Interview|クリストーン・“キングフィッシュ”・イングラム若きブルース・ジャイアントが生まれるまで。 Interview|クリストーン・“キングフィッシュ”・イングラム若きブルース・ジャイアントが生まれるまで。

Interview|クリストーン・“キングフィッシュ”・イングラム
若きブルース・ジャイアントが生まれるまで。

ギター・マガジンには初登場ということで、まずはキングフィッシュの音楽的経歴やルーツなど、基本的なプロフィールについて語ってもらった。現代のブルース・シーンを代表するギタリストとなりつつある彼が、どのように今のスタイルにたどり着いたのか。その道のりを本人の言葉とともに辿っていこう。

インタビュー/翻訳=トミー・モリー 質問作成/編集=福崎敬太 Photo by Laura Carbone

ブルースが持つサウンドが最も飛び抜けていた。

今日はありがとうございます! ブルース・ファンのみならず、日本の多くの音楽ファンがあなたに注目しています。我々はギター・マガジンですので、今回はギタリストの側面について話を聞かせて下さい。

 クールだね!

まずは音楽的な経歴から。5歳でマディ・ウォーターズのドキュメンタリー映像を見てブルースにのめり込んだそうですが、ブルースとの出会いについて改めて聞かせてもらえますか?

 僕はミシシッピー州のクラークスデイル出身で、こういった文化やジャンルの音楽に四六時中触れて育ってきたんだ。住んでいたところの隣ではブルース・バンドが活動していたりなんかもした。幼い頃は様々なジャンルの音楽を聴いていたけど、その中でもやはりブルースが持つサウンドが最も飛び抜けていると感じたんだよ。ブルースを聴く前はゴスペルにのめり込んでいて、どちらも親戚みたいなところがあるから初めてブルースを聴いた時には僕の耳にすんなりと入ってきた。マディ・ウォーターズのストーリー・テラーのような歌い方や、彼がプレイするスライドのトーンには感銘を受けて、自然とブルースの文化や歴史に惹かれていったんだ。

そこからドラムを始めて、ベースを弾くようになるんですよね? この経験によってリズムの基礎ができたことで、ギターをプレイするのにも役立ったのでは?

 そのとおり! 最初はドラムをプレイし、教会で音楽をプレイするようになった時はベースをプレイしていた。ドラムとベースはリズムの基礎を学ぶうえでとても素晴らしいもので、ギターを弾き始める時にはリズム的な基礎ができている状態だったんだ。リズム・ギターを弾くには“ポケットをどのように使うか”がポイントで、それをすでに学べていたわけだよね。

ギターに転向した理由は何だったのでしょうか?

 自分の音楽をやりたいと思ったからだね。バンドを率いてフロントマンになるならギターをプレイしようと思ったんだ。12歳ぐらいの頃、地元クラークスデイルにあるデルタ・ブルース・ミュージアムでレッスンを受けてブルースのスタイルを学んだし、YouTubeで様々な好きな曲を学んできた。その結果、今の僕があるという感じさ。

ちなみに初めてのギターは何でしたか?

 父がクリスマスに買ってくれたエピフォン製のES-335 Dotで、ボロボロになった今でも持っている。もらった日からずっと長い間プレイし続けているギターだね。

あなたが本格的にギターにのめり込んだ11~12歳の頃はどういった音楽に傾倒していましたか?

 サン・ハウスやロバート・ジョンソン、ジョニー・シャインズ、マディ・ウォーターズといったトラディショナルなブルースをそれ以前から聴いていたけれど、ギターを弾き始めてからはジミ・ヘンドリックスやプリンス、ゲイリー・ムーアといった人たちも聴くようになった。ほかにもブルー・チアーみたいなバンドも聴いていたね。

クラブに出入りすることで学んだのは“あの雰囲気”だよね。

2014年のホワイトハウスでの演奏はすでに素晴らしいギターの腕前でした。そもそもデルタ・ブルース・ミュージアム・バンドとはどのようなものだったのでしょうか?

 あれは教育プログラムの中で組んだバンドなんだ。僕はデルタ・ブルース・ミュージアムのアート教育プログラムに参加した際にギター・プレイのやり方をきちっと学んだ。ミシシッピの地元ブルースマンとして活躍していたビル・“ハウル-N-マッド”・ペリーとダディー・リッチといった人たちに幸運にも師事することができて、特にペリーは僕に“キングフィッシュ”という名前を授けてくれた。そこで組んだバンドがデルタ・ブルース・ミュージアム・バンドってことだね。僕らは芸術学習の分野で賞(ナショナル・アーツ・アンド・ヒューマニティーズ・ユース・プログラム・アワード)をもらって、ホワイトハウスでプレイすることになった。当時ファースト・レディーだったミシェル・オバマから賞をいただいたんだよ! あれはクールなイベントだったね。

演奏が終わるとスタンディング・オベーションが贈られていましたね。あの時点ですでにあなたのテクニックは子供の範疇を超えていたと思います。同世代の子供たちでは物足りず、大人たちとプレイするほうがしっくりきていたんじゃないですか?

