オールマン・ブラザーズ・バンドの創立メンバーとして、デュアン・オールマンと共にロックの歴史を塗り変えた男、ディッキー・ベッツ。この偉大なるギタリストが、2024年4月18日に亡くなった。80歳だった。ここでは哀悼の意を込め、ディッキー・ベッツの歩みを改めてご紹介したい。
文=小川真一 Photo by Getty Images
ディッキー・ベッツがこの世を去った。療養中であると伝えられてはいたが、やはり動揺してしまう。早過ぎる、もっとギターを弾いてほしかった。そんな気持ちでいっぱいだ。
ご存知のように、というか何を差し置いてでもこの話から始めなければならないのだが、ディッキー・ベッツはオールマン・ブラザーズ・バンドの創立メンバーであり、デュアン・オールマンとともに、ロックに大きな足跡を残した人物である。
オールマン・ブラザーズ・バンドがどのようなグループであったのか。単にサザン・ロックのバンドだと思っているのなら、それは間違いだ。
ロックに、まったく革新的で、恐ろしいほど研ぎ澄まされた手法を持ち込んだのが、彼らであったのだ。その歴史的存在意義は、エリック・クラプトンのクリーム、ジミー・ペイジのレッド・ツェッペリン、ロバート・フリップのキング・クリムゾン、そしてジミ・ヘンドリックス以上だと思っている。
創造的な集団即興演奏、複雑に組み込まれたモード奏法、まったく斬新でしかも正当であったブルースの新解釈、流動的で絶えず変幻していくポリ・リズム、ロック・インストゥルメンタルの極地、これらを机上の空論ではなく体感そのもので構築し、官能の音楽として聴かせてくれたのだ。
誰もが想像できなかった高みへと連れ出してくれたのがデュアン・オールマンであり、ディッキー・ベッツであったのだ。その意味でもまさに、71年の『フィルモア・イースト・ライヴ』は、奇跡のアルバムとしか呼びようがない。
この『フィルモア・イースト・ライヴ』が録音された当時、デュアン・オールマン25歳、デッキー・ベッツ28歳。こんな若さで作り上げることが出来る音楽ではない。彼らもまた、悪魔に魂を売ってしまったとしか考えられないのだ。
ブッチ・トラックスとジェイ・ジョハンソンが叩き出すツイン・ドラム。その奔放なパルスは、複雑なポリ・リズムとなって溢れ出す。こんなにも獰猛なリズムは、それまでのロックには見当たらなかった。
ベリー・オークリーのベースが根底を支え、グレッグ・オールマンのオルガンが、その隙間をびっしりと埋めていく。そしてその広大な荒野の上を、デュアンとディッキーのギターが滑走していく。
天才と呼ぶのが恥ずかしくなってしまうほどの技量を持ったデュアン・オールマンのギター。あの空高く駆けめぐるような超絶のスライド・プレイは、ロックそのものをまったく異次元のものにしていったと思う。
このデュアン・オールマンの影に隠れて、ディッキー・ベッツをバンドのセカンド・ギタリストのように見ていたとすれば、それも大いな間違いだ。オールマン・ブラザーズ・バンドを背後からコントロールしていた男こそが、ディッキー・ベッツであるのだ。
ディッキー・ベッツは、1943年にフロリダに生まれた。亡くなったのもフロリダ州オスプレイの自宅であり、終始このフロリダの気候がディッキー・ベッツに似合っていたと思う。海と酒さえあれば、存分に生きられる天国のような場所。
父親のハロルドは大工をしていて、下手くそなフィドルを弾いた。ベッツ家では、ヒルビリーやウエスタン・スイングが毎日のように流れていたという。彼の中にブルース・ルーツと同じ配分で、カントリー・ルールがあるのは、そんなためなのだ。
ディッキー・ベッツとデュアン・オールマンは、69年の日曜日の午後に、共通の友人たちとともにジャム・セッションを開いた。シャッフルから始め、ファンク、ブルース、色々な曲を演奏した。全員が良い汗をかいてビールを手にしてから、オールマン・ブラザーズ・バンドという伝説が始まった。
オールマン・ブラザーズ・バンドがオールマン・ブラザーズ・バンドになるためには、二つの必須条件がある。ひとつは、デュアン・オールマンをどこまでも自由奔放にさせること。そしてもうひとつは、それに見合う曲を用意することだ。
この二つの重要な役割を、ディッキー・ベッツが担った。彼らにどれだけの演奏能力があろうとも、「エリザベス・リードの追憶(”In Memory of Elizabeth Reed”)」のような曲が用意できなければ、どれだけ本領を発揮できたのか分からない。
デュアンが去った後の、「ジェシカ(”Jessica”)」、「ランブリン・マン(”Ramblin’ Man”)」などでも、ディッキー・ベッツはその作曲能力を遺憾なく発揮している。
ディッキー・ベッツのギター・ソロは、デュアン・オールマンに負けじと最高だった。『フィルモア・イースト・ライヴ』での「ステイツボロ・ブルース」や「ストーミー・マンデイ」でのプレイは、粘り気がありクールで、どこか色気が漂っている。こんな音が出せるギタリストは、そうそういるわけがない。
「アトランタの暑い日(”Hot ‘Lanta”)」での猛然と突っ走るツイン・リード、メンバー全員がダイナマイトを背負って火事場に飛び込んでいくような「ウィッピング・ポスト”Whipping Post”)の熱狂、「エリザベス・リードの追憶」でのボリューム・ノブを使った官能の演奏など、どれもディッキー・ベッツがいなければ成立しなかった。
その後のディッキー・ベッツは……色々とあったのだが、どうも生き方の上手い男には見えない。ソロ・アルバムも決して悪くはない。ギターは相変わらず泣きまくっているし、ヴォーカルも堂々としている。がしかし……。
そんなことはもういいと思う。今ごろ天国でデュアン・オールマンと久々のギター・セッションをしているかもしれない。55年前の日曜日の午後に時間が戻っているはずだ。そんな姿を想像してしまった。