雪深い森を抜けると姿を現わす
こだわりの工房をレポート!
最寄駅のハメーンリナから車で30分、森の中にひっそりと佇む工房に入ってみよう。そこには熟練のルシアーたちと彼らが愛するマニュアル操作の機械、そしてゆっくりと流れる北欧時間があった。
取材/文/撮影=福崎敬太
※本記事はギター・マガジン2020年4月号に掲載された『北欧フィンランドが世界に誇るルオカンガス・ギターズのすべて。』に書き下ろしを加え再編集したものです。
使用木材へのこだわり
ルオカンガス・ギターズの木材へのこだわりはすさまじく、バーチやスパニッシュ・シダー、指板材も高品質なものをいくつもストックしている。ボディ材として使われるスパニッシュ・シダーには数字の書いたシールが貼られているが、これは木材の密度を表わしたもので、モデルによって適切な個体や組み合わせを選択する。また、木材の保管方法も独自のスタイルを確立。バーチの板やトップ材などがすべて縦置きにされているのは、ひとりでも木材の出し入れができるようにというこだわりから。こういった細かな部分まで、ストレスのない環境を考えているのだ。指板材の収納棚は、洗い物カゴ用の水切りを流用したもので、これはユハの妻でありルシアーでもある=エマ・エフトルのアイディアだそう。
北欧屈指のギター職人たち
ここからはルオカンガス・ギターズで働くルシアーたちを紹介。ユルキ・コスタモ、トミ・ニヴァラ、ヤニ・リンタカトゥリ、そして現在は裏方としてサポート役に徹する元ルシアーでユハの妻=エマ・エフトル。ルオカンガス・ギターズでは1本のギターを最初から完成までひとりが担当する。そのため、すべての工程をユハが求める高いクオリティでこなす必要があるのだ。それぞれが高い技術とクラフトマンシップを持ち、各々が担当する1本1本と真摯に向き合うことで、ルオカンガス・ギターズの高いクオリティが実現するのである。
ユルキ・コスタモ
これまでに手がけたギターは全部合わせると800本を超えるね。
ユルキ:僕の名前はユルキ・コスタモ。メタリカのカーク・ハメットとジェイムズ・ヘットフィールドから影響を受けて、ギターを始めたんだ。そのあとギター製作の学校に行って、研修生としてルオカンガス・ギターズで働き始めた。2001年からだから、もう19年だね。その頃はデュークとVSOPの2モデルがあったんだけど、リペア業務をしばらく経験したあと、VSOPのアッセンブリを任されるようになった。これまでに360本のVSOPを手がけて、ほかのモデルも合わせると800本以上のギター作りに関わったはずだよ。しかも僕たちのギター作りは、すべての工程がオーダーしてくれた人ごとに1本1本違うんだ。ギタリストの希望をしっかり聞いて、それに合わせて内容を変えていく。そういう部分がルオカンガス・ギターズの魅力のひとつだと思うね
トミ・ニヴァラ
このブランドではどんなギターも作れるんだ!
