ジミ・ヘンドリックスが無理を言ってまで手に入れた1956年製ギブソン・レス・ポール・カスタム ジミ・ヘンドリックスが無理を言ってまで手に入れた1956年製ギブソン・レス・ポール・カスタム

ジミ・ヘンドリックスが無理を言ってまで手に入れた
1956年製ギブソン・レス・ポール・カスタム

ジミ・ヘンドリックスとギブソンの関係を紐解く特集『ジミ・ヘンドリックスとギブソン〜天才ギタリストが老舗ブランドに求めたもの〜』。2本目にジミが手にしたのは、1956年製のレス・ポール・カスタムだ。ジミにしては珍しいストップ・テイルピースの1本は、どのように彼の手にわたったのだろうか。

文=fuzzface66 Photo by Elliott Landy/Redferns/Getty Images

キング牧師暗殺の翌日にデビューした“ブラック・ビューティー”

ジミにとっての2本目のギブソン・ギターは、ブラック・フィニッシュの1956年製レス・ポール・カスタム。ストップ・テイルピース仕様なのでジミにしては珍しいアームなしのギターでもある。このモデルをジミが使い始めたのは、1968年前半に行なった大規模なアメリカ・ツアーの中盤にあたる4月頃だ。

このレス・ポール・カスタムも、ニューヨークの楽器店“マニーズ”で入手したようで、店頭で非売品として扱われていたものをジミが気に入ってしまい、無理を言って購入したそうだ。その証拠に、初使用となる1968年4月5日ニューアーク・シンフォニー・ホール公演時の写真では、ボディ・トップに白っぽいシールのようなものが確認できるが、そこには“Not For Sale(非売品)”と書かれていたという。

会場のシンフォニー・ホールもマニーズから車で程近い距離にあるため、購入してそのままステージで使用したがゆえにシールが貼りっぱなしだった可能性もある。

また、前日の1968年4月4日とえいば、マーティン・ルーサー・キング牧師が凶弾に倒れた日で、当日の会場周辺(シンフォニー・ホールはニューアークの黒人居住地区のど真ん中に位置していた)は、いつ暴動が起きてもおかしくないほどに殺伐とした雰囲気に包まれていた。

そのため、“ロック・スターの黒人ジミ・ヘンドリックス”を擁した白人ばかりのツアー・スタッフたちは、いつその怒りの矛先が向かってくるかと戦々恐々としながらステージの準備を行なっていたのだ。そういった混乱の中で準備が進められたため、ローディーが“非売品テープ”を剥がし忘れたということも考えられる。

そして、このシンフォニー・ホールのステージでジミは、鳥肌の立つような美しいバラードを即興で弾き始めたと伝えられている。それがキング牧師に捧げられたレクイエムだったことは誰の目にも明らかだったという。今日“ブラック・ビューティー”という愛称がついている黒いレス・ポール・カスタムのステージ・デビューにこのような逸話があるのも、何か運命めいたものを感じてしまう。

アルニコV&P-90のキレと甘さに魅了される

ペイント・フライングV同様、このレス・ポール・カスタムもほぼブルース・ナンバーのみで使用された。1968年5月10日のフィルモア・イースト公演や、18日のマイアミ・ポップ・フェスティバル、31日にスイスで行なわれたビート・モンスター・コンサートなどでの使用が有名だ。

レス・ポール・カスタムを弾くジミ・ヘンドリックス
1968年フィルモア・イースト公演でレス・ポール・カスタムを弾くジミ・ヘンドリックス。

サウンド的には、ピックアップがアルニコV&P-90のためか、フライングVよりもキレがあり、かつストラトキャスターのフロント・ピックアップよりも甘いという、両者の中間的なキャラクターのようなトーンが特徴だろう。

しかし、“軽量なストラトキャスターに比べると重い”といったようなことがネックになったのか、次第に登場回数は減っていく。そして1968年8月頃のステージを境に、ステージのラインナップからははずれてしまった。使用期間は約4ヵ月ということになる。

その後、ジミがこのレス・ポール・カスタムを所有し続けたのかどうかは明らかになっていない。ジミの死後に、スタッフ・サイドの一員だったジェームス・タッピー・ライトによって1999年にハード・ロック・カフェに売却され、現在もシカゴの店舗で展示されているようだ。

なお、2013年にリリースされたマイアミ・ポップ・フェスティバルのライブ・アルバムに収録されている「Red House」は、残されている映像と照らし合わせた結果、ストラトキャスターを使用したセカンド・ショウのテイクと差し替えられている。ジミのレス・ポール・カスタムのサウンドをチェックしたい場合は、非公式なものではあるが、フィルモア公演やスイス公演をチェックしてほしい。