ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが1969年4月26日に米LAフォーラムで行なったライブの音源が、初めて完全版として単独作品化された。日本盤タイトルは『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』。これに封入されたブックレットには、実際に現場でライブを目撃した、ZZトップのビリー・ギボンズによる序文が掲載されている。今回、特別にビリーに時間をもらい、ジミ・ヘンドリックスとの思い出やLAフォーラムでの演奏について、そしてジミから受けた影響など、貴重な話をたっぷりと聞かせてもらった。
インタビュー/翻訳=トミー・モリー 質問作成/文=福崎敬太 Photo by Blain Clausen
このアルバムのサウンドは最高だ
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのライブ盤『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』のブックレットに掲載された、あなたの解説を読みました。ジミへのリスペクトが感じられる素晴らしい文章です。
あぁ、そうかい(笑)。正直なところ、今回のこのレコーディングの発見はかなりのサプライズだったよ。特に聴いてみるとそのクオリティに驚くだろう。このアルバムのサウンドは最高だ。1969年の録音ということも考えるとこれだけグレイトなクオリティでキャプチャーされていることは本当に素晴らしいことで、君もこのアルバムを聴いているんだろう?
もちろんです。生々しい歪みやフィードバックが感じられるギター・サウンド、太いベース・サウンド、そして強烈なドラミングと、パフォーマンスと相まって素晴らしいライブ・アルバムとなっていますね。
本当にそのとおりだよ!
『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
今作のブックレットには、実際に会場でライブを見ていたZZトップのビリー・ギボンスが序文を寄稿している。国内盤CDに封入されている翻訳された文章を読んでから、ぜひもう一度このインタビューを読み直してほしい。
では本日はあそこに書ききれなかったジミとの思い出を聞かせて下さい。あなたは1968年にザ・ムービング・サイドウォークスでジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのオープニング・アクトを務めたそうですが、それ以前からジミのことは知っていたんですよね?
私にはラッキーなことに当時、イギリスのロンドンにガールフレンドがいたんだ。彼女はジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの1stアルバム(『Are You Experienced』/1967年)のレコードをテキサスまで送ってくれたんだよ。“あなたにレコードを送るわ。絶対にこれは聴かなくちゃダメよ。このレコードを聴いたあなたは最高にハッピーな気分になるはず!”って言っていたね。
あのレコードを初めて聴いた時、ターンテーブルから離れることができなかったよ(笑)。それまでに聴いたことのなかったサウンドが詰まっていて、“コイツは世界を揺るがすことになるだろう……”と直感的に感じたんだ。それがこれから押し寄せてくるであろう彼の音楽に初めて触れた時に私が味わった感覚だね。
オープニング・アクトを務めた経緯は?
彼らのことを知ってすぐに、ムーヴィング・サイドウォークスのマネージメントから電話があったんだ。“とあるグループからリクエストを受けたのだが、一緒にツアーに出てみないか?”ってね。私は“まぁいいとは思うんだけど、そのグループって誰なんだ?”と聞き返した。すると“私たちもあまり知らないのだけど、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスっていう名前なんだ”って言うんだよ(笑)。
(笑)。
彼らのことを知らなかったってことなんだけど私はすでにレコードを聴いていたわけで、即座に“もちろんツアーに出たい! これってかなり面白いインビテーションだね!”と返答してすべてが始まったんだ。“彼らが君とツアーに出たいと言っている”、“OK!”といったシンプルな一本の電話から実現したんだよ。
その共演時に初めてジミのライブを観たのですか?
