イギリスでの成功を収めたジミ・ヘンドリックスが、どのようにアメリカ進出を果たすのかを模索していた1967年。ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの新作『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル 1967』は、そんな当時のジミの不安やチャレンジ・スピリットを垣間見ることができる貴重な記録だ。
今回は本作に収録された8月18日の米ハリウッド・ボウルでのライブの詳細や、そこで聴けるギター・プレイについてを徹底的に深堀り! アルバムを聴きながら本記事を読めば、きっとジミが演奏している姿が見えてくるはず!
文=fuzzface66 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
正真正銘、“世界初解禁”のジミ・ヘンドリックス
またしてもジミ・ヘンドリックスの新譜が登場した。しかも今回リリースされた『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル 1967』は、これまでオフィシャルではもちろん、非公式なルートでさえ一切出回ったことがないものだ。
1967年8月18日、米LAのハリウッド・ヒルズにある野外ステージ“ハリウッド・ボウル”で開催されたママス&パパスのコンサートにおいて、サポート・アクトを務めたジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの演奏が収められている。
『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル 1967』
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
【収録楽曲】
- イントロダクション
- サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
- キリング・フロア
- 風の中のマリー
- フォクシー・レディ
- キャットフィッシュ・ブルース
- ファイア
- ライク・ア・ローリング・ストーン
- 紫のけむり
- ワイルド・シング
当日の会場で音響を担当した、地元AMラジオ局の技術スタッフが録音したテープがマスターとなっているが、正直これまでオフィシャル・リリースされてきたライブ・アルバムと比べると、サウンドの広がりや各パートの音量バランスなどに若干のブートレッグ感が漂っているかもしれない。
しかしそれでも、エディ・クレイマーやバーニー・グランドマンらの修復作業により、ステージの様子はもちろん、サウンドの厚みなども十分に伝わる仕上がりとなっている。
まずはその内容について触れる前に、当時のジミの状況を整理しておこう。
苦いアメリカでの記憶と、不屈の魂
1966年10月にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしてデビューするやいなや、ジミはヨーロッパを中心に一躍スターダムへとのし上がり、翌年6月のモンタレー・ポップ・フェスティバルで、ついに衝撃的な全米デビューも果たした。しかし、まだまだアメリカではクラブ回りのギグしかなく、これからどのようにしてシーンへと切り込んでいくかを考えねばならなかった。
そんな矢先にマネージャーのマイク・ジェフリーが意気揚々と取り付けてきたのが、アイドル・バンド“ザ・モンキーズ”との不釣り合いなパッケージ・ツアーだった。7月に行なわれたこのツアーは、案の定、失敗に終わる。そしてジミたちは再びクラブ回りに戻ることとなった。
そんなジミたちに声を掛けたのが、モンタレーで共演したママス&パパスのリーダー、ジョン・フィリップスである(彼はモンタレー・フェス発足の中心人物でもあった)。
こうしてジミたちは、約18,000人を収容する大規模なハリウッド・ボウルで開催されるママス&パパスのパッケージ・ショーに加わることとなったのだ。しかし、ライブ当日の午後にインタビューを行なった地元紙“オープン・シティ”のボブ・ガルシアによると、ショーが始まるまでジミは“心ここにあらず”と言わんばかりにナーバスな状態だったという。
