連載:『Player』盛衰記 第36回|連載企画「BULLETIN BOARD」の登場 連載:『Player』盛衰記 第36回|連載企画「BULLETIN BOARD」の登場

連載:『Player』盛衰記 第36回|連載企画「BULLETIN BOARD」の登場

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第36回
連載企画「BULLETIN BOARD」の登場

『Player』の前身となる『The Young Mates Music』は1968年5月に創刊され、通算“100号”が発刊されたのは1976年8月だった。その号では“創刊100号”を記念して特別なデザインの大文字ロゴが使用されたが、読者から不評を買ったことは以前紹介した。

実はその“100号”を記念していくつかの新たな記事や連載がスタートしており、その中にのちの看板企画となった「BULLETIN BOARD」(通称:ビルボード)があった。“掲示板”、“告知版”という意味のタイトルからもわかるように、読者同士の情報交換を目的とした企画である。

このコーナーはわずか1ページからスタートしたが、月を追うごとに読者からの応募が増え、80年代のピーク時には、毎月20ページを優に超える大人気企画へと発展していった。

今回は、『Player』のもう1つの顔とも言える人気企画「BULLETIN BOARD」について紹介しよう。

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「ビルボード」は“通算100号”を記念して誕生した読者のための企画だった。

70年代は、現在ほどではないが中古ギターが楽器店の片隅で販売されており、少しでも安くギターを手に入れたいという人々にとって、ありがたい存在だった。そういった状況を背景に、『Player』では直接ユーザー同士が自分たちの楽器を売り買いできるように、“情報交換の場を作ろう”ということでこのコンテンツを立ち上げた。

また、“楽器の売り買い”だけではなく、“バンド・メンバー募集”などの情報も掲載できるコンテンツになっている。当時多くの雑誌には、この手の読者参加型記事や読者の情報交換の場が用意されており、ハガキや手紙などで投稿する人は少なくなかった。

『Player』ではかなり昔から読者の投稿コンテンツはあったが、「ビルボード」は“楽器の売り買い”と“バンド・メンバーの募集”に限定したコンテンツであり、『Player』らしい企画だとも言える。

連載がスタートした1976年9月号で、当初掲載された情報はわずか17件にすぎない。しかもそのうちの1/4は投稿のネタが不足していたため、編集部のスタッフが自分たちの知り合いから情報を提供してもらうなどの水増しもあった。自分も学生時代のバンド仲間に“何か売りたい楽器はないか?”などと電話をかけたことを覚えている。

“こんなスタートで毎月情報が集まるのか?” とやや先行き不安だったが、この企画に対する読者の反応はすごぶる良かった。

その後は応募のハガキ(!)が順調に伸び、翌月の書店販売が始まった10月号では22件の掲載となり、1977年1月号では一気に増え、なんと100件を軽く超えるほどの応募があり、それ以降は増える一方だった。

また、当時はこの「ビルボード」の“バンド・メンバー募集”によってメンバーが集まったという有名バンドも数多くあった。のちの取材の際に“僕たち『Player』の『メンバー募集』で集まったんです”という嬉しい話を何度も聞いたことがある。

それまでのメンバー探しは、友人や知人の紹介で知り合ったり、練習スタジオの掲示板に“キース・リチャーズ募集!”や“ジョン・ボーナム急募!”といったメモを見て応募するのが一般的だったが、インターネットが存在していない時代においては、『Player』の「ビルボード」はかなり効率の良い募集方法だった。

このコンテンツが、アマチュア・バンドの結成に大きく貢献したことは間違いないが、掲載件数が増えるにつれてトラブルも増えていった。

当時、時々あったのが、“ギターを相手に送ったがお金を払ってもらえない”とか、“打ち合わせの喫茶店までギターを持って行ったが、トイレに行っている間にギターを持ち逃げされた”などの盗難が発生し、年に1~2度は警察からの問い合わせもあった。

当時は、素人同士の売り買いに関する基本的なルールやマナーが未成熟で、心ない人による残念な出来事が時にクローズアップされることがあった。

中でも一番問題となったのが、女性のメンバー募集にまつわるトラブルだ。当初は女性であっても、指名や住所、電話番号などを本人の希望に従って掲載しており、ストーカーまがいの行為に発展したことがあった。

「ビルボード」はあくまで自己責任で本人の希望に従ってその内容を掲載していたが、途中から女性の場合は本人の希望があっても住所の掲載は行なわないことにした。

今から考えると個人情報の漏洩も甚だしいが、70年代はインターネットも携帯電話も存在しない時代。個人と連絡を取る手段は、家電以外は手紙やハガキよる手紙文化の時代で、住所の公表はごく一般的なことだった。

芸能人や野球選手に関しては、本名、生年月日、住所、電話番号、出身校などを紹介したデータブックが書店で販売され、『明星』や『平凡』などの付録としてもそれらの内容が掲載されていた(ファンレターの送り先という名目)。

70年代は、個人情報に関する考え方が現代とは大きく異なり、個人情報はあってないに等しかったとも言える。

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BOSSの名機として知られるCE-1は半世紀前、1976年に登場した。
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当時は全国楽器店のインフォメーション・コーナーもあり、楽器店をバックアップした。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。


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『Player』盛衰記