そうだね。
初めて生演奏を体感した時の感想を教えて下さい。
レコードを送ってれたガールフレンドとは別のイギリスに住む友人がいて、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのライブを観たという彼から、“頭が吹っ飛ばされるから、その準備をしておくんだ。これは新しくて強烈だよ”と言われていたんだ。実際にその言葉どおりで、この“強烈”っていう言葉はまさにピッタリだったね。
「フォクシー・レディ」のオープニングのフィードバックについて、ジミから直接レッスンを受けたそうですね。
ムーヴィング・サイドウォークスは「フォクシー・レディ」と「パープル・ヘイズ」の2曲を、彼とのツアーでプレイしたんだ。彼がステージに上がるちょっと前にその2曲をプレイしていたのだから、おかしな話だろう(笑)? 初めてプレイした晩、私がステージを降りた所で彼に肩を掴まれて“おい、俺はお前のことをよく知りたい。お前はなんて図太い神経をしているんだ。気に入ったぜ!”と言ってくれたんだよ(笑)。“「フォクシー・レディ」のオープニングをどうやってプレイするのか見せてやるよ”と言われたけど、当時はギターのサウンドじゃないと思っていたんだ。それで彼は“これはギターによるものだ。見せてあげるよ”と言って教えてくれたんだ。
ジミはノエル・レディングと同様にサンのアンプも使っていたはずだよ
さて、ロサンゼルス・フォーラムでの公演について聴かせて下さい。ライブを観に行った経緯は?
私たちは実はこのライブから少し遡った頃に、彼らと別行動を取ることになったんだ。その時にジミから、“俺らはこれからデトロイトに行き、カリフォルニアに向かうんだけど、カリフォルニアで会わないか?”と言われた。私たちは“最高じゃないか!”と返したよ。
あなたがオープニング・アクトとして初めて帯同した1968年2月から1年後の演奏ですが、彼らは進化していましたか?
このレコードが録音されたフォーラムのあの夜、パフォーマンスの序盤からけっこうな数のオーディエンスがステージに登ろうとしていた(笑)。そのおかげでライブが少し邪魔されたようなところがあったけれど、ジミはそれに怖気づくことなく手懐けて、うまい具合に状況を落ち着かせていた。“OK、クールにやろうぜ。ショウを続けたいからさ”とね。
このことからもわかるとおり、バンドはあの時点ですでにプロフェッショナルとしてできあがっていて、プレイも素晴らしくソリッドなグループとなっていたよ。
ギターを叩き壊したり、燃やしたり、彼の派手なステージ・パフォーマンスは多くのギタリストに影響を与えてきました。LAフォーラムでのパフォーマンスで印象に残っていることはありますか?
そういった派手なトリックの多くを彼がやり出すのは、もう少しあとになってからだと思う。今回のレコードが録音された当時のショウでは、かなりストレートにプレイしていたよ。
あと、ジミがギターであんな想定外の使い方をしていられた理由の1つには、どんな時も機材トラックが常に2台あったことが挙げられるだろう。1台はドラムやアンプを積んだ一般的な機材車だったけど、もう1台はフェンダーのストラトキャスターばかりが積まれていたんだ。どんな時も20本の白いストラトキャスターが必ずあった。だから彼はクレイジーなトレモロ・アームの使い方にだって恐れることは一切なかったし、“何本でもバックアップがあるのだからさ!”という感じだったよ(笑)。彼はいつだって限界まで攻めた使い方をする準備ができていたんだ。
あなたはステージ袖から見ていたそうですが、ほかにはそこに誰かいましたか?
マネージャーのチャス・チャンドラー、そして彼のワイフもいた。あと彼らが連れていた、ナイジェルとジェリーという2人だけのクルーとも私は仲良くなったよ。もちろん2人ともしっかりと仕事をしていて、彼らみんなと私は楽しい時間を過ごしたね。
1969年4月26日の映像とされるものをインターネットで見つけましたが、ジミは3台のマーシャル1959 Super Leadを並べていました。これは間違いないですか?
そうだね。でも彼らはサンのアンプも使っていた。ある時ジミたちは、バック・マンガーというサンのA&R担当の男にアプローチされていたんだ。彼はジミにサンのアンプを使うことを薦めていた。どこかに写真として残っているはずだからちょっと調べに行きたいが、ジミはノエル・レディングと同様にサンのアンプも使っていたはずだよ(編注:写真や資料等では確認できず)。
2000Sというモデルがあって、それを200Sのサイズに組み直していたんだ。これはサンとしてもかなり初期に行なったデザイン変更だったと思うね。これも使って彼らは誰も聴いたことがないサウンドを作っていたよ。
ほかにジミが当日使っていた機材としては、足下にはOctavia、Fuzz Face、VOXのワウといった組み合わせでしたか?
