セッション・ギタリストとしてのデュアン・オールマン セッション・ギタリストとしてのデュアン・オールマン

セッション・ギタリストとしての
デュアン・オールマン

2020年3月10日、オールマン・ブラザーズ・バンドの結成50年を祝うコンサートが行なわれたのは記憶に新しい。現代最高のスライド・ギタリスト=デレク・トラックスを生んだのは、デュアン・オールマンが残した名演の数々であり、それは50年経った今でも色あせることなく輝き続けている。今回はそんなデュアンのもうひとつの顔、すなわちスタジオ・ギタリストとしての側面にフォーカスしたプレイリストを作成した。夭折の天才が残したセッション・ワークスを聴いてみてほしい。

文/選曲=編集部 Photo by Stephen Paley/Michael Ochs Archives/Getty Images


1946年11月20日にテネシー州ナッシュビルに生まれ、1971年10月29日に24歳という若さでこの世を去った天才ギタリスト、デュアン・オールマン。

オールマン・ブラザーズ・バンドでの名演の数々は今なお語り継がれ、現代のロックに与えた影響は計り知れない。そういう意味では今回の“セッション・ワークス”という点でも、永遠のロック・アイコン=デレク・アンド・ザ・ドミノス「いとしのレイラ」に残したスライド名演は、輝きを失うことはないだろう。しかし、「いとしのレイラ」以外にも客演で残したデュアンの名演は数多くある。

本格的にセッション仕事に乗り出すのは1968年、彼が自身のバンド=アワー・グラスの一員として活動していた21歳の頃。フェイム・スタジオで「B.B.キング・メドレー」を録音したことがきっかけだった。フェイム・スタジオのオーナーであるリック・ホールからの誘いで、ウィルソン・ピケットの「ヘイ・ジュード」のレコーディングに誘いの声がかかったのだ。完成した音源はアトランティック・レコードのプロデューサーであるジェリー・ウェクスラーの耳に入り、アトランティック周りでの仕事が舞い込むようになる。特にジェリーがプロデュースしたアレサ・フランクリンによるザ・バンドの名カバー「ザ・ウェイト」では、イントロからハリのあるスライド・プレイを披露。歌の裏でもリード・ギターとして絶妙な合いの手を入れている。

ほかにもウィルソン・ピケットとのセッションで現場をともにしたキング・カーティスの『インスタント・グルーヴ』やアーサー・コンレイの『More Sweet Soul』などでもギターをプレイした。

オールマン・ブラザーズ・バンドの成功後、ハービー・マンの71年作『プッシュ・プッシュ』のような指名ソロイストのような起用のされ方もするわけだが、彼は事故で亡き人になってしまった。その後も生きていたなら、幅広いフィールドで活躍したに違いないだろう。デュアンが短い生涯の中で残した、ロック、ソウル、R&Bでの名演の数々を聴くと、ギターのまだ見ぬ可能性が隠されているように思えてならない。