2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第12回
1970年代のビンテージ・ギター・シーン1
70年代は “ビンテージ・ギター市場” がまだ確立されていなかった。特に日本では、ビンテージ以前にギブソンやフェンダーなど海外の有名ブランドの現行品もまだ市場に少なく、ビンテージの魅力を語るユーザーなどいるはずがなかった。
しかしアメリカでは、ニューヨークの48丁目通りやロサンゼルス、サンフランシスコ、ナッシュビルなど一部の地域で、中古やビンテージ・ギターを積極的に扱うショップが存在していた。もともとアメリカにはアンティークな物を大切に扱い売買するというリサイクル文化が根付いており、古いクルマや楽器、家具、衣類、美術品や装飾品などを扱うショップが数多く存在していた。
当時は、古いギターのことを日本やアメリカでは “ビンテージ” ではなく “オールド” と呼んでいた。マーティンやギブソン、エピフォンなどの歴史的なギターやマンドリン、バンジョーなどがオールドとしてそれらのショップで販売されていた。
しかし当時は、現代のビンテージ・ギター市場とはまったく異なり、戦前に生産された一部のアコースティックや特別な高級モデルを除いてあまり高価ではなかった。というのも、1958〜1960年に生産されたレス・ポール・スタンダードであっても、70年代初頭であればまだ生産されて12~13年しか経過していない。これを現代に当てはめれば、2010年代初頭に生産された近年のギターということになり“ビンテージというより中古ギター”の範疇である。
当時アメリカやイギリスの一部のロック・ギタリストたちは、古いギターのサウンド的な魅力もさることながら、現行モデルよりも手軽に入手できる中古ギターとして50年代や60年代の製品を求める人が多かった。70年代にオールド・ギターとしてアメリカで扱われていたのは、エレクトリック・ギターではなく、戦前に生産されたアコースティック・ギターやアーチトップ、マンドリンなどが主である。ビンテージ・ギターの人気が高まり、市場が活性化して50年代や60年代の製品が高価で販売されるようになったのは80年代に入った頃からである。





プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。現在フリーランスの編集者として活動中。アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。