今年5月に還暦を迎えたTHE COLLECTORSのギタリストである古市コータローが、6枚目となるソロ・アルバム『Dance Dance Dance』をリリース。盟友・浅田信一がサウンド・プロデューサーを務めた本作には、YO-KING、西寺郷太、江沼郁弥(DOGADOGA)らが参加。古市コータローのミュージシャン・シップが色濃く投影され、多幸感に満ちたサウンドを響かせる表情豊かな本作について、ソロ・ツアーを終えたばかりの古市コータローに話を聞いた。
取材・文=尾藤雅哉 人物撮影=後藤倫人
全員がハッピーになれる
ライブにしようと思っていました。
還暦おめでとうございます。誕生日となる5月30日(木)にEX THEATERで行なわれたツアー・ファイナルも大盛況でしたね。
自分が主役でありながら、ライブの進行役もクールにこなさなければならないということで、テンポよくやりたいなってことを考えていましたね。ダラダラした感じにはしたくなったから。そのほうがゲストもカッコよく見えるし、そこに一番気を遣いました。
仲井戸“CHABO”麗市さん、YO-KINGさん、井ノ原快彦さん、大森南朋さん、佐々木亮介さん、ウエノコウジさん、クハラカズユキさん、神野美伽さん、西寺豪太さん、會田茂一さんという、豪華な顔ぶれがお祝いに駆けつけたスペシャル・パフォーマンスも圧巻でした。
ツアー・ファイナルではあるんだけど、わざわざ歌い分けて演奏するのもカッコよくないなと思ったので、ゲストのみなさんには全面的に歌っていただいて、自分はサビだけを一緒に歌うような感じにしました。やっぱりギタリストなんでね。いつもは自分が歌っている曲なんだけど、今回だけは“バンドのギタリスト”に徹するシーンがあっても面白いのかなって思ったりしました。
会場全体がコータローさんをお祝いする素敵なムードに包まれていましたが、ライブを振り返って印象に残っているシーンは?
神野(美伽)さんとは、たまにフェスなんかでキュウ(クハラカズユキ)と一緒にやらせてもらったりしましたけど、今回のライブでファンのみんなにも観てもらう機会が作れて良かったですね。あとはイノッチ。去年、トニセン(20th Century)のツアーでサポートをやらせてもらったんだけど、観たくても観れなかった人もたくさんいたと思うんだよね。なので、少しでもそういう絡みが見せられたのも嬉しかったな。
井ノ原さんが歌う「Fall in Love Again」(2022年)も凄く素敵でした。
以前から、この曲のことを“凄く好きだ”って言ってくれていたので、今回お願いしてみたんですよ。
ちなみに今回のソロ・ツアーでドラムを担当していた息子の古市健太さんが、現在トニセンのツアーにサポートで参加されているんですよね。
そうそう。今、ツアーでドラムを叩いているんですよ。
コータローさんが敬愛するCHABOさんを、ブッカー・T&ザ・MG’sの「Green Onions」(1962年)のセッションで迎え入れたのは、とても粋な演出だと思いました。
実はCHABOさんから“オレが登場する時にブルースっぽい感じのバッキングをしていてくれたら、そのリズムに乗って出ていくよ”っていうアイデアをいただいて。それで、ああいう演出になりました。凄くカッコ良かったですね。
コータローさんのステージの立ち位置がドセンターではなく、少し上手側のポジションだったのも隠れたポイントだったのかなと。
やっぱり色んなゲストを迎える立場ですからね。それまでのツアーではセンターに立ってやっていたんですけど、最後のライブだけは少し上手にポジションを変更させてもらいました。やっぱりオレはバンドのギタリストだから……自分の立つ位置に関しても、舞台監督と話し合いながらこだわって決めたポイントでしたね。
フロントマンとしてツアーをやった感想は?
自分がフロントマンのソロ・ツアーとなると、バンドの時とは気分がだいぶ違うね。なんだろう……その日のホール全体の空気感みたいなものがさ、主役となる人の色で染まると思うんだよ。だからネガティブな空気感やナーバスな感じは、会場の中に持ち込みたくなかった。しかも今回はオレのバースデイ・ライブでもあったので、自分自身が一番幸せを感じないといけないなって。なので小難しいことは一切考えずに、オレ自身も、ゲストの皆さんも、観に来てくれた人も、全員がハッピーになれるようなライブにしなきゃいけないなってことをイメージしていましたね。そういう気持ちが自然と演奏にフィードバックされたらいいなってことを考えていました。
改めて、ギターを手にしてからの音楽人生でターニング・ポイントになった出来事を挙げるなら?
