追悼 デヴィッド・リンドレー 弦楽器の魔術師が残した美しきメロディ 追悼 デヴィッド・リンドレー 弦楽器の魔術師が残した美しきメロディ

追悼 デヴィッド・リンドレー 
弦楽器の魔術師が残した美しきメロディ

様々な楽器を操るマルチ奏者、デヴィッド・リンドレーが、2023年3月3日にこの世を旅立った。ギター・マガジン読者にとっては、ビザール・ギターの愛好家としてもお馴染みだろう。ジャクソン・ブラウン作品への参加を始め、ライ・クーダーとの共演やソロ活動などをとおして、多くのギタリストを魅了してきたミュージシャンズ・ミュージシャンだ。ここでは哀悼の意を込め、彼の音楽家としての歩みを改めてご紹介したい。

文=小川真一 Photo by Luciano Viti/Getty Images

ジャクソン・ブラウンの音楽を彩った名手

マルチ・インストゥルメンタリストのデヴィッド・リンドレーがこの世を去った。2022年の末から体調の不良が伝えられ入退院をくり返していたというが、2023年の3月3日に遂に帰らぬ人となってしまった。明るくて、お茶目で、人懐っこい笑顔でお馴染みのリンドレーは、死という言葉からは一番遠い存在に思えていただけに、本当に残念でならない。78歳だった。

デヴィッド・リンドレーの名前を、ジャクソン・ブラウンとの共演で知った方も多いと思う。73年のアルバム『For Everyman』から付き合いが始まり、レコーディング、ツアーと長年にわたりジャクソンの良き相棒として活躍した。

得意のラップ・スティールだけでなく、バイオリン、ギターなども弾いているが、歌のメロディにも負けない美しいオブリガードがリンドレーの最大の特徴。ジャクソン・ブラウンの音楽の一部は、デヴィッド・リンドレーによって作られたと言っても過言ではないかもしれない。

ジミー・ペイジをして“理想のバンド”と言わしめたカレイドスコープ

リンドレーは、1944年3月21日にカリフォルニア州ロサンゼルス郡サンマリノで生まれた。父親は弁護士でSPレコードのコレクター。3歳でバイオリンを習い始めるが、才能を発揮し始めたのは5弦バンジョーを手にしてからだった。

17歳の時に、近所のトパンガ・キャニオンで開かれたバンジョー・アンド・フィドル・コンテストに出場し入賞。ここで奮起して、翌年の大会では見事優勝。その後4回続けてチャンピオンになり、あまりの上手さに引退させられ、審査員の席に座らされたほどだ。

学校の仲間を集め、ブルースグラス/オールドタイム・ストリング・バンドのマッド・マウンテン・ランブラーズを結成。このグループには、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの初期メンバーのクリス・ダーロウ、のちにカントリー・ロック系のセッションで活躍するギタリストのボブ・ワーフォード、ビル・モンローのブルーグラス・ボーイズを経てジム・クウェスキンのジャグ・バンドに参加するフィドル奏者のリチャード・グリーンが在籍していた。それにしても、凄い面々が集ったものだ。

マッド・マウンテン・ランブラーズは、ドライ・シティ・スキャット・バンドと名前を変え、ホリー・モダル・ラウンダーズに影響を受けたヒップなストリング・バンドになっていく。西海岸のアコースティック・シーンにも、ロックの革命は確実に押し寄せていたのだ。

次にデヴィッド・リンドレーが組んだのが、5人組のロック・バンド、バグダッド・ブルース・バンドだ。このグループはカレイドスコープと名前を変え、66年にエピック・レコードからデビューする。

世界中の民族音楽をサイケデリックに調理したのがカレイドスコープ。アラブ風あり、インド風あり、中近東風ありで、次に何が出てくるのかわからない奇怪なバンドだった。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジはこのカレイドスコープのことを、“俺のお気に入り、理想とするバンドで最高に素晴らしい”と語っている。

カレイドスコープ解散後に、デヴィッド・リンドレーは英国に武者修行の旅に出る。テリー・リードのグループに加わり、ライブ活動を行なうようになるのだ。

本格的にラップ・スティールを弾くようになったのはこの頃から。エレクトリックなスティールはハワイアンやウエスタン・スウィングなどでも使われるが、スティールにエフェクターのオーバードライブをかませ、ボリューム・ペダルでコントロールするスタイルは、デヴィッド・リンドレーの発明品と言ってもいいだろう。この魅力的なサウンドは、ジャクソン・ブラウンだけでなく、グラハム・ナッシュ、リンダ・ロンシュタット、ロッド・スチュワート、ウォーレン・ジヴォン、ショーン・コルビンなどのアルバムでも聴くことができる。

今も耳から離れない優しい歌声とビザール・ギターの音色

81年に自身のバンド、エル・ラーヨ・エキス(El Rayo-X)を結成し、アサイラム・レコードより待望のソロ・アルバムを発表する。アメリカのルーツ・ミュージックと世界中の音楽とをミックスし、それをレゲエで包み込んだようなサウンドで、ともかく気持ちよかった。最高のロックン・ロール・バンドともいえるエル・ラーヨ・エキスは、3枚のスタジオ・アルバムとライブEP1枚をリリースした。

ファースト・アルバム『El Rayo-X』の日本盤が発売された時のタイトルは『化けもの』。このタイトルはリンドレー自身が気に入って決めたというが、「化けもの」を「モンスター」という言葉に置き換えれば納得がいく。

リンドレーはビザールなギターの愛好者としても知られている。もともとがダンエレクトロやナショナルといったメーカーを好んでいたが、日本に来るようになってからはテスコやグヤトーンがそれに加わった。ほかにも、アコースティックなハワイアン・スティールのワイゼンボーン、中東のウード、ギリシャのブズーキなどもステージでよく弾いている。さすが弦楽器の魔術師だ。

エル・ラーヨ・エキスを率いての公演、ライ・クーダーとの2人旅、ソロ・アクトと、何度となく来日しているが、90年以降は、ハニー・ナッサーやウォーリー・イングラムといったパーカッショニストとの共演でライブを行なうことが多かった。弦楽器と打楽器だけの組み合わせになるが、まるで大勢のグループを率いているような力強いサウンドを奏でていた。

2014年にジャクソン・ブラウンのトリビュート盤に参加、ボニー・レイットと一緒にジャクソン作の「エブリホエア・アイ・ゴー」を歌った。その優しげな声が、今も耳から離れない。

ミスター・デイヴ、たくさんの音楽を本当にありがとうございました。