ヴァン・ヘイレンの音楽、彼らそのものが大好きだった──エディが亡くなってからその気持ち、失ったものの大きさに気づき、打ちひしがれている人も多いかと思う。なぜヴァン・ヘイレンは僕たちをこんなにも惹きつけるのか。エディ追悼特集の冒頭は、バンドが、エディが、なぜ世代や国を超えて愛されたかを、彼らの歩みを追いながら考えていきたい。
文=近藤正義 Photo by Fin Costello/Redferns/GettyImages
Chapter 1
ヴァン・ヘイレンの歩み
70年代後期のロック・シーンに彗星の如く現われたヴァン・ヘイレン。78年初頭にリリースされたデビュー・シングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」とアルバム『炎の導火線』は、当時のミュージック・シーンに大きな衝撃を与えた。まさに、エドワード・ヴァン・ヘイレンという新しい時代のギター・ヒーローが誕生した瞬間である。
ヴァン・ヘイレンはデヴィッド・リー・ロスがボーカリストだった78年から85年の間に6枚のアルバムを制作し、84年の6thアルバム『1984』で大ブレイク。シングル「ジャンプ」で、ついに全米1位を獲得した。そしてアリーナ・クラスでヘッドライナーを張るアーティストへ上り詰めていったのだ。
彼らはその後デヴィッド・リー・ロスの脱退を受けて、85年、ボーカリストにサミー・ヘイガーを迎える。そしてサミーの加入後に制作した4枚のアルバムすべてを全米ナンバーワンに押し上げ、見事に産業ロックの時代を泳ぎ切っている。
ところがサミーとヴァン・ヘイレン兄弟との仲が悪化し、96年の『グレイテスト・ヒッツ』制作時にはデヴィッド・リー・ロスが一時的に復帰する。しかし蓋を開けてみればゲイリー・シェローンを3代目ボーカリストに迎え、新作『ヴァン・ヘイレンⅢ』を98年に発表。このアルバムは全米4位をマークした充実作でありながら相応な評価を得られず、この第3のラインナップは99年に崩壊。
さらに、このあたりからエディの健康上の問題が報じられ、バンドの活動は途切れがちになる。それでも04年には再びサミー・ヘイガーを加えて全米ツアーが行なわれ、ベスト盤『THE BEST OF BOTH WORLDS』には新曲も3曲収録している。
しかし、06年にサミーが再び脱退、ベースのマイケル・アンソニーも離脱。その後デヴィッド・リー・ロスが復帰し、エディの息子ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンをベースに迎え、そのラインナップで07~08年には全米ツアーを敢行した。
12年にはそのメンバーで新作『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』をリリースし、全米2位をマークして健在ぶりを示している。同時に全米ツアーもスタートし、13年6月には15年振り6回目の来日公演も実現している。さらに15年にはその来日公演のライブ・アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』もリリースされた。
順調に進んでいた活動にその後の展開も期待されたが、再びエディの健康が思わしくないことが度々報じられ、またしてもバンドの活動は途絶えてしまう。
そして20年10月6日、偉大なるロック・ギタリスト、エドワード・ヴァン・ヘイレンは65歳で帰らぬ人となった。
Chapter 2
世代を超えて愛された楽曲
ここへきてヴァン・ヘイレンの功績が再びクローズアップされているが、その最たるものは爆発的なセールスを記録したということ。デビュー・アルバムはチャート最高位こそ19位とはいえ累計で1000万枚以上売りあげており、『1984』も最高位2位ながら同様に1000万枚以上を売り上げている。
そのほかのデヴィッド・リー・ロス時代とゲイリー・シェローン時代のアルバムもすべてが6位以内、サミー・ヘイガー時代のアルバムはすべて1位でライブ・アルバムでさえ5位をマークした。これほどの実績なら、もはや世代を超えた国民的ハードロック・バンドと言えるだろう。
こんなロック・バンドがほかにあるだろうか? そこまで親しまれたのは、バンドの音楽がハードなだけでなく幅広い層にアピールするだけのポップな要素を備えていたからだと思う。
彼らはハードロックからメタルへの架け橋であり、パンクの世代にも受け入れられるだけのガレージ的な要素も持っていた。つまるところ、もっと大きな流れで考えれば、70年代クラシック・ロックと80年代産業ロックの架け橋でもあった。
Chapter3
エディが愛された理由
もちろん、エディの圧倒的なギター・テクニックについても触れなければならない。
ライト・ハンド奏法を一瞬のギミックとして扱うのではなく、音楽的な大きな流れやフレーズとしてアピールできたのは明らかにエディのオリジナリティだ。
また、エディの真骨頂はバッキングにある、とも言われるほどその上手さも群を抜いていた。キャッチーなリフ作りと抜群のリズム感。これがヴァン・ヘイレンのサウンドの根幹を成していることには、今や万人が賛同するはずだ。
そして78年の初来日公演を見た時、迫力の演奏と同じくらいのインパクトを受けたのは、ステージで演奏しながらのエディの笑顔だった。難しい顔をしながら、あるいは陶酔した表情を浮かべながらギターを弾くのがクールだった時代に、笑顔を絶やさず無邪気に楽しそうに弾くエディの姿は新鮮に映った。そして彼のその姿は誰からも愛された。
MTVやビデオ・ソフトが販売されるようになった80年代、何のギミックに頼ることもなく、サポートメンバーも必要とせず、純粋にバンドのサウンドだけで勝負できたバンド、それだけでカッコよさが映えたバンド、それがヴァン・ヘイレンだった。そして、ギター・ヒーローという呼び名が最高に似合っていた人物、それがエディだった。
『ギター・マガジン2021年1月号』
特集:追悼 エディ・ヴァン・ヘイレン
12月11日発売のギター・マガジン2021年1月号は、エディ・ヴァン・ヘイレンの追悼特集。全6偏の貴重な本人インタビューを掲載しています。