日本を代表するギタリスト竹田和夫が率いた伝説的バンド、クリエイションと竹田のソロ作品11全タイトルのリイシュー盤が、今年の5月、8月、11月の3回に分けてリリースされる。今回、リマスターを監修した竹田にそれらの作品をじっくりと振り返ってもらった。本誌2023年9月号に掲載されたインタビュー前編に続き、ギタマガWEBでは後編をお届けしよう。クリエイションの4th『Super Rock In The Highest Voltage』(78年)からソロ作『SOMETIME-BLUES』(82年)まで、7作品をご堪能あれ!
取材・文:久保木靖 人物撮影:西槇太一
ファンキーなリズムを弾くのが
凄く楽しかった。
ギター・マガジン2023年9月号
『いとしのテレキャスター』
竹田和夫のインタビュー前編は、ギター・マガジン2023年9月号に掲載! 本記事を読む前に、ぜひチェックしておこう。
インタビュー後編となります。クリエイションの4th『Super Rock In The Highest Voltage』(78年)ですが、これは今回初CD化なんですね。リー・リトナーの『Gentle Thoughts』(77年)などと同様、ダイレクト・カッティングで収録されたとのことですが、どのようにレコーディングされたんですか?
まず、“せーの”でプレイしたテイクをそのままカッティングして、マザーを作るんですね。工場からカッティングのマシンを持ってきてスタジオの中にセッティングしましたから、大変なチャレンジだったと思いますよ。
このアルバムは全体としてグルーヴ重視な印象を受けます。ギターは以前よりもカッティング・プレイが増えました。
この頃は、こういうファンキーなリズム・セクションの中でリズム・ギターを弾くのが凄く楽しかったですね。自分にとってのそういう要素は、若い頃に聴いたジェームス・ブラウンの影響が大きいんです。10代の頃にはゴーゴーホールでそういうプレイもしていましたから。
「BLUES FROM TOKYO」以外はインストですね。
歌モノは、なかなか大変だったんですよ。そこら辺を立て直して作ったのが次作『スタジオライブ!』(78年)です。
『スタジオライブ!』も初CD化ですね。四人囃子のギタリスト、森園勝敏さんが参加しています。
ここでの曲は、普通のスタジオ録音用に書きためていた“これぞ!”という曲だったんです。それを急遽またダイレクト・カッティングでやるということになって。大人数だったこともあって大変でしたね。
森園さんとのパート分けは、どのように決めたんですか?
森園とはワールド・ロック・フェスティバル・バンドで一緒だったので、そこで培ったコンビネーションがありました。フランクな付き合いですけど、互いにリスペクトし合っていてね。音数が多いのが僕で、スロー・ハンドというか、テイスティなタイプが森園です。ルーツは似てますよ。
ボーカルの清水保男さん(ジュニア・ボーイズ)は、のちに「あしたのジョー」(※編注:キングレコードで制作された7インチ盤。作詞は寺山修司)を歌ったことで知られますよね。
そうそう。彼とは縁がありましてね。72年にロンドンでマディ・ウォーターズのライブを観ていたんですが、アンコールで「Got My Mojo Working」をやった時、大声で“Mojo Working!”って叫んでいる客がいたんですよ。誰かと思って見たら、69年頃に日本でよく対バンしてたジュニア・ボーイズ(※編注:ギターは松木恒秀)にいた人でね。当時の東京で1~2を争う実力のソウル・シンガーですよ。その時、彼はスウェーデン在住だったんだけど、その後日本に戻ってきて、一緒にやることになったんです。
ここまでのアルバムは、クリエイションの2nd『Felix Pappalardi & Creation』(76年)以外、すべて内田裕也さんのプロデュースですね。
内田さんはフィーリングの人でしたね。言うことは、例えば“髪がボサボサじゃダメだ。油か水くらいつけておけば、もっと良い音するぞ”みたいな。“Eの音がシャープしてたぞ”なんて細かいことは言いません。だから、逆に僕なんかがわからないことをたくさん気づかせてもらいました。
曲は基本的にアコギで作ります。
クラプトンなんかと一緒ですよ。
次の『朝日の国』(80年)も初CD化です。79年にクリエイションを解散したあと、再始動した時のアルバムですね。
そうです。この頃、曲がいっぱいできたんですよ。今まで書けなかったような曲とか、作れなかったようなアレンジとか、そういうのがどんどんまとまって、もう一段階上に行けたような気がしていました。同時期にメンバーの中で進む方向が変わったんですけど、僕はやっぱりロック・プレイヤーだから、ロック・バンドをやりたかったんですね。だから新しいメンバーになっていったんです。
曲がバラエティに富んできた印象があります。
ジミ・ヘンドリックスのロックみたいな感じだったり、フュージョンだったり……。でも、それらを通り越したあとだから、アレンジなんかも洗練されてきてますよね。
曲作りはどのようにしていたんですか?
