エドワード・コール(フェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションCEO)インタビュー〜Play Guitar, Play Fender! 新CEOが見据えるフェンダーの未来 エドワード・コール(フェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションCEO)インタビュー〜Play Guitar, Play Fender! 新CEOが見据えるフェンダーの未来

エドワード・コール(フェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションCEO)インタビュー〜Play Guitar, Play Fender! 新CEOが見据えるフェンダーの未来

2026年1月、フェンダーミュージック(日本法人)の社長を務めるエドワード・コール氏が、米国本土のフェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションCEOに就任するというビッグニュースが楽器業界を賑わせた。

原宿に旗艦店FENDER FLAGSHIP TOKYOをオープンさせ、去年はFENDER EXPERIENCE 2025という4万人を動員した体験型イベントを大成功させるなど、数々の施策を打ち出してきたが、それらの構想もすべてエドワード氏が11年前にフェンダーに入社した当時から思い描いていたプロジェクトだったという。

現在の心境を聞くとともに、見据えるフェンダーの未来について語ってもらった。

通訳:トミー・モリー 撮影:鈴木千佳
*本記事は、ギター・マガジン2026年3月号の同名記事を転載したものです。

エドワード・コール(EDWARD COLE) プロフィール

エドワード・バド・コール。2015年よりフェンダーミュージック及びアジアパシフィック(APAC)の社長を務め、2026年2月16日にフェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションの最高経営責任者(CEO)に就任。2023年に原宿のFENDER FLAGSHIP TOKYOをオープンするなど、経験豊富なグローバル経営者として手腕を発揮し、アジア太平洋地域14ヵ国にわたる事業拡大を主導した。

再び光の当たる場所へ導いてくれたのは日本のクラフトマンたちでした。

まずはFender CEOへのご就任、おめでとうございます。現在の心境を教えてください。

 私にとって、2人の娘に恵まれたことを除けば、職業的な観点から見てこれは私の人生における最高の到達点です。非常に大きな名誉であると同時に、極めて真剣に受け止めなければいけない責任もあります。

 私が3歳だった1970年代初頭、兄がストラトキャスターやテレキャスターで「Wild Horses」(ローリング・ストーンズ)を弾いている姿を観た時から、フェンダーは私の人生の一部でした。フェンダーは世界中の人々やプレイヤーにとって特別な存在であり、その価値観に忠実でありながら次の章へと会社を導いていくことに大きなやりがいを感じています。フェンダーのDNAに対して謙虚さ、強い集中力、そして純粋な興奮を持って向き合っていきたいと考えています。

日本にAPACを統括するFender Music Corporation Japanができて約10年、旗艦店であるFENDER FLAGSHIP TOKYOができて2年半が経ちましたが、あなたがアジアパシフィックの社長に就任してから、日本/アジアにおけるフェンダーの市場はどんどん大きくなりました。どのような部分に重きを置いて会社を成長させていったのでしょうか?

 フェンダーと日本は1980年代から素晴らしい関係性を保っており、一緒にこの市場に確かな基盤を築き上げてきました。私が日本に来て事業に携わり始めた当初は、この事実が重要な出発点だったのです。

 私の優先事項はこの市場で皆さんからの信頼を強固にしていくことでした。それはアーティスト、ディーラー、メディア、そしてプレイヤーの声に耳を傾け、日本という独自の文化の中で音楽やギター演奏が果たす役割を理解することから始まります。

 日本には品質の高いクラフトマンシップや本物であることを深く理解する、非常に成熟した市場があります。また、私がこれまで世界約80ヵ国で仕事をしてきた経験から言っても、日本の消費者は品質や自分たちが愛するブランドに対して最も知識があり、真剣に向き合う存在だと思います。

 私たちはこの市場を、画一的なやり方でとらえたことはありません。その代わりに長期的な関係性、プレミアムな体験、そして製品、小売り、さらには日本のコミュニティにおける関わり方に至るまで、フェンダーが誇る妥協のない基準を大切にしてきました。

