追悼 末原康志ギター・マガジンを支えてくれた恩人へ 追悼 末原康志ギター・マガジンを支えてくれた恩人へ

追悼 末原康志
ギター・マガジンを支えてくれた恩人へ

2021年7月4日、末原康志が天国へと旅立った。腕利きのセッション・ギタリストであり、アレンジャー/プロデューサーとしても活躍、ミュージシャンからの信頼も厚い人だった。本誌読者にとっても“末原名人”として馴染み深い存在であることと思う。そして我々ギター・マガジン編集部にとっては、名企画をいくつも一緒に作ってきた盟友のような存在でもある。本稿では、そんな恩人と我々ギター・マガジンとの思い出を紹介しながら、名人を偲びたい。

Photo by Mariko Miura

僕たちは“プロフェッショナルとは何か”を
末原さんから教えてもらった。

2021年7月4日、“末原名人”こと末原康志がこの世を去った。SMAPや中島みゆき、尾崎亜美など、様々なアーティストと共演してきたセッション・ギタリストであり、ギターを活かしたアレンジやサウンド・プロデュースは、たくさんの一流ミュージシャンから支持されてきた。そして、ギター講師として多くの後進を育ててきた功労者でもある。

ただ、ことギター・マガジンにおいては、数々の名企画をいくつも手掛けた大ヒット・メーカーであり、共に本誌の歴史を作ってきたかけがえのない存在、という側面も大きい。そこで今回は、来歴や参加作の紹介などではなく、末原名人と編集部との思い出を記し、哀悼の意を表したい。

1990年代後半、ある音楽ライターの方が“アコースティック・ギターのアレンジ力がすごいギタリストがいるんだ”と紹介してくれたのが、ギター・マガジンと末原さんとの出会いだった。その後、1997年5月号からアコースティック・ギターの連載セミナー“GREAT FINGERS”をスタート。これは末原さんがロックやポップスの名曲をアコギ1本でアレンジしたソロ・アルバム『GREAT FINGERS』から毎月1曲ずつ、譜面とともに解説するという内容で、アルバムの楽曲が出尽くしても3年間続く人気連載となった。

このソロ・ギターの優れたアレンジは好評を博し、大ヒット教則ビデオ『末原名人のアコギ塾』が生まれた。ちなみに、本稿の執筆にあたり歴代編集者たちに話を聞いていく中で、その多くが“知り合った時にはすでに「名人」だった”と言っていたが、このビデオのタイトルが“名人”襲名のきっかけの1つという説が有力だ。

スタジオ・ワークでは特に“アコギの名手”としてプロ・ギタリストの間でも一目置かれる存在である末原名人だが、この連載を続けていく中で、ギター関連機材全般への造詣が深いことも知り、ロックを軸とした様々なジャンルの音楽への深い愛情に触れた。

そして2000年に入りギター・マガジンに付録CDが付くようになると、編集部としては“名人に任せておけば間違いない”という絶大な信頼から、様々な奏法/機材企画を一緒に作っていくことになる。

中でも編集部を沸かせたのが、“現行モデルで再現する◯◯◯”シリーズだ。サウンドメイクもさることながら、モノマネの粋をはるかに超えたフレージングには度肝を抜かれた。例えばレッド・ツェッペリンのサウンドを再現する時に弾くフレーズは、ZEPの楽曲にはない音運びなのに、まるでジミー・ペイジが弾いていると錯覚させるほど。末原名人のオリジナルへの深いリスペクトと分析力、そしてそれを実現する圧倒的なテクニックがあってこそ実現できた企画だった。

しかも、それがジミー・ペイジだけだったり、クラプトンだけというわけではなく、あらゆるジャンルのギタリストに対する高いレベルの理解を持っていた。それが、末原さんを“名人”たらしめたポイントの1つだと思う。

ほかにも、機材の弾き比べ企画では、わかりやすく深いコメントを残し、ギアの魅力を最大限に引き出す音源を作ってくれた。奏法企画も楽しくタメになるものばかりで、末原さんの記事に育てられたギタリストは数多くいるはずだ。そして何より、間近で末原さんの仕事を見てきた私たちは、どんな企画も楽しんで取り組みながらも、一切の妥協を許さない姿勢から、“プロフェッショナルとは何か”を学んだ。

末原さんの演奏、アレンジした楽曲、教則本、そして講師として育てた後進のギタリストたち、本誌を読んで育った多くのキッズ……名人が残してくれた多くの宝物は、今後いっそう輝きを増していくだろう。日本のギター・シーンへの多大なる貢献に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

ギター・マガジン編集部一同

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