勝手に認定、テキサス・ブルース5人衆 勝手に認定、テキサス・ブルース5人衆

勝手に認定、
テキサス・ブルース5人衆

T-ボーン・ウォーカー、ライトニン・ホプキンス、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン、アルバート・コリンズ、スティーヴィー・レイ・ヴォーン。ブルース好きなら必ず知っているこの5人、活躍した年代はバラバラだが、とある共通点がある。それが“テキサス・ブルース”だ。ほかにも名手はたくさんいるが、テキサス・ブルースについてあまり詳しくない方にはまず、その特色を知ってもらうためにこの5人を覚えてもらいたい。

文=小出斉


1/T-ボーン・ウォーカー

Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images

圧倒的スター性を持った
モダン・ブルース・ギターの父

人呼んで、“モダン・ブルース・ギターの父”。

1910年テキサス州リンデン生まれ。本名はアーロン・ティボー・ウォーカー。ウェスト・コースト、シカゴなどでも活躍したが、テキサス出身であり、戦後のテキサス・スタイルの大元締めともいっていい。

1920年代から活動し録音も残しているが、戦後ほどなくしてブルースにエレクトリック・ギターを本格的に持ち込んだひとりであり、単弦奏法で、ギターのソロ楽器としての可能性を格段に飛躍させた。その影響力はテキサスだけでなく全国に及び、BBキングなども“私の先生”と呼んだほどだし、チャック・ベリーもアイドル視した。Tボーンなくしては、ブルースの、いやその後のギター音楽の展開も大きく変わったはず。

また、ジャジィなナインス・コードをブルースに取り入れたのもTボーンであり、ヴォーカルともども、非常に洗練された味わいを持っていた。一方で、ギターを背中で弾いたり、股割りをしながらかついで弾いてみたりと、アクロバティックなパフォーマンスで観客を沸かせるエンターテイナーでもあった。

75年に亡くなるまで活動を続け、「ストーミー・マンデイ・ブルース」などのスタンダードも生んだ。録音も多いが、まずは40年代から50年代にかけての録音を聴くべし。

2/ライトニン・ホプキンス

Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images

アコギもエレキもカバーする、
テキサスが生んだブルースの権化

弾き語りのテキサス・カントリー・ブルースを代表するブルースマンであり、ディープな声で、“最もブルースらしいブルースを歌う”とも評されたライトニン・ホプキンス。

本名サミュエル・ジョン・ホプキンス。1912年テキサス州センターヴィル生まれ。10代の頃から、戦前のテキサス・カントリー・ブルースの巨人、ブラインド・レモン・ジェンファースンやテキサス・アレクサンダーらに学ぶ。

初録音は46年。録音時の指さばきの見事さから、プロデューサーによって“ライトニン”と命名された、という伝説を持つ。

基本は弾き語りで、時にベースやドラムを交えた形態で録音。40年代末から50年代初頭にかけては、最高5位の「ショットガン・ブルース」など、5曲がビルボードのR&Bチャートにランク・イン。カントリー・ブルースのスターだったのだ。

50年代後半にはロックンロール・ブームの煽りを受け、録音から遠ざかるも、59年にブルース研究家たちに“再発見”され、それ以降はフォーク~ロック・ファンからの人気を得て、大きなフェスティバルにも出演、何十枚ものアルバムも残す。ほぼ駄作なし。

『Mojo Hand』などアコースティック名盤も多いが、より本領を発揮するのはエレキを持った時か。Eのロー・コードを基本フォームとし、歌に応える形で弾き出すフレーズには、ブルースの基本中の基本となるもの多数。82年1月に癌で亡くなった。

3/クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン

Photo by Paul Natkin/Getty Images

カントリーやジャズも吸収し、
フィドルの腕前まで一流の傑物

 戦後のモダン・テキサス・ブルースで、Tボーン・ウォーカーと並ぶ横綱級ギタリストといえば、この人を置いてほかはない。

もっとも、本人はフィドルの名手であり、カントリーやジャズなどにも精通。特に晩年は“ブルースマン”と呼ばれることを忌み嫌ったものだが、ピカイチの凄腕ギタリストという事実は覆しようがない。