 原宿のFENDER FLAGSHIP TOKYOも、単なる販売の場ではなく日本の音楽文化の中でフェンダーが息づく場所を作ることを目的としていました。

あなたが最初に手に入れたギターも、日本製のテレキャスター・シンラインだったそうですね。どのようにして手に入れたのか、そのエピソードを教えてください。

 私は大学時代にバンドを組んでいて、そのバンドではリード・シンガーとメインのソングライターを務めていました。それまで私はアコースティック・ギターしか弾いてこなかった。私はストローク専門のソングライターで、曲を書いたりバンドにテクスチャーを加えるためにギターを使っていました。

 ただ、ずっとフェンダーのテレキャスターが欲しくて、1988年にシカゴ近郊のギターセンターでこのギターを購入したのです。

Made In Japan ’69 Telecaster Thinline

エドワード氏が1988年に入手したという69年型の日本製テレキャスター・シンライン。

セミ・ホロウ構造のマホガニー・ボディ&メイプル・ネックの組み合わせが、いわゆる一般的なテレキャスターとは異なる独特な音色を生み出す。

約40年前の楽器だが非常に状態もよく、ブリッジ・カバーが装着されていることからも生涯大事に使用されてきたことが伺える。

 これは1969年型のテレキャスター・シンラインで、私のバンド活動を通してずっとメイン・ギターとして君臨しました。アリゾナ州立大学に在学中の頃は、このギターを持ってツアーに出たこともありましたね。

 レディオヘッド、エディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ、イギリスのザ・シャーラタンズやザ・ミッション、当時アリゾナで人気だったジン・ブロッサムズなど多くのバンドの前座を務めました。数え切れないほどのバンドと共演し、R.E.M.のピーター・バックやピーター・ホルサップルと同じステージに立ったこともあります。

 私はこのギターが持つ典型的なフェンダーのトーンと、Made in Japanならではの美しいニュアンスが大好きです。少しきらびやかな音色でありながら、紛れもなくフェンダーの音です。

 そう言えば、アリゾナ州のツーソンで2夜プレイしたあと、私たちはバンに機材を積み込んで帰路についていたのですが、なんと高速道路で事故を起こして車は横転し、機材はすべて外に放り出されてしまったのです。

 このギターはケースごと投げ出されましたが、ほかの多くの機材が壊れてしまったにもかかわらず、このギターだけは無傷でした。

 だからこそ私は日本製フェンダーを本当に特別なものだと思っています。1980年代、CBS時代のあとにフェンダーを再び光の当たる場所へ導いてくれたのは日本のクラフトマンたちでした。彼らは私たちにとって、とても美しい存在なのです。

この10年でフェンダーの“Made in Japan”シリーズは、さらに進化したように感じます。実際、世界的にこのシリーズはどのように評価されているのでしょうか?

 私は常々、Made in Japanのギターは“入手しづらい存在”だと話しています。日本で製造できる数には限りがありますからね。

 デザイン、設計、製造、そしてクラフトマンシップに込められた考え方にフェンダーのDNAが詰まっていて、その上でMade in Japanならではのひねりとクオリティが加わっています。

 Made in Japanのギターの大半は日本国内で販売されていますが、海外のどの市場で展開しても非常によく売れています。人々はデザインをリスペクトし、サウンドを評価し、Made in Japanギターに宿るフェンダーのDNAを高く評価してくれています。

 日本の品質に対する評判はもはや世界中で知られており、今や日本はギターの世界だけでなく、ファッションやコレクター・アイテムなど様々な分野で地位を確立していますから。

 “Made in Japan”であることは今や世界的に大きな注目を集めており、私たちはその一部であることをとても誇りに思っています。

レオ・フェンダーが築いた遺産をリスペクトし、次の80年に向けて発展させることが私の使命。

都内のライブハウスを見ても、圧倒的にフェンダーを使っている若いギタリストが多い印象ですが、近年は若年層にフェンダー製品を届けることを強く意識していましたか?

