現代最高峰のスライド・マスター、デレク・トラックス。彼が現在メイン器として愛用するのが、ギブソンカスタム製のDickey Betts “From One Brother to Another” SGだ。このSGには、10年にわたり多くのステージをともにする中で、デレクが理想とするサウンドを実現するために、いくつかのアップデートが施されている。今回はその改造歴を辿りながら、彼が求めるサウンドについて考えていこう。
文:大江康太 (The Kota Oe Band) 写真=星野俊
テデスキ・トラックス・バンドでのギターの立ち位置
11歳の頃から演奏活動をスタートさせているデレク・トラックス。ギター・プレイヤーとして30年を越えるそのキャリアの大半において、年間200〜300日ほどをツアーで駆け回ってきた中、サウンドや演奏性はもちろんのこと、メンテナンスやロジスティクスの観点からも、彼にとって必要不可欠なのは“信頼できる1本”だ。それはキャリア初期から現在まで、メイン器のリストが4本のギブソンSG、そしてほんの一時期手にしていたWashburn Custom E300と非常に少ないことからもうかがい知れる。
現在のメイン器は2012年からライブ、レコーディング問わず常に稼働しているギブソン・カスタム製Dickey Betts “From One Brother to Another” SGのプロトタイプで、シリアルナンバーはArtist Proof #004。
弾き心地を気に入っていることは言うまでもなく、今までの変更点は決して多くない。しかしながらその変遷を考察していく中で、デレク・トラックスという演奏家のミュージシャンシップ、そして楽器に対する機能主義的なとらえ方が垣間見えるように思う。デレクにとってギター・トーンの軸は常にライブ・サウンドにあると言えるが、まずはこの楽器がどういった環境下で使用されているかについて触れておこう。
デレクの活動のほぼすべてを占めるのがテデスキ・トラックス・バンド(以下TTB)でのツアーだ。ステージ上では2人のドラマー、3ピースのホーン・セクション、3名のバック・グラウンド・ボーカル、鍵盤を含む12人(今夏はホーン・セクションを拡張し13人になることも)がアンサンブルを構成する。これほどの音数にもなれば1人で占拠できるスペースはない。曲が自然発生的に変形することも多い中、ほかの楽器と足を引っかけ合わないよう、音色と音量を的確にコントロールしなければならない。
また、ただでさえ難しいこの状況に拍車をかけるのが、ツアーそのものだ。会場や天候が変われば音響環境も変化し、ステージ上の出音や演奏のフィールに大きく影響する。デレクが演奏中、頻繁にギターとアンプのセッティングを調節する最大の理由はここにある。また、デレク自身はフロア・モニターから音を返すことを好まない。大所帯なだけにステージ内の音量が簡単に飽和してしまい、かえってモニタリングしづらくダイナミクスの収縮も感じ取りづらくなるからだ。ステージ内の“生音”を自力で整理することが唯一にして最善の策と言える。
TTBのツアー・プログラムにくり返しは存在しない。毎日違う曲、違うパフォーマンスだ。従って瞬間的なインスピレーションを音楽表現に転化する高い集中力と反射神経が求められる。ギターとアンプのみとシンプルにまとめられたデレクのステージ・リグは、演奏そのものにできるだけ多くの精神資源を注ぎ込むための土台であり、体の一部と言えるくらい感覚と擦り合わせされていることが必要になる。
では、現在のメイン機であるDickey Betts SG Artist Proof #004には具体的にどういった形でデレクの意図が反映されているのだろうか。デレク自身は楽器や機材について細部まで語ることは少ないが、過去の本人やテックの証言などから可能な限り紐解いていきたい。
ピックアップの試行錯誤は現在まで続く
まずはボリューム・ポットだ。デレクが使用しているのはAlessandro製の500kΩポットで、現メイン機を入手して間もなく交換されたと思われる。ポットの全域を満遍なく、かつ細かく調節するのがデレクのオーケストレーションの肝だが、このポットは聴感上テイパーが一定で唐突に変化するポイントがないため、自然かつ音楽的なダイナミクスが得られる。演奏中のわずかな間で操作するため、触れただけで動いてくれるトルクの軽さもデレクの用法にはぴったりだ。
トーン・キャパシターも過去にいくつかの容量を試していたことがあることから、交換されている可能性が高い。キャパシターの容量によってトーン・ポットを絞っていく際の減衰が始まる周波数ポイントが変わるため、アンプのトーン・スタックと上手く組み合わせることで、トップエンドだけでなく、中域のより精細なシェイピングが可能になる。デレクの対応力を支える縁の下の力持ちだ。
