誰もが憧れたストライプ〜エディ・ヴァン・ヘイレンのフランケンシュタイン 誰もが憧れたストライプ〜エディ・ヴァン・ヘイレンのフランケンシュタイン

誰もが憧れたストライプ〜エディ・ヴァン・ヘイレンのフランケンシュタイン

唯一無二の個性を放つエディ・ヴァン・ヘイレンの“フランケンシュタイン”。様々なパーツを自らの手で組み合わせ、数多の改造が施されてきた1本だ。あのエディ本人の手による象徴的なストライプ柄のデザインは、あなたの記憶に今も強く刻み込まれていることだろう。今回はこの伝説のギターについて、改めておさらいしておこう。

文=細川真平 Photo by Ross Marino/Getty

“フランケンシュタイン”と呼ばれる名器

ロック・ギターの歴史を、誤解を恐れずに、大ざっぱに、やや誇張して言うならば、ジミ・ヘンドリックス前と後に分けられると思う。そして、ジミ・ヘンドリックス後の歴史をさらに分割するならば、エディ・ヴァン・ヘイレン前と後に分けられる。

その彼の象徴が“フランケンシュタイン”ギターだ(“フランケン・ストラト”、“フランキー”とも呼ばれる。また、エディ自身は“マイ・ベイビー”と呼んでいた)。

イギリスの作家、メアリー・シェリーが1818年に発表した小説『フランケンシュタイン』に、科学者であるヴィクター・フランケンシュタインがいくつもの遺体をつなぎ合わせて作ったモンスターが登場する。これは、彼が“理想の人間”を作り出そうとした結果だった。

この小説は1910年にアメリカで初映画化されたが、1931年に再び映画化された時のモンスターのイメージがその後定着した。またこれ以降、本来は名前のないこのモンスターを“フランケンシュタイン”と呼ぶことも一般化していく。

エディのギターが“フランケンシュタイン”と呼ばれるのは、このモンスターのようにいくつものパーツの寄せ集めから作られたものだからだ(テープを巻いたかのようなペイントがフランケンシュタインの包帯に見えるから、という説もあるが、フランケンシュタインには縫合部分はあるが、包帯は巻かれていない)。

唯一無二のデザインとなったストライプ柄

エディは1975〜76年頃に、カリフォルニア州サンディマスにあったウェイン・シャーベルが経営するショップでパーツを購入。50ドルだったB級品のボディはブギー・ボディーズというメーカーのもの。これはリン・エルスワースとジム・ワーモスを中心に運営されていたパーツ・ブランドだ。ネックは80ドルだった。

余談だが、ウェインはのちにギター・メーカーのシャーベルを立ち上げ、リンはギター・ルシアーになり、ジムは世界的なパーツ・メーカーであるワーモスを創設することになる。

エディが入手したボディにはシングルコイル・ピックアップ用のキャビティが3つ開けられていたが、彼はリアをハムバッカーにしたかったために、リア・キャビティを手作業で広げた(フロントとセンターのキャビティは黒のピックガードで覆われた)。そこに、マイティ・マイトというパーツ・メーカー製のハムバッカーを搭載。このピックアップはそれ以前には、彼が所有していた61年製ストラトキャスターに載せられていたものだ。

ちなみに、“フランケンシュタイン”の最初期の形は、ブギー・ボディーズのボディに、この61年製ストラトのネック(ローズウッド指板)が付けられたもの。また、61年製のストラトキャスターからはずしたシンクロナイズド・トレモロ・ユニットも搭載されていた。

ボディは最初は無塗装で、次にはブラック・フィニッシュを施される。これは自転車用の塗料で塗装したようだ。その後、ボディ全体にマスキング・テープをランダムに巻いて、上から白で塗装し、テープをはずして、白地に黒のテープを巻いたかのようなペイントを完成させた。これが1977年のことだ。

1978年に発売されたヴァン・ヘイレンの1枚目のアルバム・ジャケットで見られるのがこれで、この時から“フランケンシュタイン”が、(当初は白黒バージョンとして)広く認知されることになった(ただし、これらの改造は1977年のレコーディング終了後に施されたと思われる)。

