リトル・フィートの2nd作『Sailin’ Shoes』と続く『Dixie Chicken』が、リマスター&未発表音源を収録したデラックス・エディションとして再発された。その中心メンバーであるローウェル・ジョージのスライド・ギターは、バンドの最大の特徴と言えるだろう。今回はそんなローウェルのスタイルがどのように生まれていったのかを探っていきたい。彼が影響を受けたであろう楽曲をまとめたプレイリストとともにお届けしよう。
文/選曲=小川真一 Photo by Richard McCaffrey/ Michael Ochs Archive/ Getty Images
リトル・フィートの初期の傑作アルバム『Sailin’ Shoes』(72年)と、『Dixie Chicken』(73年)の2枚が、最新リマスターで復活した。今回は未発表音源を多数収録した2枚組のデラックス・エディション。最高にファンキーで濃厚なアメリカン・バンドの魅力を、再発見する良い機会だと思う。
『Sailin’ Shoes』
Little Feat
『Dixie Chicken』
Little Feat
まずはローウェル・ジョージのスライド・スタイルの特徴から
リトル・フィートといえば、やはりローウェル・ジョージのスライド・プレイに耳がいく。太いトーンでありながらも意外なほど繊細で、独自のロング・サステインを持っている。これらがローウェルの最大の特徴で、リトル・フィートを特別なバンドにしている重要な要素だ。
このローウェル独特のスライド奏法について考えてみよう。
ギタリスト視点で詳しく見ていくと、スライド奏法をする際に、グリッサンドや過剰なビブラートなどによる雑音のない音作りだと言える。スタイル的に似通っているライ・クーダーのプレイに比べてみても、雑味が少ないことがわかるだろう。
それに加え、スライド・プレイでありながら、単音メロディが正確なことも特徴の1つだろう。スラー気味に弾かずに、まるで指で弦を押さえているように端正に響かせる。
これらのプレイを支えているのは、Aチューニングというハイ・ピッチなオープン・チューニングと、愛用のMXRダイナコンプを有効に使ったコンプレッサー・サウンドだ。なおスタジオでのレコーディングの際には、2台のコンプレッサーを直列につないでいる。
またご存知のように、ローウェル・ジョージはスライド・バーとしてシアーズ・ローバック社のスパーク・プラグ・ソケット(13/16)を愛用していた。
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ローウェルのスライドを系譜的にみると、まずは戦前に活躍したブルースマン、タンパ・レッドの名前が浮かんでくる。単音によるスライド・プレイが美しく、スライドしたあとにかけるビブラートのタイミングなどがとても似通っている。
その流れにいるもう1人が、戦前はロバート・リー・マッコイの名前で活躍していたロバート・ナイトホークだ。タンパ・レッドのスタイルを継承し、やはり単弦のプレイを得意としていた。
ともに共通するのはスムースさ。スライド奏法とは思えないようなエレガントな響きが、ローウェル・ジョージに受け継がれているのだ。
影響を与えた5人のギター弾きたち
タンパ・レッド
ブルースマンらしからぬ丸顔でひょうきんな表情や、ピアニストのジョージア・トムと組んでいた時期の“ホーカム”と呼ばれたコミカルな曲調などもあり、正当に評価されていないブルース・ギタリストの1人。
1900年、ジョージア州アトランタ生まれ。20年頃にシカゴに出てきてから頭角を現わした。その腕前は確かで、戦前にはブルーバードやボキャリオンなどのレーベルに数多くの録音を残している。
単音を中心とするスライド・プレイは繊細でメロディック。音の余韻を残したままビブラートをかけるなど、独特のサウンドを作り上げている。前述のとおり、その影響はローウェルのスライド・プレイにも垣間見ることができる。
ロバート・ナイトホーク
戦前はロバート・リー・マッコイの名前で、アコースティック・ギターの弾き語りブルースマンとして活躍。戦後になると誰よりも早くエレクトリック・ギターに持ち替え、ロバート・ナイトホークの名でレコーディングを行なった。派手さはないが特有の雰囲気を持ったギタリストで、タンパ・レッドの影響を受けたスライド・プレイを得意としていた。
代表曲の1つ「Sweet Black Angel」で聴けるように、スライドしたあとに一呼吸おいてかけるビブラートや、デリケートで美しい音色など、ローウェル・ジョージに影響を与えた。
ハウリン・ウルフ
ギタリストではないのだが、ローウェル・ジョージが最も敬愛するブルースマンが、このハウリン・ウルフだ。リトル・フィートの71年のデビュー・アルバム(『Little Feat』)には、ウルフの「Forty Four」と「How Many More Years」がメドレーで演奏されている。
ここでのローウェルのボーカルはウルフそっくりで、まるでスピーカーが壊れたようなシャガレ声を聴かせている。なお、この曲にはライ・クーダーがゲスト参加していて、スライド・ギターの対決となっているのだ。
フランク・ザッパ
若き日のローウェル・ジョージは、フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インベンションに加入していた。70年のアルバム『Weasels Ripped My Flesh(邦題:いたち野郎)』に収録された「Didja Get Any Onya?」で奇っ怪な声をあげているのがローウェルだ。
ギタリストとしてザッパからどのような影響を受けたのか、このあたりは不明な部分が多い。たぶん、偏屈さと偏執さを受け継いだのではないのだろうか。
マザーズ在籍中のローウェルだが、ステージ上でアンプを電源を切り、そのままの状態で15分間のギター・ソロを弾いたという話が残っている。
ライ・クーダー
世代が近いこともあり、ローウェル・ジョージが最もライバルとして見ていた、ライ・クーダーの存在は大きかったはずだ。
71年のデビュー・アルバム『Little Feat』のレコーディング中に、ローウェルが模型を作っていて手のひらを怪我してしまう。そこで急遽呼び寄せたのがライだったのだ。こうしてオリジナル初出版の「Willin’」ができあがった。
72年のアルバム『Sailin’ Shoes』の録音時にこの「Willin’」が再演されるが、こちらにはペダル・スティール奏者のスニーキー・ピート・クライノウがゲスト参加している。
ローウェル・ジョージのスライド・スタイルに影響を与えた15曲
ローウェル・ジョージのスライド奏法がどこからきたのか、プレイリストにしてみた。こうして眺めていると、なんとなくではあるが系譜のようなものが浮かび上がってくる。
リストを作っていて発見したのは、スニーキー・ピート・クライノウなどの同世代の若手ペダル・スティール奏者からの影響があったのかもしれないということ。ハンド・ミュートを駆使してのサステインの出し方、特有のボイシングなど、意外なほど共通点が多い。