アメリカン・ショウスターとAS-57が辿った歴史 アメリカン・ショウスターとAS-57が辿った歴史

アメリカン・ショウスターとAS-57が辿った歴史

古き良き時代のクラシック・カー=1957年式シボレー・ベルエアに魅せられ、その憧れをギターの上で表現した稀有なギター・ブランドがかつて存在した。その名もアメリカン・ショウスター。AS-57と名付けられた彼らの代表モデルは決して広く知られた存在ではないが、一部に熱狂的なファンが存在するカルト的名器である。ギター・マガジンWEBでは、本誌2021年11月号に掲載した特集『AS-57が体現する古き良きアメリカ』より、気になるヒストリー部分を抜粋してお届けしよう。

文=今井靖 写真=星野俊
※本記事はギター・マガジン2021年11月号に掲載された『AS-57が体現する古き良きアメリカ』のヒストリー記事を抜粋したものです。

American Showster/AS-57

シボレー・ベルエアのデザインをギターに落とし込んだ唯一無二のモデル、AS-57。本個体は川谷絵音(ゲスの極み乙女。/indigo la End)の所有器で、「両成敗でいいじゃない」のMVにも登場している。ちなみに川谷は長岡亮介が本モデルを使用していたことに影響されたそうで、その長岡にAS-57を譲ったのは田島貴男である。(撮影=星野俊)

AS-57の勇姿が見せる
アメリカン・スピリッツの栄光

 恐ろしくパワフルで非効率、そして目も眩むほどにエキセントリックな造形美。かつて、その“古き良きアメリカン・スタイル”をエレキ・ギターに融合させた驚くべきメーカーがあった。アメリカン・ショウスター(American Showster)──80年代に彗星のように現れ、数多の名プレイヤーたちに愛されたその稀有なギター・ブランドの歩みは、彼らの残した名器AS-57の豪奢なルックスとは真逆の、慎ましやかなものであったという。

 1967年、まだ高校生だった創業者のリッチ・エクセレンテは、隣人の所有していた57年式のシボレー・ベルエアが大のお気に入りであった。その車の空を飛ぶかのように張り出した鋭角なテール・フィンや、ロケット・エンジンのようにド派手なクロム・バンパーを間近で見ながら、少年は“このデザインは、ギターに使えそうだ”という、アイデアのひらめきをすでに感じていた。

 そこから長く楽器製造の下積みとしてキャリアを積んだリッチは、1983年に、ニュージャージー州のメイプルウッドに念願の自分の店である“American Showster Custom Guitar”をオープンする。彼がシボレー社からようやく正式なデザイン・ライセンスの供与を受けたのもちょうどその頃のことであった。

 迎えた1984年の春、ボン・ジョヴィのメンバーとして活動を始めていたベーシストのアレック・サッチからのオファーを受け、リッチは正式に“シボレー・スタイルのギター”を作るためのブランド、アメリカン・ショウスターを発足させる。ポイントプレザントに住む腕のいい木工職人で昔からの友人でもあるマーク・ドーナンが作る特注の手作りボディに、金型から起こしたアルミ製のテール・ランプやバンパーを組み合わせるのが彼の仕事であった。

 やがて、チームに合流したリッチ・ケルナー(Time Electronicsの創設者)による精密なフライス加工技術の助けもあり、彼らはその年のうちに最初のプロトタイプの完成にまで漕ぎ着けてしまう。

 AS-57 Chevy(シェビー=“シボレー”のアメリカでの愛称)と命名されたその個体は、まさにあの若き日に見たベルエアが蘇ったかのような美しさであった。一方で、金属で本体を補強して高音弦のサステインや倍音を稼ぐ“メタル・ローディング”や、“ティアドロップ”方式のボディ・テーパーなど、4つにも及ぶ独自のパテントを使用したそのギターが、ビザールな見た目とは真逆の洗練されたモダン・サウンドを持っていたことは実にユニークなポイントであった。

 続く1985年には新たに6本のAS-57 Chevyが製造され、プロジェクトは一気に軌道に乗り始める。銀メッキ・パーツの塗装を請け負っていたKramer社の手を借りる形で、翌年のNAMM ShowにChevyが出品されると、アメリカン・ショウスターの名は瞬く間に世界の著名ギタリストたちの知るところとなる。……だが、躍進はそこまでであった。

 AS-57 Chevyのための採算度外視の製造コストや、特許出願料、アルミの鋳造工具等ですでに多額の負債を抱えていたリッチは、その年のうちに自身のギター・ショップを閉鎖。オリジナル・ギターの商標や特許は、順々に、ビル・ミーカー、デヴィッド・ヘインズという次の2人のオーナーの元へと売却されていった。

 当時ほぼ完成していたBikerやIce Pickといったニュー・モデルの製造はKramerが引き継ぐこととなり、新たにAS-57としてリネームされたかつてのAS-57 Chevyは、“Kramer American Showster Series”の筆頭モデルとしてラインナップされる。Kramer時代のAS-57は、音作りの多様性を追求する傍ら、コスト削減のために少しずつ仕様変更をくり返した。それでも、当時Kramerだけが独占使用権を持っていたフロイドローズ・トレモロを優先的に搭載できたというアドバンテージもあり、少数生産ながらAS-57は人気モデルとしてラインナップを維持し続けた。

 リッチ・エクセレンテはフリーの職人としてKramerで仕事を続け、1987年前後に前述の“メタル・ローディング”等を使用した安価モデルとしてSavant、Metalist、The XMLといったシリーズを次々に設計していた。だが、国外の工房で作られたそれらはいずれも生産体制の不安定さから、3年と持たずにラインナップから排除されたことは不運だった。

 そしてAS-57もまた、1991年にKramerが財政難による業務停止に追い込まれたタイミングで、惜しまれながらも生産が打ち切られてしまう。リッチはその後も2000年代初頭まで個人で細々とAS-57のみを作り続けたとされているが、いつしかそれらは市場から姿を消し、ブランドも人々の脳裏から忘れられていく。一時はエリック・クラプトンまでもがオーダー・リストに名を連ねたという伝説のギター・メーカーにして、それはあまりにも寂しい終焉であった。

 時代を経て、なお色褪せないスタイルというものは確かに存在する。ギンギンに研ぎ澄まされたAS-57の勇姿は、今なお我々にアメリカン・スピリッツの栄光を教えてくれる。

ギター・マガジン2021年11月号

本記事はギター・マガジン2021年11月号に掲載された『AS-57が体現する古き良きアメリカ』のヒストリー記事を抜粋したものです。
特集では貴重な実器バリエーションの紹介など、さらに詳しく深堀りしているので、気になった方は誌面をチェック!