基本的にアコースティック・ギターで作ります。クラプトンなんかと一緒ですよ。側にいつもアコギがあって、それを弾きながら、“ラララ……”とか歌いながら(笑)。リフの曲でもアコギで作ります。テープ・レコーダーに録っておいて、あとで歌詞を考えたり。そんな感じですね。
このアルバムでスライド・ギターを弾いているゲイリー・ブルーワーという方は、どのようなギタリストなんですか?
ナショナル・フラッグという、ハンブル・パイの弟分のイギリスのバンドがいたんですが、そこのリード・ボーカル兼ギタリストだった人です。どこかのフェスティバルで会って、仲良くなったんですよ。そしたらある時、彼から手紙とデモ・テープが送られてきて……。それは曲の売り込みだったんですけど、結局なんだかんだとコミュニケーションを取ってるうちに、一緒にやることになりました。
なるほど。そして翌年、大ヒットのタイトル・チューンを含んだ『Lonely Heart』(81年)をリリースします。
前作『朝日の国』から、このあとの『Running On』(82年)までのスタジオ3作に収録された曲は、基本的には同じ時期に作ったもの。メンバーも同じですね。アレンジやコンセプトも同様なんですが、この作品は特にハード&メロウというか、今で言うところのシティ・ポップなんでしょうね。
ディストーション・ギターのリフが少なくなり、クリーン・トーンに近いカッティングの印象が強まりました。
ブラック・サバスみたいな熱いリフはないですね。そういうのが好きだった評論家は“「MOVE ME」が良い”と言っていましたけど。でも、歪んだギターもいっぱい入ってますよ。
「ロンリー・ハート(Japanese Version)」など、ここに来て日本語詞の曲を入れた理由は?
アイ高野のボーカル、特に日本語ボーカルの良さですね。昔から好きだったんですよ。日本語のボーカルでカッコ良いと思ったのは彼が最初。自然だったんですよね。
裵天外さん、高木貴司さんのツイン・ドラム体制にした理由は?
ドラムが2台いると、走ったり、乱れたり、そういうのが絶対にないんです。ドラマーも楽になるというか、パーカッションが入るよりは、ドラムで色んなことができますからね。それと、やっぱり新しいサウンドを作りたかった。このメンバーで香港に2回行ったんですけど、このツイン・ドラムは現地でも凄く評判が良かったですよ。
「HEART-BREAKER」のギター・ソロで使っているのはオクターバーですか?
いや、ギター・シンセサイザーかもしれないですね。今もライブでやる曲なんですよ。だからこの前、この録音を聴いてみたんですけど、我ながら“頑張ってフレーズを弾いているな”と思いましたね(笑)。
ブルース・ハープは
ジャック・ブルースの影響。
『ジャスト・アライブ』(81年)も初CD化となります。当時の渋谷公会堂(※編注:現在のLINE CUBE SHIBUYA)でのライブですが、当時の思い出はありますか?
あー、これはね、痛いエピソードがあるんですよ(笑)。その頃、僕は新宿に住んでいたんですけど、どういうわけかこの日は中野サンプラザに行ってしまった。いくら待ってもほかのメンバーは来ない。似たようなサイズのホールですから、勘違いしてしまったみたいです(笑)。
たしかに印象は被りますね(笑)。ステージでギターは何本か使い分けていますか?
