ジミー・ペイジのアコギ・スタイルに根付くブリティッシュ・フォークの影。 ジミー・ペイジのアコギ・スタイルに根付くブリティッシュ・フォークの影。

ジミー・ペイジのアコギ・スタイルに根付く
ブリティッシュ・フォークの影。

ギター・マガジン2022年2月号では、ブリティッシュ・フォークの魅力に迫る特集を展開! 今回はその中から、ジミー・ペイジと英国フォークとの関係を紐解くコラム記事を抜粋してお届けしよう。ジミー・ペイジのアコースティック・ギターへの情熱は深く、中でもブリティッシュ・フォークとの関係は切り離せないのだ。奏法やチューニング、音楽スタイルまで惚れ込んだというペイジが、愛してやまない奥妙な英国のアコギ世界とは?

文:五十嵐正 Photo by Ed Perlstein/Redferns via Getty images
※本記事はギター・マガジン2022年2月号『ブリティッシュ・フォークの迷宮。』より、一部抜粋/再編集したものです。

ペイジを夢中にさせた変則チューニングの妙

 レッド・ツェッペリンはヘヴィ・メタルの原型を作り上げたバンドだが、ロバート・プラントはその古巣を“ハードロック・バンドとされている”と形容した。その音楽性はそれだけに収まらないと言うのだ。ジミー・ペイジも自分を“オールラウンドな”ギタリストと呼び、そのことが自分のキャリアをもの凄く助けたと語っている。彼のその多才さの1つが、アコースティック・ギターの演奏とそのサウンドを上手く取り込んだ編曲である。そしてそれは、英国フォークへの関心とそこから学んだ変則チューニングの独特の響きがあってこそだった。

 英国の若者は50年代半ばのスキッフル・ブームでこぞってアコギを手にした。その流行が過ぎ去ったあと、エレキに持ち替えてロック・バンドを始めた人もいれば、そのアコギでフォーク・ソングを歌い出す人もいた。だが、後者には解決すべき問題があった。伝統歌は無伴奏で歌い継がれてきたもので、モーダルな構造を持つ。だから、下手に和音付けをすると本来の持ち味が失われるので、そのモーダルな特性を活かす新しいギター奏法が求められた。そこに登場した革命児が、デイヴィ・グレアムだった。彼の編み出したDADGADチューニングが、英国フォークに新たなギター・スタイルの発展をもたらした。グレアムはブルーズやジャズ、時には東洋音楽からも学んだボヘミアンで、DADGADは旅先のモロッコ音楽にヒントを得たという。

 ペイジは自分の折衷的なアコギのスタイルをCIA(ケルト・インド・アラブ)コネクションと呼んだが、それはグレアムの方向性の延長でもあったのだ。彼はヤードバーズ時代にグレアムの「She Moved Through The Fair」のそのままの演奏を、「White Summer」という曲名で披露していた。

 グレアムの解釈は伝統歌のミクソリディア旋法とインド音楽のラーガの1つの類似に着目した画期的なものだった。ペイジはDADGADがほかの民俗音楽からの影響を取り入れる際にも有効と理解して、75年の『Physical Graffiti』に収められた中東趣味の「Kashmir」にも用いている。

 しかしながら、ペイジが最も大きな影響を受けたのは、グレアムと並ぶ英国フォーク界の最重要人物の1人、バート・ヤンシュだ。ペイジは“取り憑かれていた”とも表現するほどのファンで、彼からは多くを学んだ。ツェッペリンの69年のデビュー作に収録されるインスト曲「Black Mountain Side」は自作とクレジットしたが、英国の伝統歌「Black Water Side」のヤンシュ版をもとにしたことは明白だろう(ドロップDではなく、アル・スチュワートが誤って教えたDADGADで演奏されているが)。

 ツェッペリンの結成にあたって、ペイジはハードなロックとアコースティックの両面を持つバンドというコンセプトを初めから持っていた。プラントを自宅に初めて招いた時、ジョーン・バエズの歌う「Babe, I’m Gonna Leave You」を聴かせ、“編曲にアイディアがある”と話したという。そして、そのアンサンブルに関しても、ヤンシュとジョン・レンボーンの名ギタリスト2人が女性歌手とジャズ出身のリズム隊と結成したペンタングルを参考にしたとのちに振り返っている。

 そんなペイジの関心が明確に現れたのが70年の『Ⅲ』で、アコギ主体の曲がアルバムの半数近くを占めていた。変則チューニングのアコギ・サウンドで大成功を収めていた米国のCSN&Yに刺激されたという見方もあったが、それ以上に田舎のコテージでの録音という牧歌的な環境が反映されたように思う。「That’s the Way」のオープンGの響きとペダル・スティールの演奏はカントリー・ロックの影響はあるだろうが、実は英国の田園の美しさを描写しているのだろう。さらに、「Friends」のイントロについてもCSN&Yを彷彿させるが、その曲で用いられたCACGCEの変則オープンC6は、マーティン・カーシーやニック・ジョーンズも使ったCチューニングの発展形である。『Physical Graffiti』収録のフィンガーピッキングのインスト曲「Bron-Yr-Aur」も同じチューニングだ。

 71年の『Ⅳ』は、英国フォーク・ロックの最重要バンド、フェアポート・コンヴェンションからソロ歌手に転じたサンディ・デニーが「The Battle of Evermore」にデュエットで参加。ペイジがジョン・ポール・ジョーンズのマンドリンで作った曲だが、そもそもジョーンズがその楽器を弾き始めたのは、名盤『Liege & Lief』を聴いたのがきっかけだった。なお、ドロップDの響きを活かした「Going to California」はジョニ・ミッチェルへの言及と思われる一節もあり、彼女の変則チューニングを用いた音楽も愛聴していたようだ。

ギター・マガジン2022年2月号
レイド・バック期のエリック・クラプトン

本記事はギター・マガジン2022年2月号に掲載された『ブリティッシュ・フォークの迷宮。』から一部抜粋/再編集したものです。特集では、その特徴や歴史、注目ギタリストの紹介など、英国フォークの知られざる魅力をたっぷりと紹介しています。