そして、最も試行錯誤をくり返しているのがピックアップ。トーンとフィールに如実な違いをもたらすことは言うまでもないが、アンサンブル内での機能性にも相互的に作用する。わかっている範囲でも数回交換されているが、その経緯を見ていこう。
Dickey Betts SG Artist Proof #004に元々搭載されていたのはギブソン純正のCustombucker。当初はそれまでと変わらずピックアップはほぼ常時ネック側、アンプはFender Super Reverbという組み合わせだったが、TTBではバンドがフル回転するとギターが少し負けてしまうことがあった。そこで2014年からステージアンプをAlessandroに切り替えたことで音量が上がるとともにサウンドの重心が下がり、厚みも増した。
Custombuckerは中域が比較的すっきりしている傾向にあるが、それでもネック・ピックアップでは300-500Hz付近のロー・ミッドが抑え切れなかった。この帯域はバンドで最も渋滞しやすく、ギターでの制御が難しい。こうして翌年頃から徐々にブリッジ・ピックアップの使用頻度が増えていくが、その理由について当の本人は“なぜだかはっきりとはわからない”と答えている。
2019年4月にTTBはヨーロッパツアーを行なうが、この終盤でダブル・クリームのハムバッカーに交換される。これはパリにあるMatt’s Guitar Shopが企画し、Cream T Pickupsのトーマス・ニルセン氏が製作した”Spot Replica Pickup Set”で、その名のとおり“Spot”の愛称で知られる1959年製レスポールスタンダード#9-1688に搭載されていたP.A.F.を再現したものだ。
詳細なスペックは公開されていないが、出音を聞く限りはCustombuckerよりパワーがあり、中域はややスクープされているもののとてもクリーミーで温かく、2kHz付近のハイ・ミッドのエッジィさはP.A.F.を彷彿させるものがある。デレクはすでにブリッジ・ピックアップばかりを使うようになっていたが、Custombuckerではなかなかこの太さと“匂い”は手に入らなかったように思う。ところが、同年の7月にはまたしてもピックアップを交換している。
2016年頃に一時的にネック側に搭載し、現在になってまた使用し始めたのがギブソン“T-Top”ハムバッカーだ。今回は2ピックアップともに交換されており、正確な年代は不明だが、ブリッジ側のカバーがはずされている点以外に改造点はないと思われる。
ロー・ミッドの味つけが濃い“Spot”では、サウンドの過不足分をアンプ側で補正しようとする意図が見られ、ヴァイビーではあるがやや奥行きに欠け、今1つ座りの良くないトーンになっていた。ボリュームを開くとアンプ側のコンプレッションが強く、タッチのコントロールがしづらそうな印象も受けた。しかしT-Topはミッドが芳醇で立体感があり、アンプ側のトレブルをさほど上げていなくても明瞭だ。ボリュームを絞ってもバンドのポケットにちょうどよく収まっていて、デレクのタッチの旨味を良い塩梅でアンプ側にリレーしているように感じる。
デレクが求めているのは、突き詰めると“その存在を忘れてしまえる楽器”だ。デレクのようなプレイは自己顕示欲からは生まれない。楽器や機材だけでなく技術や理屈、他人の評価もすべて意識下から置き去りにし、その瞬間に没入したその先にあるように感じる。アンプを燃やしてしまいたくなる日もあるとデレクは言うが、生きた人間が演奏するそれこそが音楽だ。目や頭ばかりで音を聴くのではなく、耳と心を使って聴き、音を鳴らす。あまりにも当然のことでわかった気になっていたことを、改めて認識させられる思いだ。
作品データ
『アイ・アム・ザ・ムーン:I. クレッセント』
テデスキ・トラックス・バンド
ユニバーサル/UCCO-1235/2022年6月3日リリース
『アイ・アム・ザ・ムーン:II. アセンション』
テデスキ・トラックス・バンド
ユニバーサル/UCCO-1236/2022年7月1日リリース
『アイ・アム・ザ・ムーン:III. ザ・フォール』
テデスキ・トラックス・バンド
ユニバーサル/UCCO-1237/2022年7月29日リリース
『アイ・アム・ザ・ムーン:IV.フェアウェル』
テデスキ・トラックス・バンド
ユニバーサル/UCCO-1238/2022年8月26日リリース
―Guitarists―
デレク・トラックス、スーザン・テデスキ