トミ:俺はもともと大工だったんだけど、ギターやベースを演奏するのが好きだったからイカリネン(フィンランド唯一のギター製作学校)へ行ったんだ。そして16〜17年前から研修生としてルオカンガス・ギターズで働き始めた。ほかには副業としてマイケル・モンロー(ハノイ・ロックス)のバンドでテックをやっているよ。ルオカンガス・ギターズのメンバーは1本のギターをひとりが担当して、すべての工程を担うんだ。そんなこの工房を気に入っている。ユハはバルブバッカーの開発だってWEBサイトだって、すべてに対して努力しているし、ここには本当に良いギター・ビルダーがそろっている。だから、このブランドではどんなギターでも作れるんだよ。
ヤニ・リンタカトゥリ
徹底したクオリティが細かな部分にまで求められるんだ。
ヤニ:ギター作りを始める前は家具を作っていて、今も木工のパートが一番好きなんだ。もちろんすべての工程が大好きだよ。ルオカンガス・ギターズは1本のギターを最初から最後までひとりで担当するからすべての工程を経験できるし、どのパートも本当にやりがいがあるんだ。けど、このブランドのギター作りは本当に細かな部分まで注意深く行なわなければならない作業がたくさんある。すべてのパーツを完璧にセッティングし、フレットや木材の角をパーフェクトに処理するのは本当に大変だよ。小さなことまで徹底したクオリティが求められるんだ。でも、そういったユハのギター作りへの情熱を尊敬している。彼は僕が初めて知ったギター・ビルダーで、驚異的なルシアーだよ。
エマ・エフトル
動画/写真撮影から広報活動まで務める
紅一点の超重要女性ギター・ビルダー。
もともとルオカンガス・ギターズのルシアーでアーチトップ・ギターの製作を得意としていたエマ・エフトルは、ユハ・ルオカンガスの妻でもある。現在はギター製作からは離れ、全体のサポートや公式HPの管理、広報活動などの裏方役に徹しているのだが、実はブランドの超重要人物。ここではそんなエマについて、本人とユハの証言を交えながら話をしよう。
エマがギターとのつながりを持ったのは10歳の頃。父親が持っていたビートルズのレコードを聴いたことが始まりだった。
“エマ/私が音楽にのめり込んだのはジョージ・ハリスンが弾く「Let It Be」のギター・ソロがきっかけなの。短くてシンプルだけど、始めて聴いた時に泣いてしまうくらい素敵に感じたわ。そしてギターを始めたいと思って、10歳でギターを習い始めたの”。
その後、高校で選択した技術科目でモノ作りに触れ、ギター製作家としての将来像を描くようになる。ギター製作の専門学校へ進んだあと、2004年に研修生として訪れたルオカンガス・ギターズへ加入。ビルダーとしてギター作りをしていた頃の話を聞いてみた。
“エマ/私がギターを作っていた頃は、おもにアーチトップ・ギターを作っていたの。もちろん全工程が好きだけど、トップ材のカービングがお気に入りだったわ”。
また、ルオカンガス・ギターズはYouTubeを始めとしたオンラインでのマーケティング戦略をかなり早くから取り入れているが、そこにも彼女の影響があったそうだ。それについてユハが語ってくれた。
“ユハ/YouTubeはエマの発案で、私がユニコーンをデザインしている時だった。彼女が「プロのギター製作家として、ドキュメンタリー映像を公開したら?」と言うんだ”。
そうして撮影された動画は全17篇にわたるユニコーンの製作を追ったドキュメンタリーだった。そこでは各工程の秘訣を包み隠さずに解説している。
“ユハ/私は、ギター作りの秘密を世界に発信するということに少し不安があったんだ。でも、結局そんな心配はいらなかった。もしコピーする人が出たとしても、我々の仕事には及ばないと思えるようになったんだ”。
このことについてエマはこう語っている。
“エマ/ルオカンガス・ギターズはすべてハンドメイドで、しかも伝統的な手法を使って作っている。それに、小さな会社だからお客さんと直接やり取りして、希望に沿えるように1本1本の工程を考えているの。動画を見たところで真似はできないわ”。
このビデオをきっかけにユニコーンのオーダーが35件も届いた。視聴者は動画をとおして、ブランドの“ファン”になったのだ。それをきっかけに、ルオカンガス・ギターズはオンラインでの情報発信に力を入れていく。2008年にすでにこのような試みを始めていたのは驚きだ。
ルシアーたちの技術、ブランドの強みを信じるエマだからこその提案であり、優れたギター・ビルダーでもある彼女でなければユハを説得することはできなかっただろう。しかもエマはそのビデオの撮影/編集まで行なっている。優れた企画力や撮影技術など、彼女の幅広いスキルは、今日のルオカンガス・ギターズの成功に不可欠だったのだ。
どこにもPCのない作業環境
工房を全体的に見渡してみると、作業場内のどこを見ても、PCやコンピューター制御の機械がないことに気づく。ギターにまつわるアイディアは手書きのメモをコルクボードに貼って管理し、デザインは製図版を使って実寸サイズで描く。木材の切り出しも手の感触でカーブを調整し、何度も何度も研磨をくり返してようやくギターの形が見えてくる。ネックのシェイピングもカンナでの手作業でアウトラインを固めるが、そのネック形状を確かめる型もお手製。以下の写真から、彼らのハンドメイドへのこだわりの強さを感じ取ってもらえたら幸いだ。