2021年6月18日、エレキの神様こと寺内タケシがこの世を去った。現在大御所と呼ばれるレジェンド級ギタリストたちがキッズの頃に憧れた存在であり、エレキ・ギター黎明期から第一線で活躍し続けてきた寺内は、日本のギター・シーンの土台を形成したと言っても過言ではない。そんな我々ギタリストすべての恩人へ感謝と哀悼の意を込め、その歩みを紹介しよう。
文=近藤正義 写真提供=キングレコード
エレキの神様、逝去
その意志はすべての者が受継ぐ……
我らがギターの神様、寺内タケシが6月18日の夜、横浜市内の病院で肺炎のため亡くなった。享年82歳。
1939年1月17日、茨城県土浦市で生まれた寺内タケシは、5歳にしてギターを始め、大学在学中からプロ活動を開始。1962年に寺内タケシとブルージーンズを結成してエレキ・ブームの仕掛け人となり、以来、日本のギター・シーンを支えてきた。
日本における60年代の第1次エレキ・ブーム時には、ベンチャーズなどの到来に呼応しながら、海外のポップスやジャズをエレキ・インストでカバー。空前の加山雄三ブームにおいては、東宝映画『エレキの若大将』にも出演した。そして、世界中を巻き込んだビートルズ旋風の影響で歌モノを取り入れたGS時代には、“寺内タケシとバニーズ”を結成。それ以外にも「津軽じょんがら節」に代表される民謡路線や、「レッツゴー運命」などのクラシック路線というユニークなアプローチは国内外で高い評価を得た。
驚くべきは、エレキ・ギターが日本ではまだ世間で認識されていなかった60年代初期から、それを弾きこなす完璧なテクニックをマスターしていたこと。ディック・デイルのようなサーフ・サウンドはお手の物。さらに、「シャイン」でのチェット・アトキンスばりの超絶フィンガーピッキング、「夕日に赤い帆」の半音下げチューニング、「世界は日の出を待っている」における本家レス・ポールに迫る速弾きなど、当時の世界最新テクニックがすでに満載であった。
また、「エリーゼのために」における激烈なファズ・サウンド、ワウを使ったと思われる「津軽馬子唄」はまるで第1期ディープ・パープルのようであり、ギター・レスでシンセ中心の「恐山」はエマーソン・レイク&パーマーを思わせるなど、サウンド面でも常に最新鋭であった。
ポップスだけでなく、民謡、長唄、クラシックなど洋楽邦楽を問わずいろいろなジャンルの音楽を演奏するというユニークな着眼の原点は、幼少時に母親から三味線を習っていたことに起因すると思われるが、民謡やクラシックの特色を残しながらも若者にもアピールできるようにビート感を加えたアレンジには、寺内自身の手腕が光っている。クラシック音楽をエレキ・インストでやるという発想は今でも新鮮であるが当時もすこぶる評判が良く、シングル「運命/未完成」はオリコンで12位をマークし、レコード大賞編曲賞を受賞した。また、ライン録りやイコライザーの積極的な使用など、電気楽器の録音に関して試行錯誤をくり返したことも、彼の探求魂や先進性を物語っている。
生涯をレコーディングとツアーに明け暮れ、プロとしての活動歴は約60年。ライフワークとなったハイスクール・コンサートは実施1500校を超えた。このような長年の音楽的功労に対し、平成20年秋の叙勲における緑綬褒章の受賞を始め、文部省、厚生労働省、神奈川県、茨城県など様々な方面から文化賞、功労賞、感謝状を受章している。ご本人としてもエレキで生涯現役を貫くことができ、満足な人生だったのではないかと想像する。あらためて日本におけるエレキの大功労者、寺内タケシの冥福を謹んで祈りたい。