 日本では入門者から趣味としてプレイする人たち、クラブでプレイする人、コレクター、そしてプロに至るまで、あらゆるレベルにおいてフェンダーのシェアが伸びています。

 しかもこれは年齢を問いません。この業界が成長するためには若い人たちが初めてギターを手に取り、しかもフレンドリーな価格で高品質なギターを持てること、そしてプレイし続けるための“ツール”を提供することが重要です。

 その“ツール”とは、完全な初心者からある程度プレイできるようになるまでのおよそ4〜6ヵ月の期間をサポートすることも含みます。

 ギター業界の課題は多くの人が最初の半年から1年でやめてしまうことですが、6ヵ月続けて基礎を身につければ、ギター・プレイヤーの仲間入りを果たして、一生ギターを続ける可能性が高まります。一度その“ファミリー”に入れば、生涯を通じて複数のギターやアンプを購入するようになることでしょう。

 ですから、私たちは初心者をサポートすることでファミリーに迎え入れ、人生をギターと共に歩んでもらいたいと考えています。

 そのために私たちはフェンダーおよびスクワイアの両ブランドで、手頃かつ高品質な楽器を提供し、プレイしたい気持ちが芽生えてから実際にプレイできるようになるまでを支えてきたと思っております。

今話に出た想いが、昨年10月に行なわれたFender Experience 2025という体験型イベントにつながっているのでしょうか?

 Fender Experience 2025は、まず何よりも我々のブランド、ギター、そしてそれをプレイするアーティストたちを祝福するイベントでした。

 製品についてはカスタムショップを最高峰に、American ProfessionalⅡやAmerican UltraⅡ、Made in MexicoのPlayerⅡ Seriesなど、様々なラインナップに渡ってフェンダーを祝福するものでした。

 そしてブランドの歴史を祝う場でもありましたし、日本のアーティストが国内のみならず、世界で果たしてきた貢献を称える場でもありました。

 多くの人は日本のアーティストを日本国内での活動やファン層でとらえがちですが、日本のアーティストは今や世界中で知れ渡っています。

 3日間のイベントは入場無料で参加できました。来場者はフェンダーをライブで体験し、製品を知り、アーティストと出会い、日本におけるフェンダーの豊かな歴史、優れたクラフトマンシップ、そして素晴らしいプレイヤーたちを体感することができたのです。

おそらく、1つの楽器ブランドがこれほど大きなイベントを無料で開催したことはなかったと思います。

 ありがとうございます。私がフェンダーに加わった時から、“フラッグシップ・ストア”は常にビジョンの一部でした。

 私は入社6週間後に自宅の地下室でFender Music Japanを立ち上げました。そこにはホワイトボード2枚、犬が2匹、そして従業員が1人だけいました。

 日本での事業を成長させるための戦略を練った際、18ページ目にはフラッグシップ・ストアとFender Experienceの明確なビジョンがありました。

 これらはブランド、アーティスト、クラフトマンシップへの完全なコミットメントです。これはフェンダーをプレイし表現をし続けてもらうために継続的にコミットしていくプロジェクトの一部です。

 少しスピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、私はフラッグシップ・ストアに実際に建物ができる前から心の中で何千回も訪れてきましたし、Fender Experienceも同様です。

 私たちのチームのみならず日本のアーティストもこのアイディアを相互理解し、共にこのイベントを作り上げてくれました。私たちはこの市場、アーティスト、そして音楽の力を強く信じています。

近い将来、アメリカでもFender Experienceを開催する可能性やその計画はありますか?