たしか1993年だったと思うんだけど、ギター・マガジンにオレのインタビューがカラーの見開きで載ったんだよ(※1993年4月号)。あの時にギタリストとして一人前になった気がしましたね。“ちょっとは認められてきたのかな”みたいな感じで自信にもなったし。当時、別のバンドを担当していたレーベルの人が“ギター・マガジンにはなかなか載れない”って嘆いていてさ。“どうやったら取り上げてもらえるの?”って聞かれたのを覚えてる(笑)。そういう出来事って意外とターニング・ポイントになるんですよ。同業者からも一目置かれたりしますからね。
ギターを手に作曲していると
勝手にメロディとコードが付いてくる。
新作のソロ・アルバム『Dance Dance Dance』についても話を聞かせて下さい。今回の作品では、Aメロからサビまで一気に書けた曲だけを採用したそうですね。
そうなんです。何人もの作家さんが“口ずさんで一気に完成した曲が一番イカしてる”ということを話していて。“それって一筆書きで考え込まずに作った良さだな”と思った時に、“じゃあ今回のアルバムはそのやり方で作ってみましょうか”となったんです。もしも細かい部分で気になったところがあったら、あとで変えてしまえばいいだけの話なので、まずは頭から作り始めてサビまで行けた曲のみを採用するという設定でどんどん作り始めていきました。途中で止まっちゃったらボツにしていったので、スマホのボイスメモには色んなアイデアがたくさん残っているんですよ。ひょっとしたら次に使えるかもしれないけどね。
新たな手法で曲作りをやってみた手応えは?
例えば、出だしだけ決めてから作り始めたりもしたんだけど、どういう展開になるのかまったく読めなくて面白かったですよ。Aメロを歌っている時はどんなサビがくるのか自分でもわかっていないわけだからね。でもギターを手に歌っているとさ、不思議なもので勝手にメロディとコードが一緒に付いてくるんだよね。そういう経験はあまりなかったから、凄く面白かった。
幅広いジャンルを内包した表情豊かな楽曲が収録されていますが、知らず知らずのうちに自分のルーツが反映されていると感じる場面はありましたか?
そうだね。オレは渋い感じよりもポップな音楽が好きなんだなっていうのが、改めてわかったかな(笑)。自分の好きなコード進行みたいな“作り癖”はあると思んだけど、プロデューサーの浅田(信一)君が言うには“ちょっと変わってる”らしいね。
グルーヴィなカッティングが聴ける「Dance Dance Dance」は、どのように作っていったのですか?
これは信ちゃんが作詞・作曲を手がけた曲なので、そのオケにギターを入れていったら自然とああいうカッティングが出てきたんだよね。オレの中のCharさんが出てきた感じというか。ちなみに一発OKだったよ。パッと録ってみて、“さすがっすね”ってひと言で終わったかな(笑)。
さすがっすね(笑)。
どの曲もだいたいそうなんだけど、2〜3回聴いてからパッと弾いてみて、それでもう1発OKですよ。あと信ちゃんのギターや鍵盤も入っていたりするから、いつもよりギタリスト成分を少し多めに演奏できる感覚はあるかもしれないね。
続く「Tonight」は、1音目に出てくるロング・トーンのチョーキング・フレーズがカッコいいです。
90年代のブリティッシュ・ロック的なアレンジで攻めてしまったから、何をどう弾いてもオアシスに聴こえちゃって、“こりゃ参った”と。で、“信ちゃん、どうしよう?”と相談したら、“ここは頭に1発クラプトンをキメときますか”って感じで入れたフレーズですね。
「Only Lonely Road」のギター・ソロは、少しコーラスがかった音色とタメを効かせたフレージングが印象的でした。
この曲のソロは、「Late For The Sky」(ジャクソン・ブラウン)におけるデヴィッド・リンドレーをイメージしました。なんていうんだろう……もっとギターで泣けるし、もっとフレーズを詰め込むこともできるんだけど、“絶対に抑えなきゃダメだ”って思ったので、あえて弾きすぎないような演奏を意識しましたね。それでいて最後だけ高い音にいくのが良いんですよ。こういうアプローチができるのは……まぁ年の功だよね。
今だからできると。
もしオレがもっと若かったら、最初からガーンと行ってるよ。それはそれで悪くないんだけどさ、やっぱり今の自分だからこそやれる“年相応の表現”ってことは意識していたかな。このアルバムを制作していた時は59歳でしょ? だったら“59歳の古市コータロー”がちゃんとギターを弾いている作品にしたいと思ったんだよね。還暦になるタイミングで発売するソロ・アルバムなんて最大の記念物だから、そんな時に変装してやっている感じは、なんか嫌だったんだよ。
