パット・マルティーノの歩み【後編】記憶障害からの復帰劇〜 パット・マルティーノの歩み【後編】記憶障害からの復帰劇〜

パット・マルティーノの歩み
【後編】記憶障害からの復帰劇〜

パット・マルティーノのバイオグラフィ後編は、突如襲った記憶障害の話とともに幕を開ける。それを筆頭に彼の前にはいくつかの困難が立ちはだかる、ギター、音楽へのさらなる探求が止まることはなかった。そして第二の絶頂期を迎え、キャリアは最終章へ。

文=久保木靖

再起に向けての並々ならぬ努力

麻酔が切れると、マルティーノは自分の顔を不安げな表情で見下ろす人たちを見渡し、何が起こったのか懸命に思い出そうとした。しかし、そこにいる両親や医師、それどころか自分が何者であるのかもわからない状態となっていた。のちにマルティーノは、“冷たく空っぽ、ニュートラルで、浄化されて……裸になったように感じた”と当時の気持ちを思い返している。

少しずつ記憶は蘇ってきたものの、退院直後は両親がかけるレコードが自分の演奏だと認識できないほどの状態。辛いリハビリ生活の中で、当時の妻は去ってしまった。そんな中、ギターを弾くことで心を癒やされるのと同時に、コンピューターを使って日本やハンガリー、中国といった世界各国の音階を研究することで音楽的創造力を復活させていったという。

1982年から徐々に演奏活動を再開。YouTubeに1984年の映像が上がっており、そこには頬がこけて青白い表情ではあるものの、共演者から励まされながら力強いピッキングをくり出す姿がとらえられている。そして1987年、ニューヨークでのライブを収録した『The Return』がミューズからリリースされる。ただ、これが完全復活の狼煙とはならず、今度は両親の健康状態が悪化し、マルティーノはその介護に専念することに。1989年に母親、1990年に父親が相次いで他界すると、彼は3年の月日をかけて遺品とともに心の整理もつけ、ついに『Interchange』(1994年)で本格的な復帰を果たすのであった。

充実の極みを見せた第2の絶頂期

1995年には、1976年以来の大規模なツアーを敢行。翌1996年には初来日が実現し、心待ちにしていた多くのファンに感銘を与えた。そして、この時に知り合った日本人女性、アヤコさんと翌1997年に結婚。同年にはブルーノートと契約するなど、マルティーノの再起はこの上なく順調であった。『All Sides Now』(1997年)は、レーベル側の思惑もあり、タック・アンドレスやジョー・サトリアーニ、マイク・スターン、そして恩師レス・ポールといった様々なギタリストとのコラボが実現している。

ジョイアス・レイクを“復活”させた『Stone Blue』(1998年)、原点であるオルガン・ジャズに回帰した『Live At Yoshi’s』(2001年)、ジョー・ロヴァーノ(sax)など豪華メンバーを従えてコルトレーンに迫った『Think Tank』(2003年)、ウェスへのトリビュート作『Remember : A Tribute To Wes Montgomery』(2006年)と音楽活動は充実の極み。易経(えききょう:中国五経の1つ)とギターの構造を関連づける研究を深めるのもこの頃である。

しかし、その裏では再び病魔が現われていた。慢性呼吸器疾患である(8歳から喫煙していたとも言われている)。時に息ができなくなるほどであったというのだが、それを食事療法や指圧などで献身的に支えたのがアヤコ夫人であることを付け加えておきたい。こうして、不安を抱えながらも、マルティーノは2003年以降、ほぼ毎年のように来日して、我々を楽しませてくれた。

再び病に悩まされたキャリアの最終章

その後、ハイノートからエリック・アレキサンダー(sax)を迎えたライブ盤『Undeniable』(2011年)、ワーナーからギル・ゴールドスタイン(p)との再共演盤『We Are Together Again』(2012年)といった話題作をリリース。信頼関係にあったハイノート(前身はミューズ)からは、1977〜78年録音の『Alone Together』(2012年)や、1968〜69年録音の『Young Guns』(2014年)といった音源も発掘された。

そうした中、2018年には来日公演がキャンセルになったこともあり、呼吸器疾患の悪化が囁かれ出す。実は、この頃から酸素吸入器を付けての生活を余儀なくされていたというのだ。そして長い闘病生活の末、2021年11月1日に死去。その翌日、フィラデルフィアの自宅周辺は、マルティーノの死を悼むように、1日中、小雨が降り続いていたという。

生前最後のアルバム『Formidable』(2017年)には、デビュー作のタイトル・チューン「El Hombre」が再演されている。このめぐり合わせには何かを感じずにはいられない──。