この頃のメインは2本ですね。ジャケットに写っているハムバッカーを搭載したGrecoのカスタム・モデルと、シングルコイルが載った普通のストラトキャスター。トレモロ・アームを使った曲はストラトです。
「MEDLEY : MAMA, YOU DON’T CRY〜夢の彼方へ DREAMS I DREAMS OF YOU」のギターのハモリは、アイ高野さんとのプレイですか?
そうですね。
「朝日の国 THE LAND OF RISING SUN」のブルース・ハープは竹田さん?
そうです。69年頃からジャック・ブルースの影響で吹いているんですよ。
東芝EMIでのクリエイションは、『Running On』(82年)が最後のリリースとなりますね。
さっき話したように、このアルバムも『朝日の国』や『Lonely Heart』と同じコンセプトです。自分で言うのもあれですけど、“良い曲が多いなぁ”と。70年代には作れなかったタイプの曲がドンドン出てきたんです。スタジオでちょっとしたトラブルがあって、収録を待たされた記憶がありますね。
「Ticket To The Moon」もこれまでとは違ったポップさがあります。
そうですね。コーラスもちゃんと録れたし、スピード感も出せました。
「Mama Ain’t Gonna Be Long」はツイン・ボーカルにツイン・ギターですね。
ボーカルは僕とアイ高野です。もう1人のギターは、これ以前にスペース・サーカスというバンドにいた佐野行直。佐野はもう亡くなってしまいましたが、このあともしばらく一緒に活動していました。
B.B.キングにノックアウトされました。
ジャズ・ギターに聴こえたんです。
最後は、竹田さんのソロ2作目『SOMETIME-BLUES』(82年)です。ブルース・ロックを超越して、竹田さんならではのリアル・ブルースに到達した印象を受けたのですが。
白人でもない、黒人でもない、色んなバック・グラウンドを背負った1人の日本人ですからね。その頃のライブでも必ず1曲はブルースをやっていたので、特別に原点回帰というわけでもないんです。
僕は最初こそベンチャーズでギターを覚えましたが、その後はリバプール・サウンドからブルースに入っていきました。だから自分の原点は黒人ブルースということではない。とは言え、自分が最も学んできたもの、表現力という意味ではやっぱりブルースですから、それをロンドンで作りたかったんですよ。このアルバムはジェスロ・タルのイアン・アンダーソンのスタジオで録ったんです。
そんな竹田さんにあえて“黒人ブルース観”をうかがいたいのですが、最も影響を受けたギタリストは?
まず、B.B.キングに物凄い影響を受けているんですよ。71年の初来日公演の時、彼のギターを聴いてノックアウトされました。ディミニッシュを弾いたりしていて、僕にはジャズ・ギターに聴こえたんですね。このブルースとジャズの関係が、最初のソロ作『Misty Morning Flight』(78年)につながったんです。
B.B.キングの好きなアルバムは?
『Confessin’ The Blues』(65年)ですね。ケントからABCに移った頃はもう最高です。やっぱりB.B.キングとアルバート・コリンズには、1音で人を倒しちゃうような威力がありますよ。
なるほど。それとこのアルバムにはジミヘンの「Red House」のカバーも収録されていますね。
ジミヘンは最初、“よくわからないな”って思ったんです。でも、遠くから蚊が鳴いてくるような「Foxy Lady」のイントロのフィードバックには驚きましたね。それ以前は、ああいうサウンドはなかったですから。それとあのファズ・トーン。それまではローリング・ストーンズの「(I Can’t Get No)Satisfaction」(65年)でしか聴けなかった。
でも僕、ジミヘンのギターをコピーしたことはないんです。やたらと聴きはしましたけどね。だからたまに“ジミヘンのフレーズだ”なんて言われることはありますけど、自分としては“えっ、そうなの?”というくらい。だから、もう隣のオジさんみたいなもんですよ(笑)。
このアルバムのスライドはすべて竹田さんですか?
僕が弾いたものもありますが、「Down On My Knees」は『朝日の国』にも参加していたゲイリー・ブルーワー。僕は、スライドに関してはジョージ・ハリスンのようなメロディックなプレイが好きでしてね。
ジャケットの写真の場所はロンドンですか?
そうです。マーキー・クラブの裏ですね。
長い時間、ありがとうございました!
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ギター・マガジン2023年9月号
『いとしのテレキャスター』
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