スライド奏法を始めギタリストとして圧倒的な個性を持つアリエル・ポーゼンだが、まだ日本国内で彼に関する情報は少ない。ここでは、アリエルの基本的な情報として、簡単なバイオグラフィをお届けしよう。また、記事の最後には、参加楽曲も含めて厳選した必聴プレイリストを掲載しているので、ぜひ音源も合わせてチェックしてほしい。
文/選曲=福崎敬太 Photo by Phil Eich
ミュージシャンである両親のもとで、多様な音楽スタイルを吸収していく。
米ミネソタ州にも近い、カナダ南部のマニトバ州ウィニペグで育ったアリエル・ポーゼンは、1988年生まれ。両親はミュージシャンで、家庭では常に様々音楽が流れていたという。
父母ともにクレズマー(注:東欧ユダヤ系民謡をルーツに持つジャンル)のバンドに参加しており、結婚式などのパーティーでも演奏していた。父はジャズやクラシックのほか、ブルースもプレイしており、音楽講師でもあった母は、クラシックを学んだうえで様々なジャンルを嗜んでいた。
母がキャロル・キングの大ファンだったこともあり、“『つづれおり』はよく流れていた”そうで、ほかにも多様なスタイルの音楽が幼少期のアリエルを育んでいく。
6歳になったアリエルは兄と共にピアノを習い始めるが、そこまで興味が持てずに1年ほどで辞めてしまう。その頃、友人の数人がギターをプレイしており、その6弦の楽器に徐々に惹かれていく。そして8歳になると、無名ブランドの小さなアコースティック・ギターを手に入れ、レッスンにも通うようになった。
その後メキメキと腕を上げていくと、14歳にしてギャラが発生する仕事としての演奏を経験。その頃はプロ・ギタリストになるとは思っていなかったが、17歳頃から“僕のアルバムでプレイしてくれないか?”という依頼が舞い込むようになり、高校を卒業するとプロの世界に足を踏み入れることになる。
新天地での再出発で、ソロ名義の活動をスタートさせる。
2004年頃、のちにアリエルが参加するブラザーズ・ランドレスのギタリスト、ジョーイ・ランドレスとも知り合う。同じウィニペグ出身であり、セッション現場で会うこともよくあったそうだ。例えば2011年にリリースされたアリ・フォンテインのセルフ・タイトル作でも、2人の競演が聴ける(ジョーイは「Say It To Me」、「Not This Time」で参加)。
同郷の友人であり仕事仲間にもなったジョーイは、弟・デヴィッド(b)とのユニット、ブラザーズ・ランドレスのサポートとしてアリエルを指名する。2013年に5ピースでのライブの際に一度手伝いとして入り、翌年頃にキーボードが脱退したことを機に、本格的に同バンドのサポート・ギタリストとして活動を始め、その関係は約5年ほど続いた。
そして、ほかにも様々なサポート・ワークで活躍していく中で、スライド・ギターを用いた自身のスタイルも確立していく。アリエルはこの経緯について、アコースティック・ギター・マガジン2021年9月号(Vol.89)のインタビュー中でこう語る。
実は僕がスライドを始めたのは、仕事で必要だったからなんだ。“君にはこのギグに参加してもらいたい。あのセッションにも参加してもらいたい。念のためカポを持っていったほうが良いし、スライドもできたほうが助かる”と言われ、あくまでもツールのひとつとしてとらえるようになった。
アコースティック・ギター・マガジン2021年9月号(Vol.89)より

アコースティック・ギター・マガジン2021年9月号(Vol.89)
その後、アイルランドに一時拠点を移し、新たな場所でミュージシャンとしての仕事を得るために、自身の名を売る目的も兼ねてソロ名義でのバンドをスタートする。そこでフロントマンとして歌うことの楽しさに気づき、自身でも楽曲を作るようになった。そして、ジョシュ・スミスらとイギリスをツアーで周り、ソロ活動が軌道に乗ると自身の作品をレコーディングすることを決める。
2018年にシングル曲「Fade」を録音すると、翌年にそれを収録したアルバム『How Long』、2020年にライブ盤『Familiar Ground』をリリース。その後、2021年3月に『Headway』とアコースティック・バージョンの『Headway(Acoustic)』を立て続けに発表。そこから半年と空けず、エレキ・ギターでのソロ・インスト作品『Mile End』を生み出した。
最後に各ソロ作品と参加楽曲から、ギタマガWEBお薦めのプレイを厳選したプレイリストをお届けしよう。まだ彼の音楽に触れたことのない方は、本プレイリストを聴きながら以降の特集記事を読み進めていただきたい。