ジュリアン・レイジの基本情報 早熟すぎる天才の歩み ジュリアン・レイジの基本情報 早熟すぎる天才の歩み

ジュリアン・レイジの基本情報
早熟すぎる天才の歩み

名門ブルーノートへの移籍作第一弾『Squint』をリリースしたジュリアン・レイジ。その魅力にフォーカスする特集の始まりは、彼のバイオグラフィとキャリアの紹介から。現代最高峰のジャズ・ギタリストはどのように生まれたのか、その早熟すぎる歩みを辿っていこう。

文=石沢功治 写真=Photo by Brad Barket/Getty Images

世界的なジャズ・ピアニストの小曽根真が、パット・メセニーを発掘したことでも知られるジャズ・ヴィブラフォンの第一人者ゲイリー・バートンから、クイーン・エリザベスII世号のN.Y.~ロンドン航路での演奏の仕事の依頼を受けた時のこと。船に乗り込むと、そこにはあどけない少年がいて、バートンから一緒に演奏するギタリストだと紹介される。聞けば12歳、ジュリアンと名乗った。小曽根もかつて神童と騒がれた逸材だが、その彼をもってしても驚きは隠せなかったという。ジャズ・ギターの次世代を担うこと間違いなしのホープは、まさに桁はずれの早熟さであった。その足跡をざっと辿ってみたい。

5歳になるまでギター禁止!?

ジュリアンは1987年12月25日、ソノマ群リンで5人兄弟の末っ子として生まれ、同郡の都市サンタローザで育った。ブルース好きだった父親のギターが自宅にあったジュリアンは、物心ついた頃から興味を示した。だが、まだ小さかったために、なんと父から“5歳になるまで我慢しなさい”と言われたそう。

5歳になって念願のギターを弾き始めると、最初はブルースに夢中になる。7歳からサンフランシスコ音楽院で1年ほどクラシック・ギターを習ったあと、クリス・ピエメンテリ、ランディ・ヴィンセント、ジョー・ディオリオ、タック・アンドレスなどからジャズを、スティーヴ・キモックからブルースなど、15歳までに14~15人からレッスンを受けている。

そして、その間の9歳の時にカルロス・サンタナのコンコード・パビリオンでのステージに飛び入りし、ファンカデリックの「マゴット・ブレイン」をプレイして話題になった。10歳の時にはマンドリンの巨匠デヴィッド・グリスマンと知り合うと、ジュリアンの並はずれた才能を見抜いた彼はブルーグラスの薫陶を与え、1999年にアルバム『Dawg Duos』に起用。11歳にして初レコーディングを経験することとなる。

評判を呼んだジュリアンは、12歳でグラミー賞のアトラクション・コーナーでギターを弾くことに。その時の授賞式に来ていたのがゲイリー・バートンで、演奏を観た彼からグループへ参加しないかと誘われた。ただ、学業もあったため、向こう2年間ほどは年に1~2回ほどの共演にとどまっている。ちなみに、13歳の時に短期間ながらもバークリー音楽院で教授を務めるバートンの招きで講師も務めた。

そして、バートンが弱冠15歳のジュリアンをフィーチャーして2003年に録音した『Generations』が翌年にリリースされるとジャズ界はざわめき立つ。続く2005年、バートンが有望な若手ばかりを起用して前年に録音した『Next Generations』がリリースされると、同アルバムのメンバーで同年夏に初来日を果たした。この時彼はサンフランシスコのジュニア・カレッジに通う17歳であった。