2023年に惜しまれつつ休刊した音楽雑誌『Player』。楽器を扱う専門誌として『ギター・マガジン』とは良きライバル関係にあっただけに、その不在はやはり寂しい。音楽業界や楽器業界を盛り上げ、読者に大きな影響を与えたその偉大な55年に敬意を表して、元編集長の田中稔氏にその歴史を綴ってもらう。隔週更新。
文=田中 稔
第44回
大人気連載企画「THE GUITAR」
前回は、1977年後半に掲載されていた「連載楽器講座/ワークショップ」について紹介した。どのコンテンツもマニアックで個性的な内容だが、そんな連載企画の中で最も人気を博したのが、その後45年間にわたり掲載された人気企画「THE GUITAR」だった。今回は、その「THE GUITAR」の最も初期の記事を紹介しよう。
以前もこのコラムで紹介したが、本誌に「THE GUITAR」が初めて掲載されたのは1976年10月号で、それは創刊から通算101号目だった。それまで楽器店でのみ販売されていた『Player』は通算100号から書店でも販売されるようになり、新たな読者を獲得したタイミングでもあった。それを記念して、それまでカラー・ページは表紙のみだったが、表紙に続いて8ページのカラーが追加された。そしてそのカラー・ページを使ってスタートした企画の1つが「THE GUITAR」だった。
当初の「THE GUITAR」はわずかカラー1ページで、1本のギターを大きく紹介し、その説明とアーティストの写真が1点掲載されるという、かなりシンプルな内容。しかし、それでも有名ギタリストが愛用する憧れのギターをクローズアップして見られるということで、読者から大きな反響を得た。当時、洋楽主体の音楽雑誌はいくつも存在していたが、アイドル系アーティストのピンナップはあっても、ギターをカラー1ページで紹介するピンナップ企画など存在しなかった。
「THE GUITAR」はスタート時点から読者の反応が良く、ハガキでのリクエストもすぐに来るようになり、その後は本誌のみならず独立した別冊企画『THE GUITAR』にまで発展していった。この別冊企画はやがてシリーズ化され、『Player』の看板別冊企画として40年近く続いた。


「THE GUITAR」は、海外の人気ギタリストがライブなどで使用するギターやステージ機材を中心に紹介する内容だが、その始まりは海外アーティストではなく、当時日本で人気を博していたクリエイションのギタリスト、竹田和夫のギターだった。1976年10月号に掲載された「第1回」では、テキサスのツアー中に対バンのギタリストから入手したという1956年製のレス・ポール・モデルが1ページで大きく紹介されている。
当時の竹田は日本のロック・シーンで最も人気のあるギタリストの1人で、ブリティッシュ系のブルース・ロックをベースに、特にギターを弾く男性のファンが多かった。そんな憧れのギタリストが愛用するギターをカラー1ページでクローズアップするというこのピンナップ企画は、読者に受けないはずがなかった。


1977年1月号は、エリック・クラプトンがオリジナルのエクスプローラーを手にしたライブ写真をカバーに使った号で、これはよく売れた。その時の「THE GUITAR」は、当時フリーやフェイセズといった世界的なバンドで活躍した日本人ベーシスト、山内テツのゼマイティス・ベースだった。
山内が1974年にトニー・ゼマイティスに直接オーダーしたベースで、『楽器の本 1976』でも大きく紹介されたあのベース。それまではゼマイティスをよく知らない人がほとんどだったが、この「THE GUITAR」でその存在を知った読者は多かった。


1977年2月号の「THE GUITAR」は、トッド・ラングレンのフェンダー・ムスタング。ニューヨークのマニーズで見つけたという黒いムスタングが妙にかっこよかった。
1977年といえば、まだトッドが初来日公演(1979年4月)を行なう2年前で、そんなトッドのライブ機材を一目見たいと願っていたファンは少なくなかったハズだ。来日公演で使用されたギターを改めて誌面で見られるのは嬉しいが、来日していないアーティストの愛用ギターを見られるのは、この企画以外になかった。


1977年10月号の「THE GUITAR」は、スモール・フェイセズ、フェイセズで活躍したベーシスト、ロニー・レーンのゼマイティス・アコースティック・ベース。山内テツのベースも同様だが、ゼマイティス・ベースの個性的な外観はとにかくインパクトがあった。
当時のロック・ベーシストでアコースティック・ベースを愛するプレイヤーはロニーしかいなかっただろう。マホガニーの大型ボディに開けられたハート型サウンドホールが、うむを言わせない存在感を生み出している。ロニーの自宅の納屋で撮影された彼の写真には、愛用するギターやベースのコレクションが数多く写っていた。


1977年12月号の「THE GUITAR」は、久々に日本の大物ギタリストのギターが登場した。寺内タケシ愛用のモズライトMark Ⅰである。
10年以上使い込んでいるというこのモズライト、ヘッドストックに謎の穴が開けられ、フィンガーボードはかなり減り、リフィニッシュされた黒いボディのいたるところに塗装の剥がれが見られる。こういったギターの使い込んだ様子が手に取るようにわかるのも「THE GUITAR」ならではの醍醐味だった。


1978年1月号は、ジミー・ペイジがシルバーのジャケットを着て、バーストを腰の位置まで下げて演奏するライブ写真がカバーを飾った号で、これもよく売れた。この号の「THE GUITAR」に登場したのは、当時フュージョン・ブームの中核にいたラリー・カールトンだった。
五輪真弓のバックとして来日していたラリーの演奏は実に素晴らしかったが、持ってきたES-335TDはあの50年代末のメインではなく、そのサブ・ギターとして使用していた60年代初頭のスモール・ブロック・ポジションの335だった。


1978年7月号の「THE GUITAR」は、ウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウェルが愛用するサンバーストのフライングV。1975年に初来日公演を行ない、翌1976年と続けて来日した彼らだが、あのステージを思い出した人は少なくないだろう。そういえば、この本誌が発売された1978年にも彼らは来日し、『Live In Tokyo』(1979年)としてライブ・アルバムをリリースした。
この「THE GUITAR」では、通常の1ページに続けて、2ページの見開きでローリー・ワイズフィールドのギターやマーティン・ターナーの機材も紹介するというスペシャル・バージョンで掲載された。当時これら「THE GUITAR」の写真は、ロンドン在住のフォトグラファー、トシノリ・ヤジマ(トシ矢嶋)が撮影したものが多かった。
「THE GUITAR」は当初1ページのシンプルな企画だったが、やがて見開きで掲載するようになり、そのうちギターだけではなくベースやアンプを含む機材全体を紹介する大型企画へと成長していった。
著者プロフィール
田中 稔(たなか・みのる)
1952年、東京生まれ。
1975年秋にプレイヤー・コーポレーション入社。広告営業部、編集部にて『Player』の制作を担当。以来編集長、発行人を経て1997年に代表取締役就任。以降も『Player』の制作、数々の別冊、ムック本を制作。48年間にわたり『Player』関連の仕事に深く関わった。
以後はフリーランスの編集者として活動し、2025年4月、クラプトンに魅せられた10人のE.C.マニアのクラプトン愛を綴った『NO ERIC, NO LIFE. エリックに捧げた僕らの人生.』(リットーミュージック発刊)を制作。2025年9月、電子マガジン「bhodhit magazine(バディットマガジン)」の名誉編集長に就任。
アコースティック・ギターとウクレレの演奏を趣味としている。