連載:『Player』盛衰記 第18回|編集長 河島彰 連載:『Player』盛衰記 第18回|編集長 河島彰

連載:『Player』盛衰記 第18回|編集長 河島彰

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第18回
編集長 河島彰

1975年11月から、西新宿のプレイヤー・コーポレーションでアルバイトが始まった。当時のプレイヤーは、朝9時半から夕方6時までが基本的な勤務時間だった(昼休み1時間を含む)。

私が入社した頃は、代表取締役社長が赤星建彦先生。私を面接してくれた山中多賀子さんが発行人で、経理と広告営業を担当。編集部はアルバイトの自分を含めて4名の計6名のスタッフだった。しかし、赤星先生と山中さんはほとんど編集の仕事には関わっておらず、実質的に4名で『Player』を制作していた。

当時はあまり広告も入っていなかったので、広告部というセクションはなく、編集部が担当していた。アルバイトの私を含めて4名というのは、1冊の雑誌を作る体制として少なすぎるが、当時の『Player』はわずか44ページというペラペラの体裁で、カラー印刷は表紙まわりのみ、あとは2色ページだった。

編集部の4名はみんな20代前半から半ばと若く、それぞれ個性的ではあるが親しみやすい人ばかりだった。それもあって社内は会社というより大学サークルのような雰囲気が漂い、編集長の河島さんを中心に常にオフィスは和やかな雰囲気に包まれていた。その時のメンバーは以下のとおり。

編集長河島彰氏。70年代前半の『Player』は、河島さんの思い描いた雑誌で、人気の有名アーティストより、マニアックで実力派のロック・ミュージシャンにスポットを当てた記事が多かった。河島さんは楽器に関する記事も担当したが、おもにミュージシャン関連の記事が多く、渋いミュージシャンのセレクトが読者から評価されていた。話好きで、賢く、アイディアマンでもあり、楽器と音楽に関する知識も豊富で、いつも会社の中心的な存在だった。編集部には常にギターが置いてあり、河島さんが一息つく時はいつもそのギターをつま弾いていた。

河島さんはレコード会社のプロモーターとも親しく、彼らが新譜のプロモーションで白盤(白いラベルのサンプル・レコード)を持ってオフィスに来ると色々な話題で盛り上がり、1時間でも2時間でも話をしていた。時々、女子高生や女子大生の読者がオフィスに差し入れを持って遊びにくることもあり、社内がひときわ華やぐこともあった。そんな当時の来客の中に、現在もお付き合いしている翻訳家・通訳の前むつみさんがいた。彼女は当時大学生だったが、ロリー・ギャラガーのファンクラブを運営していて、英語が堪能で英国のロックに精通していた。その後、洋楽系の某レコード会社に就職し、退社後はフリーランスで音楽関連の仕事をされ、エリック・クラプトンのファンクラブ「スローハンド・クラブ」でも色々とお世話になるなど、彼女とは公私共に40年以上のお付き合いがある。

河島さんはアートも大好きで、デザイナーとしてのセンスがあり、編集者であると同時にデザイン、レイアウトも担当していた。写真を入手できないアーティストや楽器などは、レコード・ジャケットやほかの音楽雑誌、コンサート・プログラム、カタログなどを見ながらイラストを描いて掲載することもあり、彼の描いたイラストがカバーや広告に使用されることも度々だった。

次回は河島さん以外のスタッフについて紹介しよう。

『The Young Mates Music』の4冊分の表紙
『Player』は1974年まで『The Young Mates Music』という名称だった。なんとも手作り感満載のデザインが昭和レトロを彷彿とさせる。ロゴのデザインも何度か変更された。
『Player』1975年12月号の目次ページ
1975年12月号のコンテンツ。カバー・ストーリーは竹田和夫だったが、それを挟んで「読者の広場」や「質問箱」といった読者参加型の企画コーナーが巻頭にあった。
ピーター・フランプトン・インタビューのページ。左はグヤの広告。
ピーター・フランプトンのメイン・インタビューはアメリカの『Guitar Player』からの転載で、内容も充実していた。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

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『Player』盛衰記