ギルド・ギターズの誕生から現在までをふり返る短期連載『ギルド・ギターズの盛衰と復活の歴史』。第2回は最初期のラインナップと、その時代のギルドの看板となったスター・ギタリストの存在を見ていこう!
文=長谷鉄弘 デザイン=三本昌樹
エピフォンから受け継いだ伝統を洗練
ギルドの設立は1952年にアナウンスされていたが、当時、すでに大都会だったニューヨーク/マンハッタンで生産設備を整えるには時間がかかり、実際に楽器が出荷されたのは1953年だった(1954年説もあり)。この頃、初代社長だったジョージ・マンは経営を巡る意見の対立などからすでに会社を去っており、以後、アルフレッド(アル)ドロンジが名実ともにギルドを率いることになる。
音楽史に詳しい読者ならご存知のように、1940年代にチャーリー・クリスチャンらがエレクトリック・ギターを用いて開拓した“ホーン・ライク”な奏法が後継による洗練を経た1950年代前半、ジャズにおけるこの楽器の位置づけは昔と大きく変わり、ギタリストをリーダーとする小編成のコンボも人気を集めていた。ギルドは1954年からフラットトップ・アコースティック・ギターをカタログに掲載しているが、この種の楽器が同社の主力になるのはもう少しあとのことで、1950年代を代表する製品としてはやはりアーチトップ・アコースティック~エレクトリック・ギターを挙げるべきだろう。
創業時のギルドはエピフォン出身のイタリア系職人たちを多く採用したため、その経緯を体現するように、1950年代のギルド・アーチトップはいわゆる“ニューヨーク・エピフォン”(1957年にギブソン/CMI傘下となる前のエピフォンをこう呼ぶ)からの影響を強く感じさせた。スクエアな形状のボディ・ショルダー及びロウワー・バウト(このためウェストの“くびれ”が深く見える)、パール・ブロックと三角形(V字型)のアバロンを組み合わせる高級器のポジション・マーカーなどが顕著な例で、反面、楽器の“顔”に当たるヘッド形状やブランド・ロゴには強い個性を持つアール・デコ様式の意匠があしらわれている。

ギルド・デザインの確立
プロ・ギタリストでもあったアルは、おもにニューヨーク周辺のジャズ・シーンにおける人脈を活かし、さまざまなミュージシャンとエンドースメント契約を結んで1950年代のカタログに登場させたが、中でも知名度の高さをもってブランド・イメージの向上に貢献したのはジョニー・スミスだったろう。
後年はコロラド州を拠点に活動するスミスだが、1950年代前半はアメリカにおける三大メディア・ネットワークの一角を成す“NBC”で音楽ディレクターなどの仕事をしており、ニューヨークとの縁も深かったと思われる。今日、スミスの愛器として多くの人々が思い浮かべるのは1961年のギブソンによる“Johnny Smith/Le Grand”だろうが、ギルドの“Johnny Smith Award”(のちのArtist Award)は創業初期に当たる1956年にラインナップされていた。
17インチ幅の大型ボディを上質なスプルース・トップとフィギュアード・メイプル・サイド&バックで構成し、24 3/4インチ・スケールのネック(※)を与えたこの宝石のようなギターは、ディアルモンド社製“Model 1000”フローティング・ピックアップを標準装備するものの基本的な作りはピュア・アコースティックだ。ボディにパールやアバロンのトリム/バインディングを用いない代わりに、指板~ヘッドの装飾に豪華なインレイを施すセンスや、ジョン・ディアンジェリコに代表されるニューヨークのアーチトップ・ビルダーが得意とした“ステアステップ(階段)”状にカットされたピックガード、大都市の摩天楼を思わせるアール・デコ色の強いヘッド・シェイプなど、のちのギルドの高級器全般へ受け継がれる特徴的なデザインはこの時点でほぼ確立されている。
アーチトップ・ギターのトップ・ブランドであったギブソンとはひと味違う“Something else”、“Alternative”を求めるプレイヤーにとって、そのモダンで都会的なセンスは魅力的と映ったに違いない。
※1950年代のギルド・アーチトップの多くがこの数値。一方、F-50に代表されるフラットトップは多くが25 1/2インチ。
著者プロフィール
長谷鉄弘(ながや・てつひろ)◎1970年生まれ。『ギター・マガジン』、『ギター・グラフィック』(いずれも小社刊)などの編集部員を経て1996年に独立。現在はライターとして、『ギター・マガジン』や『アコースティック・ギター・マガジン』、『The Effector Book』(シンコーミュージック)などに寄稿。
