連載:『Player』盛衰記 第24回|思い出の『Player』1975年12月号 連載:『Player』盛衰記 第24回|思い出の『Player』1975年12月号

連載:『Player』盛衰記 第24回|思い出の『Player』1975年12月号

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第24回
思い出の『Player』1975年12月号

私がプレイヤー・コーポレーションに入社したのは、1975年11月1日だった。編集のことや出版、印刷のことなど、何も知らない状態でプレイヤーのアルバイトが始まった。

当時の勤務時間は9:30から18:00(お昼の1時間を除く)。タイムカードはなく、だいたい9時半前後になるとスタッフが出社して仕事が始まる。初日は、以前私を面接してくれた山中さんが簡単にシフトや交通費の精算方法、朝の挨拶と掃除は積極的にすることなど、プレイヤー・コーポレーションの基本的なルールを説明したあと、私をスタッフ(赤星先生、河島編集長、関原副編集長、戸井田瑠美子)に紹介してくれた。

与えられたデスクについて“今日からどんな仕事をするのだろう……”と不安な気持ちでしばらく声がかかるのを待っていたが、スタッフはみんな黙々と自分の仕事をしている。私はすることがないのでやや暇をもて余していると、いきなり赤星先生が、“オイ! ボーッとしてるんじゃないよ!”さらに“することがないなら、プレイヤーの文字でも数えてろ!”と冗談半分で怒られてしまった。“赤星先生は怖い人……”と思ったのが第一印象だった。あとからわかったことだが、私が入社した時はちょうど12月号の締め切りで、河島編集長を始め、みんな自分の仕事が忙しく、アルバイトに仕事を教えている余裕などないタイミングだった。

数日後、12月号の色校正が届き、編集部がザワついてきた。表紙には当時デビューしたばかりのクリエイションの竹田和夫がサンバースト・レス・ポールを手にしたライブ写真が使用されていた。その色校正を見ながら、“タイトル文字はもっと明るい色の方がいいんじゃないの?”というような会話をしながら、校正紙に赤のサインペンで何やら文字を書いていた。なるほど、こうやって雑誌ができていくんだ……。

当時の『Player』は毎月2日ではなく15日に発売されていた。11月10日頃に完成した12月号の見本誌を1冊受け取り、1ページ1ページ内容を見たが、入社前よりもなんだか難しそうな雑誌に見え、“この会社でやっていけるのかな……”と、ちょっと不安になった。その時の『Player』はA4判、44ページで、表紙、表2、表3、表4だけがカラー、残りの本文40ページは2色印刷と1色印刷というちょっと変わった体裁だった。中綴じの雑誌スタイルではあるが、なにしろ44ページしかないので厚さは2mmほどしかなく、雑誌というよりはパンフレットのように見える。当時の定価は180円だったが、70年代半ばの大学卒の初任給が80,000円ほどだったので、現在の物価に換算すれば600円くらいだろうか。しかし、当時は書店ではなく楽器店の店頭でフリーで配布されていたことが多く、購読していた人もあまり“買う”というイメージではなかったかもしれない。

1975年12月号の内容を簡単に紹介しよう。メイン・インタビューは、クリエイションの竹田和夫とピーター・フランプトンの2本立て。フランプトンの2枚組ライブ・アルバム『Frampton Comes Alive!』(1976年)はアメリカのビルボード誌で1位を獲得した大ヒット作だが、そのリリース直前の貴重なインタビューである。これは取り下ろしではなく、当時交流が深かった『Guitar Player』からの転載。そして竹田和夫は、クリエイションが東芝レコードから1stアルバムをリリースした時で、河島さんによる取り下ろしインタビュー。

『Player』の中面画像
︎12月号のカバーストーリーは竹田和夫(クリエイション)のインタビュー。表紙はクリエイションのライブ写真だった。

そのほかに「グレコのオーダーメイド・ギター特集」として、38本のカスタム・ギターの紹介。また「ヨーロピアン・ロック・キーボーダー達」というキーボード・プレイヤーの特集も掲載されているが、どれも楽器関連の記事ばかりだ。

そのほかには、毎月連載されているミュージシャンのコラムや定期コーナーもあるが、今見ると思いのほか大きな扱いになっている。しかも、巻頭に掲載されているのがメイン・インタビューや特集ではなく、「読者の広場」や「質問箱」といった読者参加型連載コーナーになっているのがなんともユニークだ。

『Player』の中面画像
︎グレコのカスタム・ギターが38本ズラリ! なんとも70年代らしいデザインのギターが多い。『楽器フェア 75』のレポートも掲載されている。

コラムの原稿を書くにあたり、その12月号の「竹田和夫インタビュー」を50年ぶりに読み返してみた。イントロに続く最初の質問が“ギターを始めた頃の経緯を……”という書き出しだった。この質問は、新たなアーティストを紹介するインタビューではお約束の質問で、私も散々同じ質問をしてきたが、“50年以上前から続いていたんだ……”と思うと、妙に嬉しくなった。ほかの質問も、ギタリストがギタリストに聞いてみたい内容がほとんどで、『Player』の基本的なインタビュー・フォーマットがすでにできあがっていた。

また面白いのが、楽器に関する名称が現在とはやや異なるものがある。例えば、ピックアップのことを“マイク”、エフェクター/ペダル類を“アタッチメント”、シングル・カッタウェイを“ワン・カッタウェイ”という言い方をしていて、50年という時の流れを感じた……。

そのほかに、この12月号には私が『Player』に就職するきっかけとなった大学サークルの先輩、大塚康一さんの『イージ・ギター』というコーナーや、読者からの投稿を掲載した『読者の広場』などがあり、ちらっと見るつもりで読み返してみたが、気がついたら1時間近く昔の『Player』を読んでいた。次回は、当時『Player』に掲載されていた広告に関して紹介しよう。

『Player』の中面画像
︎「新譜紹介」は今も昔も定番コーナー。75年はエリック・クラプトンの『E.C. Was Here』、ブルース・スプリングスティーンの『Born To Run』がリリースされた年だった。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。

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『Player』盛衰記