無理もない。いくら2ヵ月前にモンタレーで拍手喝采を浴びてはいても、つらい下積み生活を過ごした母国アメリカが、今やっている自分の音楽をヨーロッパと同様に受け入れてくれるかはまったくの未知数だったし、先行してリリースした2枚のシングル「Hey Joe」と「Purple Haze」もアメリカでは不発に終わっている。それに前月のモンキーズとの散々なツアーの経験も尾を引いていただろう。
ただ、このインタビューでジミは、“流行を作り出すチャンスは自分たちにだってあるはずだ”とも語っている。
そんな状況で迎えた本番、ジミたちは、オープニング・アクトとしてステージに登場した。
アウェーの会場を徐々に盛り上げていく
メイン・ギターは前月の7月初旬にNYで入手したオリンピック・ホワイトの1967年製ストラトキャスター(トランジション・ロゴ、ラージ・ヘッドのローズウッド指板)。
足下には“ピクチャー・タイプ”と呼ばれる初期型のVOX Clyde Mccoyワウ・ペダルと、シルバー筐体のゲルマニウム・タイプFuzz Faceが並べられ、薄暗い後方には100Wのプレキシ・マーシャルとDual Showmanのようなフェンダー・アンプの両インジケーター・ランプが灯っている。
“笑ってくれてもかまわないよ。ただし、キーは合わせてね”と、ユーモアと自虐が交錯するような短いスピーチのあと、ジミたちは大きな音で「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」をプレイし始めた。
いつも以上に力強いジミの歌声からは、自らを奮い立たせようとする気概のようなものが伝わってくる。そして、ソロの途中でFuzz Faceを踏み込んだあたりでは、口を尖らせ、腕を大きく振り上げているであろうジミの姿が目に浮かぶ。
暖かくも、まだまだ様子見といった観衆の拍手のあと、入れっぱなしのFuzz Faceで増幅させたジミのギターが、狼の如く夜空に唸りを上げる。そしてギターのボリュームを下げた瞬間、激しいカッティングでハウリン・ウルフの「Killing Floor」へと切り込む。
2ヵ月前のモンタレーのように突っ走る感じというよりは、“これが自分たちのやり方なんだ”と、観衆に投げ掛けているようなプレイだ。ギターのボリュームをフルにし、ハンマリングやオーバー・ベンドでライディングするソロも“ジミらしさ”全開である。
拍手に交じっていくらか歓声も上がる中、続くのは「The Wind Cries Mary」。
先の2曲とは打って変わってFuzz Faceはオフ。ストラトキャスターのボリュームを調節し、シンプルでキリっとしたマーシャルのクリーン・トーンを聴かせるバラード・ナンバーだ。だが、まだ観衆の反応を掴みきれていないせいか、2番のところで歌詞が飛んでしまう。しかし、挫けることなく最後まで丁寧にプレイした結果、拍手とともに、この日初めて“Foxy!”とリクエストが上がる。
“自分たちのことを知ってくれている”と、少し色めき立つミッチやノエルをよそに、ジミはあくまでクールにリクエストに答え、Fuzz Faceを踏み込んで「Foxy Lady」のフィードバックへと入っていく。
何度も弦をクネらせグルーヴするジミに、ノエルの吐息混じりのコーラスが乗り、ミッチの攻撃的なフィルが加わる。10ヵ月間ともに闘ってきたバンドの本領発揮だ。
母国アメリカとジミの心をつなぐ、“ボブ・ディラン”
しばしのインターバルの間に、ジミはギターをストラトキャスターから、ペイントされた1967年製の黒いギブソン・フライングVへと持ち替え、マディ・ウォーターズの「Catfish Blues」へとなだれ込む。
燃え盛る炎のようなソロに続き、エルヴィン・ジョーンズばりに叩きまくるミッチのドラム・ソロを挟むと、ジミはこの日初めてワウをオンにした。前月から使い始めた新兵器のワウは、その後、数々のジミのサウンドを彩るトレードマークとしても定着するが、ここでは、泥を舞い上げ、水底を妖しく這い回る“Catfish=ナマズ”の姿を見事に表現している。
そして再びリクエストをもらって、今度は「Fire」へと突入。
ここでもソロでワウをオンしているところに注目してもらいたい。この頃からすでにFuzz Faceとの併用でトレブル・ブースター的にもワウを使いこなしている様子が確認できる(「Fire」のソロは、スタジオではオクタビアを使用していたが、ワウを踏み下げ高周波を強調させることで代用しているというわけだ)。なお、ギターは再びストラトキャスターへと変更している模様。