 ハハハ! 一歩くらい先に進んでいたような気はしていたね(笑)。あの時すでに、僕はジュークジョイントで3~4年くらいプレイしていたし、ある程度成長していた部分はある。だからほんの少しだけど先を行っていたんだろうね。

学習プログラムに参加していたとのことですが、当時あなたの同年代の友人にブルース好きは多かったのですか?

 数名ほど僕と同じようにブルースに興味を持ったキッズはいたけど、やはり同い年の大部分が興味を持っていたのはヒップホップ、モダンなR&B、エレクトロ・ポップといったものだった。だから、やっぱりそういったものがドミナントだったと認めざるを得ないね。

ブルースのアドリブやジャムのやり方はどのように学んでいきましたか? やはりジュークジョイントなどでの演奏経験が主な学びの場だったのでしょうか?

 それは確実にあるだろうね。ブルースの音使いやⅠ-Ⅳ-Ⅴのコード進行、8小節や12小節のブルースといったものを学んだのは現場での演奏経験からだった。ただそれ以上に、クラブに出入りすることで学んだのは“あの雰囲気”だよね。僕にとってライブでプレイするというのはレッスンを受けるのと同じようなところがあって、僕にとっての教室がそこにはあったんだ。

自分を型にはめないことは、自分を助けることになるんだ。

プロ・ミュージシャンになる経緯についても教えて下さい。

 最初は地元のクラブでプレイすることで徐々にファン・ベースを作っていった。その後、撮影したビデオをネットにアップしたら、そこから脚光を浴びることになったんだ。それによって新たにたくさんの人と会うことができて、その中にバディ・ガイがいた。彼は僕をとても可愛がってくれて、最初のアルバムのレコーディング費用も負担してくれたし、彼のツアーにも連れて行ってくれたんだよ。その縁から、トム・ハンブリッジ(バディ・ガイが“白いウィリー・ディクソン”と称える名プロデューサー)がアリゲーター・レコードとの話を取り持ってくれたこともあってこの世界に入ることができた、という感じだね。

ギターの練習はどのようなことをしていますか?

 エリック・ゲイルズにハマると同時に僕は理論に踏み込んでいき、様々なスケールにアプローチしていったんだ。今では自分のプレイにそういったものを取り込んでいて、ドリアンやミクソリディアンといったスケールを使っている。今ではそういったことを練習してブルースのスケールと組み合わせ、ソロをもっとうまくプレイすることを目指している。昔はいわゆるレジュメ化された練習をしていなくて、ただソファーに腰掛けてプレイするだけだったんだけどね。

ブルースは良くも悪くもペンタトニックを覚えておけば演奏できてしまうので、理論を疎かにしがちな部分があると思います。それに対してあなたは理論も取り入れて、さらなる進化を求めているわけですね。ブルースをプレイするうえでも理論や知識を持つことは大きな助けになりますか?

 もちろんさ! 知れば知るほど何かを加えたりクリエイティブでいることができる。そういったツールを持っていると、異なるスタイルの音楽をトライする時にもとても役立つんだ。例えばジャズをプレイするとなった場合にも大きな武器となるだろう。自分を型にはめないことは、自分を助けることになるんだ。

作品データ

『662』
クリストーン・“キングフィッシュ”・イングラム

Pヴァイン/PCD-94053/2021年7月23日リリース

―Track List―

01. 662
02. シー・コールズ・ミー・キングフィッシュ
03. ロング・ディスタンス・ウーマン
04. アナザー・ライフ・ゴーズ・バイ
05. ノット・ゴナ・ライ
06. トゥー・ヤング・トゥ・リメンバー
07. ユアー・オーレディ・ゴーン
08. マイ・バッド
09. ザッツ・オール・イット・テイクス
10. アイ・ゴット・トゥ・シー・ユー
11. ユア・タイム・イズ・ゴナ・カム
12. ザッツ・ワット・ユー・ドゥ
13. サムシング・イン・ザ・ダート
14. ロック・アンド・ロール
15. エンプティ・プロミセズ

―Guitarist―

クリストーン・“キングフィッシュ”・イングラム