連載:『Player』盛衰記 第27回|大きな転機となった『楽器の本 1976』その② 連載:『Player』盛衰記 第27回|大きな転機となった『楽器の本 1976』その②

連載:『Player』盛衰記 第27回|大きな転機となった『楽器の本 1976』その②

2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。

文=田中 稔

第27回
大きな転機となった『楽器の本 1976』 その②

前回のコラムでは、1976年6月に発売された『楽器の本 1976』がどのようなコンセプトで制作されたのかについて紹介した。今回は、そのムック本に掲載された記事の内容に関して、具体的に紹介しよう。

『楽器の本』の総ページは324ページ。当時の『Player』の約8倍のボリュームがあり、しかもその大半がカラー・ページというかなり豪華な体裁だった。今から考えると、月刊誌『Player』のほかに8冊、計9冊分の月刊誌を通常のスケジュールの中で同時進行したようなものだが、同じスタッフでよくぞ完成した。社内は、この『楽器の本』の製作で朝から晩まで仕事に追われ、土曜・日曜もなく(といっても、当時はもともと土曜日は休みではなかったが……)、朝早くから真夜中まで編集作業が続き、会社に泊まることも度々あった。

しかし、それぞれが“なんとか力を合わせてこの本を完成させたい”という思いだけで仕事をしており、誰一人として文句や愚痴を言う人はいなかった。むしろ仕事に集中している時の充実感と、社内の一体感が心地良く感じられたのを覚えている。

では、そうして完成した『楽器の本 1976』の内容を紹介しよう。まず巻頭を飾るのは、河島編集長と奈良さんとで現地取材したアメリカの楽器/音楽シーンのレポート。アメリカ西海岸から東海岸まで、日本ではまったく知られていない音楽スポットやギター工房、人気ギター・ショップ、レコーディング・スタジオ、ミュージシャン、ギターのスペシャリストなどを訪ね、数多くの話題を取材している。

それらの中で特に注目に値するのは、まずはAlembicのギター工場取材だろう。サンフランシスコの街はずれにあるアレンビックは、もともと1960年代末にコンサート用PAシステムの会社としてスタートした音響のスペシャリストたちの集まりだった。しかし、中心人物のリック・ターナーとロン・ウィッシャーカムが大のギター・マニアだったことから、エンジニアならではの発想にもとづく画期的でハイクオリティなエレクトリック・ベースやギターを創作し、70〜90年代にかけて世界中のギター・シーンに多大な影響を与えた。

『楽器の本』が発売された70年代半ばというと、Alembic製品はまだ日本に入荷しておらず、ブランドの存在すらほとんど知られていなかった。この記事を通じてその存在が明らかとなった。

ハリウッドのサンセット・ブールバードにあるウォーのレコーディング・スタジオも紹介している。もともと体育館として使用されていた大きな建物を自分たちで改造して作り上げた手作り感満載のスタジオの内部を、エンジニアのクリストファー・ハストン自身が紹介している。隣の駐車場には、16チャンネル・ミキサーを含むレコーディング機材を満載した大型トラックの移動スタジオもあり、有名アーティストのライブ・レコーディングで活躍している。こんなマニアックなスタジオの存在を日本に初めて紹介したのも『楽器の本』だった。

当時、我々と交流があったアメリカのギター専門誌『Guitar Player』の発売元であるGPIコーポレーションのオフィス紹介。サンフランシスコのダウンタウンから車で約1時間ほど走った郊外にそのオフィスはある。当時『Player』は、『Guitar Player』からインタビュー記事の提供やライター、フォトグラファーの紹介など、いろいろな形でサポートを受けていた。一流ミュージシャンによる楽器講座や充実した内容の専門的な記事など、『Player』のベースとなるコンセプトは『Guitar Player』を強く意識したものだった。『Player』という雑誌名は、そんな『Guitar Player』に対するリスペクトを込めて命名されている。当時日本に音楽雑誌はいくつも存在していたが、楽器雑誌と呼べるのは唯一『Player』だけだった。

『楽器の本 1976』の中面
西海岸の街はずれにある『Guitar Player』のオフィスも紹介している。GPIコーポレーションでは、『ギター・プレイヤー』のほかに、『キーボード・プレイヤー』も発刊。当時の編集部では、タイプライターが使用されていた。

ボブ・ウェアーの自宅訪問。ジェリー・ガルシアとともにグレイトフル・デッドのオリジナル・メンバーとして知られるギタリスト、ボブ・ウェアー(2026年1月他界)。『楽器の本』では、なんと彼の自宅を訪ねての取材も行なった。ギブソン・スタイルのスクロール・ヘッドが特徴のアイバニーズ・ギターを手にしている半世紀前のボブの若々しい姿が大きく掲載されている。

『楽器の本 1976』の中面
今年1月に他界したボブ・ウェアーの自宅も訪れた。近年70年代のアメリカン・ミュージックを創造してきた重鎮達が相次いで他界しているのが残念だ……。ご冥福をお祈りする。

当時ニューヨークの48丁目には、数多くの人気ギター・ショップが連なっていた。マニーズ・ミュージカル・インストゥルメンツやアレックス・ミュージック・センター、サム・アッシュ・ミュージックなど、小さな店内には所狭しと中古やビンテージ・ギター(当時はオールドと呼ばれていた)が並んでおり、有名ギタリストも数多く出入りしていた。

販売価格を確認すると、1952年製レス・ポール・モデルが750ドル、63年製ファイアーバードが850ドル、60年製テレキャスターが424ドル、なんと58年製オリジナル・フライングVが1,750ドル! 今より2桁違うその安さにびっくり! 当時プロミュージシャンの溜まり場だったそれらの楽器店の多くは現在存在しておらず、50年という月日の流れを感じる。

