エルヴィス・プレスリーとギター“キング”誕生前夜を支えたサン・セッションズ・マーティンD-18 エルヴィス・プレスリーとギター“キング”誕生前夜を支えたサン・セッションズ・マーティンD-18

エルヴィス・プレスリーとギター
“キング”誕生前夜を支えたサン・セッションズ・マーティンD-18

エルヴィス・プレスリーの生涯を描いた映画、『エルヴィス』が公開された。スコッティ・ムーア役やジェームス・バートン役など、彼と縁のあるギタリストも登場するので、ギタマガWEB読者も楽しめるだろう。今回は映画公開を記念し、エルヴィスのキャリア初期を形成した伝説の1本をご紹介しよう。サン・レコード期に愛用した、通称“サン・セッションズ”マーティンD-18とは、どんなギターなのだろうか?

文:久保木靖 Photo by Nigel Osbourne/Redferns(Guitar)

Elvis Presley’s Martin 1942 “Sun Sessions” D-18

エルヴィス・プレスリーの1942年製マーティン“サン・セッション”D-18

みなぎるパワーを受け止めた伝説の1本入手へ

 “彼はしょっちゅう弦を切っていたよ。ステージが終わるまでずっと、ギターを叩くようにかき鳴らしていたからな”。こう述懐したのは、サン時代のエルヴィスのバックでリード・ギターを務めていたスコティ・ムーアだ。その激しいプレイを物語るように、エルヴィスがこの時期に愛用していたマーティン製D-18、通称“サン・セッションズ・マーティンD-18”のボディ・トップにはいくつもの引っかき傷が見られ、また、もともと“ELVIS”と貼られていた金属製文字の“S”の部分はいつしか剥がれ落ちてしまった──。

 1953年8月、サン・レコードの扉を叩いた18歳のエルヴィスは、スタジオ使用料を支払って「My Happiness」を録音。のちにエルヴィス本人が“母親への誕生日プレゼントだった”と語ったことから有名な美談となったが、エルヴィスが自らを売り込む意味合いも多分に含まれていたはずだ。現に5ヵ月後の1954年1月にもサンのスタジオを訪れて2曲録音している。

 一方、サンのオーナー、サム・フィリップスは黒人ミュージシャンのサウンドをより多くの人に届けることができる人物を探し求めており、“もし黒人の音と黒人の感覚を持った白人を見つけられたら10億ドルを稼げる”などと語っていたとか。当時のサン・レコードが契約していたのは、ルーファス・トーマスやジュニア・パーカー、リトル・ミルトンといったブルース/R&Bの黒人ミュージシャンばかり。そんなフィリップスの思惑とエルヴィスの野心は見事に合致し、1954年7月にデビュー曲となる「That’s All Right」が録音された。

 こうしてデビューし、そして瞬く間にロックンロールを創造したエルヴィス。スコティ・ムーアとビル・ブラック(b)を従えた1954年7月の初ステージではまだ安物のギターを抱えていたが、同年10月のルイジアナ・ヘイライド・ショーに備えて中古のマーティン000-18を購入。しかし、“足の震えを隠そうとして誕生した”とも言われるラバー・レッグ・ダンスをしながらの荒々しいステージングに耐えうるパワーと音量を求めてのことか、1955年1月にはテネシー州メンフィスにあった楽器店O.K. Houck Piano Co.にて000-18を下取りに出し、冒頭で述べたD-18を入手するに至るのであった。

大戦中に製作された希少価値の高い個体

 D-18がマーティンのカタログに登場するのは1935年のこと。全長40-1/2インチ、ボディ長20インチ、ボディ幅15-5/8インチ、ボディ厚4-7/8インチというサイズに、トップがアディロンダック・スプルース、バック&サイドとネックがマホガニー、指板とブリッジがエボニー、ピックガードとバインディングがべっ甲といった材で構成されている。スケール長は25.4インチ。パーフリング・イメージは先行していたD-28の白に対して黒で、また、ロゼッタやポジション・マークのデザインがよりシンプルとなったことから、一部にD-28の廉価版ととらえる向きもあるが然にあらず。あくまで両者の違いは材によるサウンド傾向にあり、D-18はマホガニー特有のマイルドさを保ちながらも、粒立ちが明確なのが特徴だ。

 エルヴィスのD-18のシリアルナンバーは80221で、マーティンの資料によると、1942年1月15日にペンシルバニア州ナザレのマーティン工場で製造されたもの。第二次世界大戦中だったこの年は生産本数が制限されており、エルヴィスの個体は同年市場に出た326本のうちの1本であった。また、この時期は金属を節約するためプラスチックのオープンバック・チューニングマシンが搭載されていたが、エルヴィスのものは前のオーナーによりクルーソン製シールド・チューナーに付け替えられている。1955年当時、D-18の新品は140ドルだったが、エルヴィスのものは中古だったため、25〜40%のディスカウントで売られていた模様。“ELVIS”の文字は、購入時にショップのサービスで付いてきたもののようだ(ビル・ブラックのベースにも“BILL”と貼られている)。

 このギターは、エルヴィスの4枚目のシングル「Baby Let’s Play House」(1955年2月録音/初のチャート登場曲)から使用される。「I’m Left, You’re Right, She’s Gone」の出だしのシャープな音の立ち上がりなども、いかにもD-18ではないか。こうしてこのギターは初期エルヴィスを象徴するギターとなったが、1955年6〜7月あたりに、やはりO.K. Houck Piano Co.にてD-28を入手するために手放してしまう(同時期にバックアップ・ギターとして2本目のD-18も入手)。つまり、先のD-18がメインで使われていたのはほんの数ヶ月という短い期間なのである。

オークションでエルヴィス関連の最高値を更新

 さて、エルヴィスはその後、かの“パーカー大佐”と出会い、サンを離れRCAと契約。いきなり「Heartbreak Hotel」のナンバーワン・ヒットを放って頂点に上り詰めると、それ以降、逝去するまでポピュラー音楽シーンの“キング”として君臨し続けたのは周知のとおりだ。ちなみに、そのRCAからのデビュー・アルバム『Elvis Presley』(1956年)のジャケットのギターはD-28で、見るからに激しいストロークから弦が切れているようにも見えるし、1弦のブリッジ・ピンもない。

『Elvis Presley』(1956年)
『Elvis Presley』(1956年)

 1974年から1991年まで“カントリー・ミュージックの殿堂博物館”に貸し出されていた件のD-18、その後アメリカやイギリスのオークションを経てオーナーが転々とし、1998年には“ロックの殿堂博物館”に引き取られていた。それが2020年、Gotta Have Rock and Rollのオークションに再び出品され、132万ドル(当時のレートで約1億3926万円)という破格の値段で落札されたのは記憶に新しいところ。これはエルヴィス関連品の中では過去最高の落札価格であった。

映画『エルヴィス』オフィシャルサイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/elvis-movie/