あの丸いFuzz Faceは使っていたけど、ほかはどうだったかな……。うん、たしかにOctaviaもあったし、ワウ・ペダルもVOXのものだったと思う。しかしあの当時のオリジナルのFuzz Faceは、今じゃ本当に中々見つからなくなってしまったね。
エフェクター・ファンの憧れになっていますね。
ジミと知り合ってからかなり最初の頃……あれはテキサスでのことだったかな? ジミから“Fuzz Faceって2台以上同時に使えるかな?”って聞かれたんだ。彼は3台もFuzz Faceをつないで弾いて(笑)、ヒーヒーと叫ぶようなクレイジーなサウンドが生まれていた。私は“まぁ、できなくはないんじゃないかな? でも本当にそれがいいのかはわからないや……”と答えたね(笑)。
ジミ・ヘンドリックスは“歌うこと自体はかなり快適なことだ”と話していた
ZZトップはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスから影響を受けたトリオと書いていましたが、トリオの魅力や可能性について、彼らの音楽からどのようなことを受け取ったのでしょうか?
私たちが学んだのは、あのシンプルな編成にも関わらず、そこから生まれてくる表現の幅の広さだった。トリオっていうのは最大限にスリム化させたフォーマットだ。それと同時にバンド・メンバー全員がかなりハードにプレイしなくてはならず、私たちは常に110%の力を出すようにしてきた(笑)。誰もが絶えずハードワークしないとまったくうまくいかなくなるんだ。それでいて私たちはチャレンジを好み、楽しんでいたよ。
もちろん、ホワイト・ストライプス、ブラック・キーズ、ロイヤル・ブラッド、トゥエンティ・ワン・パイロッツといった2ピース・バンドがたくさんいるのもわかっているが、そういうのはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスやクリームから何年もあとに生まれてきたものだろう? つまり彼らによって、ミニマリストな形態であっても様々なサウンドが生まれてくることが証明されたあとのことだなんだ。
あなたはジミ同様、ギタリストでありボーカリストです。ジミは“こんなの弾きながら歌っているのか!”と驚くようなプレイをしますが、ジミのボーカル&ギターとしての凄さはどのような点にあると思いますか?
彼は“歌うこと自体はかなり快適なことだ”と話していて、おそらくそれは歌うこと自体が彼にはまったくもってチャレンジングなことではなかったってことだろう。私は彼のボーカル・トラックだけを聴いたことがあって、彼のボーカルは基本的にワンテイクのものばかりだった。彼くらい複雑なギター弾きながら歌うことは、私たちにとっては難しいことだと思うかもしれないが、彼にとってはそんなに大きなことではなかったのだろうね。
おっと、今夜はアトランティック・シティでのライブがあって、そのウォームアップにそろそろ行かなくちゃいけないんだ。まだ質問はあるかい?
ここまでたっぷりと語っていただきましたが、最後に改めて、あなたが思う、ギタリストとしてのジミ・ヘンドリックスの魅力を聞かせて下さい。
一言で言ってしまえば“スタイル”だね。この言葉の中には音楽の届け方、情熱、アティチュードを含んでいる。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバーは3人とも、革新的で重要な意味のあるものを生み出していることを、おぼろげながら理解していた。そして彼らは誇りを持ちながら、彼らにとってベストなものを世の中にリリースした。ほかにも色々語りたいんだが……、やっぱり“スタイル”っていう言葉がすべてをまとめてくれているね。
今回は貴重なお話をありがとうございました。またあなたの音楽についても、またの機会にじっくりと話を聞かせて下さい!
それはワンダフルだ! 今日のこの電話で私はジミ・ヘンドリックスと過ごしたあの頃の良い思い出が蘇ってきた。今夜のプレイをいつもとは違うものにしてくれるだろうね(笑)。どうもありがとう。どうやら私たちはまた近いうちに話をしなければならないようだね!
作品データ
『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
ソニー/SICP-6490/2022年11月18日リリース
―Track List―
- イントロダクション
- タックス・フリー
- フォクシー・レディ
- レッド・ハウス
- スパニッシュ・キャッスル・マジック
- 星条旗
- 紫のけむり
- 今日を生きられない
メドレー - ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)
- サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ
- ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)
―Guitarist―
ジミ・ヘンドリックス