AORへの移行期を優雅に泳ぎきった、ジェフ・バクスターという鬼才 AORへの移行期を優雅に泳ぎきった、ジェフ・バクスターという鬼才

AORへの移行期を優雅に泳ぎきった、
ジェフ・バクスターという鬼才

ドゥービー・ブラザーズを体現するパット・シモンズ、そしてバンドに新しい風をもたらしたマイケル・マクドナルド。これらをうまく融合し、アイデンティティを失わずにバンドをネクスト・ステージへと推し進めるのに、ジェフ・バクスターという男の存在が必要不可欠だった。今回は彼の功績について考えていこう。

文=近藤正義 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images

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新しい音楽性とドゥービーズらしさを融合させた功績

ジェフ・バクスターのプロとしてのキャリアのスタートは、ドゥービー・ブラザーズのほかのメンバーよりも早い。1967年に大学に入学したものの、すぐにドロップアウトして数々のローカル・バンドに参加。ロックバンド、アルティメット・スピナッチが1969年にリリースしたセルフ・タイトル作では、メンバーとして作曲、ギター、スティール・ギターで才能の片鱗をのぞかせている。

その後、スティーリー・ダンの結成に加わり、まだバンド形態だったスティーリー・ダンの初期3枚のアルバムで活躍。その間にもスタジオ・ミュージシャンとして数々のアーティストのレコーディングに参加。その1つだったドゥービー・ブラザーズには『スタンピード』(1975年)から正式メンバーとして加入している。

基本的な彼のギター・スタイルはスティーリー・ダンの初期3枚のアルバム『キャント・バイ・ア・スリル』(1972年)、『エクスタシー』(1973年)、『プレッツェル・ロジック』(1974年)ですでに完成されており、さらにスタジオ・ミュージシャンとしての仕事で得たセンスを活かしてドゥービー・ブラザーズに貢献した。トム・ジョンストン期からマイク・マクドナルド期へサウンドが変化した時にも、バクスターのギターは常にバックの演奏で存在感を示し、キーボードの占める割合が大きくなってきてもギター・バンドであることを守り抜いたのである。

ディストーションの効いたハードなロック、アコースティックでカントリー風味のシンガーソングライター系、ちょっとクランチ気味なソウル/R&B系、シャープなクリーン・サウンドによるジャズ/フュージョン系──何にでも対応できた彼の技術とセンスがあってこそ、ドゥービー・ブラザーズのサウンドは維持されていたと言える。

つまり、トム・ジョンストンが退いてからのバンドにおいて、もしバクスターがいなかったら、いくらマイク・マクドナルドが歌ったところで、よくいるブルーアイド・ソウルの歌手の一人に過ぎなかっただろう。また、パット・シモンズが作曲して歌ったところで、よくあるルーツ・ミュージック系の歌に過ぎなかっただろう。それらが“ドゥービー・ブラザーズの曲として”世に広く認められたのは、ジェフ・バクスターのギター・プレイがあればこそだったと言えるのではないだろうか。

AOR期のドゥービーズに必要不可欠な存在

『ドゥービー・ストリート』(1976年)に収録された「8番街のシャッフル」では、ディストーションの効いたトリプル・リード・ギターの一翼を担い、『運命の掟』(1977年)の「リトル・ダーリン」でもツイン・ギターによるハモりを聴かせた。さらに『ミニット・バイ・ミニット』(1978年)の「轍を見つめて」における、卓越したテクニックによるハードなソロなど、それまでのバンドのロッキンなイメージを維持している。

一方で、『ドゥービー・ストリート』に収録された「8番街のシャッフル」の、トリプル・ディストーション・ギター・バトルのあとに展開するセカンド・ソロ、「キャリー・ ミー・アウェイ」におけるクリーンのソロ、「運命の轍」におけるスピーディーでテクニカルなアプローチ、『運命の掟』のタイトル・ナンバー「運命の掟」など、ファンキーなソウル/ジャズ的インプロヴィゼーションを聴かせる。

こういったプレイはバンドのもう1人のギタリストであるパット・シモンズにも、またかつてのメンバーであったトム・ジョンストンにもできない。

いかがであろうか。ジェフ・バクスターのギターがあればこそ成立していた、AOR期のドゥービー・ブラザーズ。リーダーであるパット・シモンズはトム・ジョンストンが抜けても、ジェフ・バクスターがいればバンドを続行できた。しかしバクスターが抜けたら、マクドナルドがいても続行は無理だと考えた。

ところがマネージメントの関係から、すぐには解散できない。それで誕生したのがメンバーを補充して制作された『ワン・ステップ・クローサー』(1980年)とフェアウェル・ツアー(註:1982年/翌年に『フェアウェル・ツアー・ライヴ』として音源化)だ。これらがまったくの別バンドのサウンドになってしまったことが、バクスターの存在の大きさを逆説的に証明している。また、これらが終了した時点で、シモンズは待ち構えたかのように解散を表明している。影の立役者であったジェフ・バクスターのギター・プレイに改めて注目していただければ幸いである。

なお、バクスターが70年代の当時、メインで使用していたギターは友人に作ってもらったというSTタイプとストリング・ベンダーが組み込まれたTLタイプ。そして、ローランドのギター・シンセサイザーだ。