1924年ルイジアナ州ヴィントン生まれ。テキサス州オレンジで育ち、音楽キャリアをスタート。47年にLAのアラジン・レーベルからデビューしているが、Tボーン・ウォーカーがクラブ出演時に具合が悪くなり休憩する間、代わりにステージに上がって喝采を浴びたことがきっかけで、ヒューストンのピーコック・レーベルの看板となっていく。

もともとはTボーンに大きな影響を受け、ビッグ・バンドに乗ってジャンプしていたゲイトだが、カポタストを使用し、開放弦を使ったトリッキーなフレーズで独自の路線に。53年頃に、ホロウ・ボディのギターからテレキャスターにチェンジしたことで、攻撃性は一層高まり、跳ねるバンドのビートに16分音符のフレーズを乗せるなど、アグレッシブさが際立った。

代表曲の「オーキー・ドーキー・ストンプ」はコーネル・デュプリーもソロ作でカバー。70年代にヨーロッパで人気に火が付き、以降は、広い音楽性を武器に、自身の音楽を“アメリカン・ミュージック・テキサス・スタイル”と標榜した。

2005年、ハリケーン・カトリーナの被害を受け、傷心のうちに亡くなった。

4/アルバート・コリンズ

Photo by David Redfern/Redferns

ロックにも多大な影響を及ぼした、
超ストロング・スタイル

テキサスならではの、鋭角的で攻撃的なスタイルを極めた、テレキャス・マスター。歪んだ音色で、強烈に突っ込んでいく凶悪さは、他の追随を許さない。

ゲイトマウス・ブラウン譲りのカポタスト使用スタイルで、それも10フレットあたりまでも平気で装着する。しかも、最初に覚えたFマイナー・チューニングでプレイし続けたという、まったくのオンリー・ワン・スタイルで、ジミ・ヘンドリックスなどにも影響を与えた。ピックを使わない指弾き(主に人差し指)、100メートルといわれる長いシールドを使って場内を練り歩くのもトレードマークだった。

1932年にテキサス州リンデンで生まれ、50年代からヒューストンを中心に活動。50年代末から60年代初頭にかけて、「ザ・フリーズ」「スノー・コーン」といったインストを多数残し、そのタイトル群から、クール・サウンド、と呼ばれた。

60年代末には、キャンド・ヒートの引き合いでインペリアルからアルバムを出し、フィルモアに出演するなどロック・ファンからも注目を浴びる。その後一時セミリタイアしていたが、70年代末にアリゲイター・レーベルと契約し、好プロデュースを受け復活。かつての“歌唱がいまひとつ”という評価も跳ね除け、ブルース界のトップランナーとして世界をまわることに。

90年代のブルース・ブームに乗り、メジャーで活躍したが93年に亡くなった。

5/スティーヴィー・レイ・ヴォーン

Photo by Robert Knight Archive/Redferns

ブルース・ロックを極めた
テキサス最高峰ギタリスト

80年代から90年代にかけての、ブルース・ロック・ギター・ヒーロー。

83年、デヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』で強烈なギターを響かせ話題を呼んだ後、スティーヴィ・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルとしてデビュー。瞬く間にその名を轟かせるも、90年8月27日、エリック・クラプトンのコンサート出演後、ヘリコプター事故で死亡。その名は伝説に。その後は、レコード会社が第2のSRV探しに躍起になったものである。

1954年テキサス州ダラス生まれ。のちにファビュラス・サンダーバーズを結成する兄ジミーの影響でブルースにはまり、アルバート・キング、オーティス・ラッシュ、ジミ・ヘンドリックス、ロニー・マックらをアイドルとし、70年代には地元オースティンのブルース・クラブ、アントンズで腕を磨く。

ジェリー・ウェクスラーの推薦でモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演したことから、デヴィッド・ボウイの録音に参加。ジャクソン・ブラウンのスタジオでの初アルバム『ブルースの洪水(Texas Flood)』制作へとチャンスをつかむ。

ギター・ヒーローといえば、メタル系が主流になっていた時代に、ストレートなブルース・ロックを復権させた功績は大きく、ブルース界自体をも活性化させた。

プレイ自体はアルバート・キングやジミ・ヘンドリックスの影響が強かったが、改めて、テキサスの野太くハードな音楽の魅力を再認識させてくれたものだ。