1974年にアメリカで発売された書籍『THE GUITAR BOOK』(ハーパー&ロウ)は、エレクトリックとアコースティック・ギター、そしてその周辺機材にまつわる貴重な資料を270ページにわたって紹介したギターのバイブルとして知られている。アメリカでは何度も再版や改訂版が発売されたロングセラーで、日本でもリットーミュージックがその翻訳バージョンを発売した。この書籍の著者はロサンゼルス在住の若きギター研究家、トム・ウィーラー。『楽器の本』では、トムの自宅を訪ね、彼に取材を行なっている。1970年代半ばは、日本ではまだギブソンやフェンダー・ギターが珍しかった時代だが、すでにアメリカのギター・シーンの最前線を取材、紹介していた。

『楽器の本 1976』の中面

1974年にアメリカで発売されたギターのバイブル『ザ・ギター・ブック』は、再販を重ねたベストセラーとして知られる。
『ザ・ギター・ブック』
日本ではかつてリットーミュージックから『ザ・ギター・ブック』の翻訳バージョンが発売された。

1970年代は、ロサンゼルスのサンタモニカ通りにいくつかの有名ギター・ショップが並んでいた。その1つに、プロ・ミュージシャンに人気の「ウェストウッド・ミュージカル・インストゥルメンツ」がある。店に入ると、ギブソンやフェンダーの最新モデルから、100年以上前に製作されたクラシカルな古楽器までズラリと壁にかかっている。ギター以外にも、バイオリン属の古楽器やマンドリン、バンジョー、さらには名前もわからないようなビンテージ弦楽器も飾られており、弦楽器に対する強いこだわりが感じられる。

ここで働くリペアマンのジョン・クラークスは、この道15年のベテランで、これまでにニール・ヤング、キース・リチャーズ、ジェイムス・テイラーなど有名ギタリスのギターも多数リペアしている。中でもエリック・クラプトンは、彼に25本を超えるギターをリペアしてもらったそうで、あのオリジナル・エクスプローラもリペアしたことがあるという。

『楽器の本 1976』の中面
ロサンゼルスのミュージック・ショップを紹介した手作りマップも掲載。かなり大雑把なイラストだが、カラフルなので見ているだけで楽しくなる。

音楽産業の中心地、カントリー・ミュージックのメッカといえば、やはナッシュビル。多くのレコーディング・スタジオがあり、多くのプロ・ミュージシャンやバンドマンが住んでいた。そして、G・T・Rやピッキン・パーラーなど、いくつも有名なギター・ショップがある。中でも「Old Time Picking Parlor」は、カントリーやブルーグラスなどで使用されるアコースティック楽器の販売とリペアを得意とするプロ・ミュージシャン御用達のショップだ。特にブルーグラスに関しては、ランディ自身が強い思い入れを持って普及活動を行なっている。

ナッシュビルのダウンタウン4thアベニューにあるジョージ・グルーンのお店「G・T・R Inc.」は、ビンテージや中古ギターを数多く扱う専門店。アメリカ各地から50年代、60年代のギターを集め、リーズナブルな価格で販売する人気のショップで、アメリカのビンテージ・ギター市場の先駆けとなったお店として知られている。取材時には、1952年製レス・ポール・モデルが600ドル、69年製SGスタンダードが480ドル、58年製オリジナル・フライングVが1200ドルなどが展示されていた。50年前は、今考えると夢のような価格で名器が手に入れられた。

ナッシュビルの3軒目は、フラット・ピックを使うドブロの名手として知られるタット・テイラーのお店「TUT TAYLOR MUSIC」。ダウンタウンから少し離れたアーリントン・アベニューにその店はある。店内にはドブロのほかに、ラップ・スティール、アコースティック・ギター、フラット・マンドリン、バンジョー、フィドル、マンドベース(マンドリン・スタイルのベース)、バイオリン、ダルシマー、クロマハープなど、ルーツ・ミュージック系のビンテージ楽器がずらりと壁にかかっている。オーナー自身が名プレイヤーなので、ミュージシャンの溜まり場になっている人気のお店だ。

ナッシュビルの「ROY ACUFF MUSIC HALL」は、カントリー・ミュージックを代表する歴史的歌手、フィドル奏者として知られるロイ・エーカフ(1903〜92年)の楽器博物館。ロイ自身が愛用したフィドルはもちろんのこと、アメリカのルーツ・ミュージックの歴史に欠かすことのできないギター、フィドル、リゾネイター・ギター、スティール・ギター、アップライト・ベース、古楽器などが所狭しと展示されている。中でも注目されるのが、マーティン1世が製作したスタウファー・スタイルの歴史的ギターや、1920年代末に登場したサウンドホールを5つ持つユニークなハワイアン・ギター、ギブソンHGシリーズなど、アメリカの弦楽器の歴史がそのまま体験できる貴重な博物館だ。

次回も『楽器の本 1976』の編集内容に関して紹介しよう。

『楽器の本 1976』の中面
最後のページは「編集後記」。見知らぬ地で、初めて一緒に仕事をするライターやカメラマンとの取材は1ヵ月におよんだ。たくさんの人々の協力と助けがなければ、『楽器の本 1976』は完成しなかったことは間違いない。多くの人々に心から「ありがとう!」と言いたい。

著者プロフィール

田中 稔(たなか・みのる)

1952年、東京生まれ。

1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。

以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。

アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。