビューとしてパトリック・モラーツ、冨田勲、などのロング・インタビューも掲載された。社内的にはかなり売れ行きを意識した華やかなラインナップのつもりだったが、読者の反応は“プレイヤーの記事は硬派で良い”とか、“売れ筋のアーティストに迎合していない姿勢が良い”などと言われ、多少困惑していた。
それまでの『Player』は、あえて小売店の広告を掲載していなかったが、書店での販売を機に楽器店の広告を積極的に掲載することにした。10月号に掲載されている小売店は、イシバシ楽器、イケベ、LAOX、谷口楽器、ワタナベ楽器、P&R関西楽器社、コマキ楽器、トミヤ楽器店、カシオ楽器、三鷹楽器、お茶の水下倉楽器、梅田ナカイ楽器、ミュージックショップ・サムなどで、新たな『Player』の門出に華を添えてくれた。
大幅な増ページと内容の充実により製作費は大幅に増えたが、書店での売上、広告収入も大幅にアップしたことで、本誌の定価は以前と同じ200円をキープしながらも十分な利益が見込めるようになった。10月号は我々の予想を遥かに超える売れ行きで、書店販売は幸先の良いスタートを切ることができた。学生時代の音楽仲間から連絡があり、“『Player』を書店で見たよ”と言われた時は、ちょっと嬉しかった。
著者プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。
1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。
以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。
アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。