『炎の導火線』ジャケット
1stアルバム『Van Halen(邦題:炎の導火線)』/1978年

ピックアップは、彼が所有していたギブソン“ES-335”からはずした“PAF”(335の製造年が不明なため特定できないのだが、“ステッカー・ナンバードPAF”だろうか?)に変更された。トーンはノブ/回路ともにはずされ、ボリューム・ノブにはストラト用の“トーン”・ノブが付けられた。この段階での、ブランド名が入っていないラージ・ヘッドのメイプル・ワン・ピース・ネックが、80ドルだったブギー・ボディーズ製のものと思われる。

そのすぐあとに、ピックガードはホワイトの1プライのものになり、フロントとセンターにダミー・ピックアップが搭載される(配線はされていない)。フロントはマイティ・マイト製で、ボビンが赤いのが特徴。センターはどこのメーカーのものか不明だ。

改造の先に求めたものとは……

そして、『Van Halen II』のレコーディング終了後、1979年初頭にペイントが変更される。マスキング・テープを再度、もっと多く、細かく巻き、今度は赤で上から塗装。テープをはずすと、赤と白と黒が入り混じった複雑なデザインができ上がった。そして、ボディのバックにはトラック用の反射板が5枚貼り付けられる。ピックガードははずされ、コントロール部分は黒いビニール・テープで固定。

この時点で、誰もが思い浮かべる赤白黒の“フランケンシュタイン”が完成したと言っていいだろう。

だが、変更はまだまだ続く。このあとの一時期には、グローバー・ジャクソン/シャーベル製の黒のマッチング・ヘッドのメイプル・ワン・ピース・ネックを使用。

1980年にはフェンダー・シンクロナイズド・トレモロ・ユニットからフロイド・ローズ・トレモロ・ユニットに変更。この時、6弦側のブリッジ下には、シム代わりに25セント硬貨が取り付けられた。フロイド・ローズ・トレモロ・ユニットはこのあと、何度も異なるタイプに交換されていくが、25セント硬貨はずっとここに留まることになる。またネックは、前述のリン・エルスワースが新たに製作したものに替えられた。

1981年にはセンター・(ダミー)ピックアップの代わりに、キャビティ内にピック・アップ・セレクターが付けられる。これもまったくのダミーで、装飾的な意味しかなかった。このあたりはエディの遊び心の表われだろうが、多くのメーカーから次々と出される“フランケンシュタイン”のコピー・モデルへの抵抗だったという説もある。また、コントロール部分(実質ボリューム・ノブしかないが)は、彼がアナログ盤を切って作ったプレートで覆われたが、のちに通常の3プライ・ピックガードを切って作ったものに変更されている。

ネックに関してはその後、リン・エルスワース製作のネックを短期間で3本ほど使い継ぎ、クレイマー製やダンエレクトロ製などに替えたりもした。1985年以降、1997年まではクレイマー(実際に製作したのはトム・アンダーソン)のバナナ・ヘッド・タイプに落ち着いている。それ以降は、1981年頃に使用していたリン・エルスワース製作のテレキャスター・タイプのヒールを持ったメイプル・ワン・ピース・ネックに戻され、その後の変更はない。

ピックアップも変遷があり、マイティ・マイト、ギブソン“(ステッカー・ナンバード?)PAF”のあとは、1979年頃にディマジオ製の“PAF”に(赤白黒ペイントと同時に変更したのかもしれない)。またその後、同じくディマジオの“スーパー・ディストーション”が付けられたりもしているが、1981年以降はギブソン“PAF”に戻っていたようだ。このギブソン“PAF”は、セイモア・ダンカンがリペア、もしくはモディファイを施しているらしいのだが、時期や内容などの詳細は不明だ。

エディ・ヴァン・ヘイレンとフランケンシュタイン

こうして見てくると、“フランケンシュタイン”がどれほどの改造・変更を加えられてきたかに驚かれるに違いない(細かい点まで入れると、実際にはこれ以上の変更箇所が数多くあると思われる)。

ここまで執拗に手を入れていたことにはどういう理由があったのか、ぜひ本人に聞いてみたいところだが、それももう叶わない。やはり少しでも弾きやすく、少しでも自分の理想の音に近づけることに、徹底的にこだわり続けた結果なのだろうとは思う。

それは、“理想の人間”を作ろうとしたヴィクター・フランケンシュタインと同じ気持ちだったのだろうか? それとも、世界を制覇したこのモンスターを、常に誰にも真似されることのない“自分だけのマイ・ベイビー”にしておきたい気持ちがあったのだろうか?