「OCEAN WAVES」では、爽やかなカッティング・ワークも耳に残りました。
今回のアルバムで一番最初にできた曲なんですけど、オレの中で“渋谷系”をテーマに作りました。アコギを持ってあれこれ悩んでいた時に“渋谷系でやってみようかな”ってアイデアを思いついて、“だったらコードは△7thだよね”っていう感じで弾き始めたら、最後までできた。
「ROCK’N’ROLL IS MY LIFE」はライブのフィナーレでも演奏されましたし、新たなアンセムに仕上がりましたね。
この曲は信ちゃんが作った曲なんですけど、聴いた瞬間からライブの最後で演奏できるような立ち位置の曲にしたいなと考えていましたね。あと“ロックンロール・イズ・マイフ”っていうフレーズは、この歳だから歌っても許されるかなって。30歳で歌ったらちょっと早いでしょ(笑)。
「冬にわかれて」はアコギ一本でも成立するシンプルさと美しさを兼ね備えたナンバーです。
(江沼)郁弥が作ったんだけど、彼の世代なりのオルタナ感が出ているよね。シンプルなんだけど、バンドで演奏するとまた違った楽しさが出てくる曲かな。
シンセとシンベによる90’sサウンドが印象的な「そばにあるはず」は、ギター・ソロがチョーキングだけという潔さにもシビれました。
色んなパターンをやってみたんだけど、なかなかハマらなくて。で、“ここはファズだろう!”ってBig Muffを使ってみたら見事にハマったんだよね。若い頃だったら、なかなかあそこまでビブラートで粘れないんじゃないかな(笑)。なんと言っても高校生の頃、チョーキング・ビブラートの練習は死ぬほどやったからね。あの経験が今になって活かされましたよ(笑)。
長年ギターを弾き続けてきたコータローさんが、“ギターが上手くなったな”と感じる瞬間はどんな時ですか?
最近、高中正義さんをよく聴いているんだけどさ、実は高校生の時に「BLUE LAGOON」(1976年)をコピーしてたんだよ。で、この間さ、家でイントロから弾いてみたら凄くキレイな音で弾けたんだよね。“これは金が取れる音だな”って自分でもわかったくらい(笑)。高校生の時はそんな音は出せなかったからね。その時に、ちょっとは上達したのかなって思ったかな。
ぜひ聴いてみたいです(笑)!
だから調子に乗ってさ、自分のアコースティック・ライブでも少し披露したんだよ。ビブラートやスライドの感じとか、間合いとか、特別な練習はしていないんだけど、“こんなにもキレイに弾けるようになったのか!”って自分で気づくことができたのは、ちょっと嬉しかったです。ビックリしました。
レコーディングで使用した機材について教えて下さい。
ギターはいつも使っているギブソンのES-335ですね。そのほかには、信ちゃんの持っているテレキャスターやジャズマスターを借りて弾いたりもしました。エフェクターはBig Muffくらいかな。アンプはマーシャル(75年製Lead & Bass 50 Combo)だけです。あ、フェンダーも少し使ったかな。
改めて、新作アルバムを作り終えたことで見えたソロとしての表現の可能性は?
前作の時にも薄々感じていたことなんだけど、“自分のソロ・アルバムって凄く独特なジャンルだな”ということを改めて思ったかな。ロックとかポップスで括れないような世界観を感じていて、それってきっと“古市コータロー”という人間性が上手く表現できたことのような気がしている。先日発売された自分のレコード・コレクション本(『Heroes In My Life』)を見て思ったけど、紹介しているレコードのカオス具合が凄まじいじゃない(笑)?
そうですね(笑)。
だからバンドのギタリストのソロ・アルバムっぽくないよね。以前の作品と比べて、今回は露骨に『Heroes In My Life』的な世界観を感じました。おそらくこれが自分のやりたいことなんだろうね。リリースから1ヵ月以上が経ち(※取材は6月中旬に実施)、このアルバムが持っている雰囲気や世界観が自分でも手に取るようにわかってきて、今は非常に楽しい気分です。この先、自分がどうなっていくかが本当にわからないんだよ。だからこそ面白いんだよね。
作品データ
『Dance Dance Dance』
古市コータロー
コロムビア
CEG-73
2024年5月15日リリース
―Track List―
01.Dance Dance Dance
02.Tonight
03.Only Lonely Road
04.OCEAN WAVES
05.POOL
06.ROCK ‘N’ ROLL IS MY LIFE
07.冬にわかれて
08.そばにあるはず
09.解き放て
10.Windy Day
―Guitarists―
古市コータロー、浅田信一