2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第38回
原稿用紙にエンピツで原稿を書いていた70年代
私がプレイヤー・コーポレーションに入社したのは、1975年秋だった。現在ではデスクにパソコンがない出版社などありえないが、70年代半ばというとPCはもとより、ワードプロセッサやコピー機、ファクシミリ、ビジネスフォンなどもまだ登場しておらず、すべてがアナログで編集作業や事務作業を行なっていた。今回は、私が入社した70年代当時の編集部が使用していたオフィスのツールに関して紹介しよう。
現在、仕事やプライベートでテキストを書く場合、ほとんどの人がパソコンやタブレット、携帯電話などを使用するだろう。しかし、私が入社した当時、原稿を書くにはいわゆる“原稿用紙”と“エンピツ”が使用されていた。年配の方であれば、学生時代に作文や論文などで原稿用紙を使用した経験があるだろう。ご存知かとは思うが、原稿用紙は基本的に縦書きの升目がびっしりプリントされた用紙で、1行が20文字、それが20行あるので、1枚の原稿用紙に400文字入る。
当時の原稿料の計算は、基本的にこの400字詰め原稿用紙が1つの単位となっていた(それとは別に、1ページでいくら。もしくは原稿の量に関係なく1つのテーマでいくら、という計算方法もあった)。
当時の『Player』の原稿料は、たしか400字で2,500円が基本だったように記憶している。ただし、新しいライターさんの場合はやや安かったり、ベテランのライターさんや難しいハードウェアに関する原稿、海外アーティストのインタビューなどの場合は、上乗せして支払っていた。仮に原稿用紙で3.3枚のテキスト量だとすると、小数点以下は切り上げで4枚分の原稿料となる。
確認したことはないが、この400字で2,500円というギャランティの基準は、おそらく私が入社した当時の編集長だった河島彰さんが設定したのではないだろうか。原稿料はもともと媒体や会社によってまちまちだが、雑誌の原稿料は一般的な紙媒体と比べて安目な設定が多く、ましてや音楽雑誌の場合はより安かったようだ。
しかし、それでも『Player』の原稿料はまだほかの音楽雑誌と比べるといささかましだったようで、ライターさんの間では“プレイヤーの原稿料は他誌より良い”という定評があったようだ。
80年代に私が編集長になってから、何度か原稿料に関してほかの音楽雑誌をリサーチことがあったが、たしかに『Player』のギャランティは他誌より高かったのを覚えている。かといって“値下げするというのもいかがなものか”ということで、貧乏会社ではあったが、原稿料や写真代などの制作費に限っては、比較的贅沢なギャランティを支払っていたように思う。その後『Player』の原稿料はほとんど値上げしなかったが、2000年代になっても他誌よりは良かったことは確かだろう。
近年は、紙媒体以外にWEB関連のライターさんが大幅に増えたが、原稿料は値上がりどころか値下がりしているのが現実のようで、そのWEBの料金に合わせて値下げをしている紙媒体もある。今年の初めに、某オーディオ雑誌からの依頼で短い原稿を書いたが、後日振り込まれた原稿料を確認したところ、なんと1,500円。思わず笑いが込み上げてきた(笑)。
原稿用紙を使っていると、書いては消し書いては消しをくり返すため、だんだん用紙が汚れたりシワシワになることがある。また何度か原稿を読み返しているうちにどんどん手直しが入り、追加や“トルツメ”により用紙が極めて読みづらくなることが多々あった。そうすると、仕方なく新たな原稿用紙にリライトすることも日常茶飯事で、そんな作業にも時間が取られていた。
現在のようにパソコンなどで原稿を書いていると、何度手直しや切り貼りをしてもキレイなテキストに仕上がるので、“こんな便利なものはない!”と、いつもパソコンに感謝しながら原稿を書いている。しかしその反面、パソコンで書くことに慣れてしまうと、文章の流れや文脈などをあまり最初から意識しなくなり、“今から気合いを入れて原稿を書き上げるぞ!”といった心構えも薄れたように思う。
初めてワードプロセッサを使用したのは、いつ頃だろうか?
ワープロの歴史を調べてみたところ、最初に東芝が日本語のワードプロセッサを開発・発売したのが1978年だそうで、その時の販売価格がなんと630万円! しかも大きなデスクほどの大きさがある重い機械だった。
その後、セイコーエプソンやソニー、シャープ、沖電気、富士通など多くに会社がワープロの開発・生産に参入したことでより、コンパクトで高性能な製品が相次いで登場した。当然、価格もどんどん下がって、80年代半ばにはカシオから59,800円のワープロが登場し、大きな話題となったが、その後キャノンからは49,800円という価格破壊ともいえる製品が登場したことで、オフィスはパーソナルワープロの時代に突入した。プレイヤーの編集部がワープロを使用するようになったのは、80年代後半になった頃だと思われる。
しかし当時のワープロは、打った文字が3~4行しかディスプレイ(もちろんモノクロ)に表示できず、またそれをプリントするには専用のインク・リボンや特殊な感熱紙などが必要だった。また、文字データを保存するにもフロッピー・ディスクと呼ばれる別のツールや媒体が必要で、当時の机の引き出しには、フロッピーがギッシリと入っていた記憶がある。
しかも、インターネットなどの環境が整い始めるのはそれから10年以上も先のことなので、それらのデータを入稿するにはフロッピー・ディスクを手渡しする以外ほかに方法がなかった。
もしもあの頃タイムマシンがあったとしたら、今のネット環境を当時の自分にプレゼントしてあげたいものだ。きっと涙を流して喜ぶに違いない。
次回も70~80年代の編集ツールに関して紹介する。
著者プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。
1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。
以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。
アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。