追悼 ロビー・ロバートソン 刺激的な名演の数々を残した、至高のメロディ・メイカーへ 追悼 ロビー・ロバートソン 刺激的な名演の数々を残した、至高のメロディ・メイカーへ

追悼 ロビー・ロバートソン 
刺激的な名演の数々を残した、至高のメロディ・メイカーへ

ザ・バンドや、ボブ・ディランのサポートなどで数多くの名演を残してきたギタリスト、ロビー・ロバートソンが2023年8月9日に亡くなった。80歳だった。

歌に寄り添いながらも、それとセットで口ずさんでしまう、美しい旋律の名伴奏を数多く残し、耳をつかんで離さないソロ・プレイや、エキセントリックな表現も聴かせてくれた。それらはエリック・クラプトンやジョージ・ハリスンなどにもインスピレーションを与え、現代の様々な音楽にいたるまで、大きな影響を及ぼしている。

忘れられない名曲、名演の数々で、我々の人生を豊かに彩ってくれたことへの感謝を込め、ギタリストとしてのロビー・ロバートソンの姿をここに記したい。

文=小川真一 Photo by Lester Cohen/Getty Images

今年はいったい何という年だろうか。数多くの訃報が続く中、今度は、ザ・バンドのギタリストであったロビー・ロバートソンが亡くなってしまった。彼のマネージャー、ジャレッド・レヴィンによると、家族に見守られながらこの世を去ったとのこと。80歳であった。

ロビーの死はあまりにも衝撃的な知らせだ。つい先日も、同じくザ・バンドのキーボード奏者ガース・ハドソンへ、誕生日祝いのメッセージを出していたし、14作目となる映画音楽作品、マーティン・スコセッシ監督の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(2023年)のサウンド・トラックを完成させたばかりであった。

ロックが進む方向を照らした、ザ・バンドの南部志向

2020年に公開されたドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』の中でも語られているが、ザ・バンドの誕生はそれ自体が神話のようであった。

1960年代初頭のカナダで、ロニー・ホーキンスのバック・バンドとして結成されたのが、ロビー・ロバートソンやレヴォン・ヘルム(d,vo)が在籍していた“ザ・ホークス”だ。このグループは1965年にボブ・ディランのバック・バンドに抜擢され、世界各地をツアーで回るように。

その当時から、ロビー・ロバートソンのギターは際立っていた。エキセントリックで衝動的、それでいてしっかりとアメリカのルーツ・ミュージックに根ざしている。まったく独自の語法を、その頃すでに身につけていたのだ。

その後、オートバイ事故により隠遁を余儀なくされたボブ・ディランに付き合い、メンバー全員でニューヨーク郊外のウッドストックに移り住む。この地の“ビッグ・ピンク”と呼ばれた家でセッションをくり返し、バンドの構想を練っていくこととなるのだ。

そして、1968年にザ・バンドと名乗り、デビュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を発表する。

このアルバムは様々な面で画期的だった。サイケデリアとプログレッシブなロックとが渦巻く1960年代の末期に、それらに背を向け、R&Bやゴスペルなどのアメリカ南部音楽の深淵をなぞるような、土臭いサウンドを作り出していったのだ。

続く1969年のセカンド・アルバム『ザ・バンド(通称ブラウン・アルバム)』には、そぼ降る雨に濡れた5人の男たちが写っている。まるで老成した中年男のように見えるが、全員が20代の若者であったのだ。この複雑なパラドクスが、ザ・バンドの中核となるサウンドであった。

そして、デビュー作『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』に収められた「ザ・ウェイト」は、映画「イージー・ライダー」の中でも使われ話題を呼ぶことになる。

このザ・バンドの南部志向は、英国のミュージシャンに大いなる刺激を与えた。

1969年の夏に、ザ・バンドはボブ・ディランと共に英ワイト島で行なわれたフェスティバルに参加するのだが、そこにはザ・ビートルズのメンバーを始め、エリック・クラプトンやローリング・ストーンズの面々など、有名ミュージシャンがこぞって観に来ていた。

その後のジョージ・ハリスンのスワンプ志向、エリック・クラプトンの米国行きなどの発端となったのが、ザ・バンドの演奏であったのだ。英国だけでなく世界的に見ても、ロックに与えた影響は計り知れない。

ピッキング・ハーモニックスを使った唯一無二の表現

ロビー・ロバートソンのギター・スタイルを特徴づけているのが、チョーキング・ビブラートとピッキング・ハーモニクスだ。ピッキング・ハーモニクスはカントリー・ミュージックで使われるチキン・ピッキングを拡張したもので、ピック弾きとミュートさせた指弾きとのコンビネーションによって独特の“コキコキ”としたサウンドを生み出す。

こう書くと簡単そうなのだが、コントロールが非常に難しい。ピッキング・ハーモニクスを1〜2音だけ交えて弾くギタリストはいるが、この奏法を中心に据えてフレーズを組み立ててしまうのは、ロビー・ロバートソンだけ。これはもう彼の発明品だと言っていいだろう。

実際の例を挙げると、「Unfaithful Servant」(ザ・バンド『ロック・オブ・エイジス』72年)、「It Makes No Difference」(ザ・バンド『南十字星』75年)、「Forbidden Fruit」(『南十字星』)などでの名演が残されている。

ボブ・ディランと共演した1974年のアルバム、『プラネット・ウェイヴズ』に収録された「Going, Going, Gone」でのプレイは、その中でも絶品。ピッキング・ハーモニクスだけでなく、さらにトレモロを交え、激情の限りをギターに込めた壮絶なソロを展開している。

思わず背筋が凍りついてしまいそうになるが、これは歌心があってこそのもの。主役を押しのけるような我儘なソロではなく、あくまでも歌に寄り添っていくギター・ソロなのだ。

伝説の一夜を経て、自身の音楽表現を突き詰めていく

1976年にザ・バンドは活動の停止を宣言。米サンフランシスコのウインターランドで、解散コンサートとなる“ラスト・ワルツ”を開催する。このイベントには、マディ・ウォーターズ、エリック・クラプトン、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ボブ・ディランらがゲスト参加し、ロックの大饗宴となった。

マーティン・スコセッシ監督によって撮影され、ドキュメンタリー映画にもなったので目にされた方も多いはず。映画の中では、エリック・クラプトンとロビー・ロバートソンによる丁々発止のギター・バトルを観ることができる。

ロビー・ロバートソン(左)とボブ・ディラン(右)
1976年11月25日、“ラスト・ワルツ”の一幕。ロビー・ロバートソン(左)とボブ・ディラン(右)。

ザ・バンド脱退後のロビー・ロバートソンは、音楽プロデューサー、音楽監督として数多くの映画作品を手掛けていく。

そして、1987年からはソロ・アルバムの制作を開始し、ニューオーリンズの音楽に材をとったものや、自身のルーツであるネイティヴ・アメリカンをモチーフにしたアルバムなどを発表した。その最新作であり、遺作となってしまったのが、2019年の『シネマティック』だ。

本作の中には、「Once Were Brothers」が収められている。この曲は映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』の中でも使われたが、“明かりが消える、もう動けないが兄弟たちが恋しい。かつて僕らは兄弟だった”と切なく歌われている。

最後の最後まで、ザ・バンドという絆を大事にしたいと思っていたのが、ロビー・ロバートソンだったのではないだろうか。