そしてようやく観衆も暖まってきた中、ジミが選んだ次の曲は、敬愛するボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」。
ステージ全体を通して力強く歌うジミのボーカルと、合間に挟み込まれるセンスの塊のようなオカズ・フレーズの連発は、この日のハイライトと言える。
何より、彼の頭の中で散らばっていた断片的なアイディアの数々に“ボブ・ディラン”というエッセンスが一滴ポタリと落ちたことで化学反応が起こり、それをきっかけにヨーロッパで大爆発したジミにとって、「Like A Rolling Stone」は特別な1曲でもある。それゆえ、自分のことをまだ知らないアメリカの観衆に向けてこの曲をプレイすることに、ジミはきっと強い意義を見出だしていたはずだ。圧巻のパフォーマンスに一層大きな歓声があがっている。
続いてジミたちは「Purple Haze」へと突入するが、ややテンポの速いバージョンはモンタレーを彷彿させる。
ショー全体にも言えることだが、ゲルマニウムFuzz Faceによる有機的なミドルの張り出しと、ハスキーなマーシャルのトーンが見事にマッチし、ここでも絶妙なドライブを効かせている。ジミの魔術的なハンド・ビブラートから放たれるサステインの色香にも注目だ。
そして、この日のラストに選ばれたのは「Wild Thing」。ジミはすぐさま、“乱暴に扱う用”として準備しておいたサブのストラトキャスターに持ち替えた。3ヵ月後の英ブラックプール公演でも投げ飛ばされていた、あのべっ甲柄ピックガードが付いた白いストラトキャスターだ。
この曲はジミがグリニッチ・ビレッジに活動拠点を移した下積み時代にラジオで頻繁に掛かっていたヒット・ナンバーで(英バンド、“トロッグス”がリリース)、一部では冗談としか受け取られていないような曲だった。しかし、ジミのアンテナにはビンビンと引っ掛かっており、すぐにレパートリーに加えられた。以来ジミはこの曲を文字どおり、よりワイルドでエロティックなものへと磨き上げ、視覚的にも刺激の強いステージングを行なうようになった。
さすがに、この日は火こそ放たれなかったものの、それでもトレモロアームを手綱にしてギターに馬乗りになり、最後は頭上高くから放り投げている状況が、音からもはっきりと感じ取れる。
“無名である”という状況との奮闘の記録
ナーバスな状態を抱えながら始まったハリウッド・ボウルのステージだったが、最後まで感じるままに表現することを貫き通したジミは、観衆に感謝を述べ、ステージをあとにした。散らかったままのステージではストリング・カルテットがベートーベンを演奏して間をつなぎ、セット・チェンジを済ませてからメイン・アクトのママス&パパスが登場したという。
たしかに、この夜ハリウッド・ボウルに集まった人たちにとってジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは刺激が強すぎたかもしれない。しかし、ジミたちはこのあと間もなくアメリカをも飲み込み始める。
そして、この日から13ヵ月後には、同じハリウッド・ボウルのステージでメイン・アクトを務めるまでのビッグ・ネームとなり、満員の観衆を狂乱の渦に巻き込んだ。
今回のリリースは、一度も世に出回ったことがない音源としても当然貴重だが、無名に近いジミが、不安と緊張の中でも媚びることなく、自身の信念を貫き通す姿を記録したという点でも、十分価値のある作品と言えるだろう。
作品データ
『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル 1967』
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
ソニー/SICP-6552/2023年11月10日リリース
―Track List―
- イントロダクション
- サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
- キリング・フロア
- 風の中のマリー
- フォクシー・レディ
- キャットフィッシュ・ブルース
- ファイア
- ライク・ア・ローリング・ストーン
- 紫のけむり
- ワイルド・シング
―Guitarist―
ジミ・ヘンドリックス