 Fender Experienceをアメリカで開催するというアイディアは素晴らしいですし、ほかの国でもやってみたいと思っています。

 しかし最も重要なのはまず日本で成功させることでした。日本で成功して受け入れられれば、世界のどこでも通用します。逆にほかの国で先に行なってそれを日本に持ってきても、日本人は感性や品質へのこだわりが鋭いため上手くいかないことがあります。

 日本で行なうことで、コンセプトをより洗練させることができるのです。日本で成功すればほぼどこでも通用することがわかっていますし、私はこれに全力で取り組んでいます。

 フェンダーは世界でナンバーワンのギター、ベース、アンプのブランドであり、市場をリードする存在です。そしてリーダーとして他社ができない、やろうとしないことを行なうことをこのFender Experienceで示すことができました。

 Fender Experienceは日本で私たちが生み出した現象です。フラッグシップ・ストアが世界で唯一のものであるように、このフォーマットで実施したFender Experienceも世界で唯一です。

これからグローバルCEOとして、どのような計画をお持ちですか?

 私のすべての行動の基盤はフェンダーの素晴らしい歴史にあります。第一にレオ・フェンダーが過去80年間に築いた遺産をリスペクトし、それを次の80年に向けて発展させることが私の使命です。

 私は1988年から自分のギターを所有し、人生のあらゆるチャプターで共に過ごしてきました。このギターは、フェンダーが存在する理由、すなわち人々が自分の声を見つけ、音楽を通して自己表現する手助けをするということを常に思い出させてくれます。

 私は常に“フェンダーは人々がギターをプレイすることをサポートする”と言っています。そして私のビジョンは、次の4つの原則に基づいています。

 1つ目はプレイヤー・ファーストです。彼らが音楽の旅のどの段階にあっても、常にプレイヤーが中心です。

 2つ目はクラフトマンシップ。入門用Squier、PlayerⅡ Series、American ProfessionalⅡ、Made in Japan、Custom Shopにかかわらず、常にクオリティ、フィーリング、信頼性を維持することが不可欠です。

 3つ目は文化と歴史。フェンダーは過去を尊重しつつ、未来に目を向ける責任があります。

 4つ目が人です。グローバル規模での人間関係と、人々の力がフェンダーの強みです。

 CEOとしての私のコミットメントは明確です。注意深く耳を傾け、意志を持って行動し、明確に導き、フェンダーの成長を維持しながらもその魂とDNAを守ることです。

 フェンダーの未来に深く関心を寄せてくれるコミュニティもあります。市場のリーダーとして、私はフェンダーがリードし続けることを保証します。

10年前のように、再び地下室でホワイトボードを使いながらCEOとしての次の計画を練るために6週間を過ごす予定ですか?

 私はフェンダーに11年間在籍し、前CEOのアンディ・ムーニーと密接に働いてきた経験があるので、かなり明確に今後を見通しています。

 同時に今後少なくとも90日間は世界各地を訪れ、フェンダーの店舗や施設を見学し、プレイヤーやアーティストと対話し、世界中のユーザーと交流していきたいです。

 それにより今後10年間、この素晴らしいブランドをどう導くかをより明確にできることでしょう。

 今年は1946年のフェンダー創立から80周年、テレキャスターとプレシジョン・ベースの75周年イヤーでもあります。

 今後数ヵ月の私は、優先事項を整理し、明確な焦点を定め、ブランドをどこへ導くかという意図をしっかりと定義して次の80年に向けた基盤を築いていきます。

最後に日本のフェンダー・ファンに向けて、CEOからメッセージをお願いします。

 日本人はとても寛大で謙虚だと感じています。それゆえに自分たちがどれだけ世界にポジティブな影響を与えているのかに気づかないこともあります。私はその影響力を直接目の当たりにしてきました。

 フェンダー・ブランドに与えてくれた彼らの素晴らしい影響は、深遠で、言葉では言い表わせないほどです。日本の消費者やアーティスト、そしてすべての人々が私たちの旅に参加し、これからも共に歩んでくれることに心から感謝しています。

 日本の消費者、アーティスト、そしてクラフトマンたちがいなければ、フェンダーは今日のようなブランドになれなかったことでしょう。過去11年間ありがとうございました。

 そして、この言葉をぜひ覚えておいてください。Play Guitar, Play Fender!

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