追悼 トニー・ライス〜世界最高のフラットピッカーに愛を込めて。 追悼 トニー・ライス〜世界最高のフラットピッカーに愛を込めて。

追悼 トニー・ライス
〜世界最高のフラットピッカーに愛を込めて。

世界最高峰のアコースティック・ギタリスト=トニー・ライスがこの世を去った。ブルーグラス・シーンに登場した当初からすでにスター・プレイヤーであり、さらにその先を追求した彼は、もはや誰も到達できない境地まで登りつめたと言ってよいだろう。ギタマガWEBでは哀悼の意を込めて、その演奏技術や美しすぎる音色、旋律を継承するために、彼の簡単なバイオグラフィと必聴名曲のプレイリストをお届けしたい。もし彼の音楽をまだ聴いたことのない人がいるのであれば、ギタリストとしての糧になることは間違いないので、ぜひ聴いてほしい。

文/選曲=小川真一 Photo by Stephen A. Ide/Michael Ochs Archives/Getty Images


キャリア初期からブルーグラスの常識を塗り替えていく

アコースティック・ギターの歴史を、とてもスピーディーに、とてもエレガントに塗り替えていった男がいる。ブルーグラス・ギタリストの最高峰と呼ばれるが、その活動はブルーグラスにとどまらず、ジャズ、ロック、ニューエイジと多岐に渡っている。超高速の速弾きを聴かせるが、その立ち振る舞いは優雅、涼しげな表情を崩すことはない。世界中のギタリストからリスペクトを受け続けてきた男、それがトニー・ライスだった。その彼が2020年の12月25日に、ノースカロライナ州の自宅で息を引き取った。

筆者がトニー・ライスの演奏姿を初めて見たのは、今から約45年前、大阪の毎日ホールだったと思う。バンジョー・プレイヤーのJ.D.クロウ率いるザ・ニュー・サウスの一員としての来日だった。この時のメンバーが凄く、当時24歳で新進気鋭のギタリストだったトニー・ライスを筆頭に、マンドリンがリッキー・スキャッグス、ドブロ・ギターがジェリー・ダグラスと、今では考えられないような組み合わせで、その後のブルーグラス/アコースティック・ミュージック界を担っていく若手が集結したスーパー・セッション・グループだったのだ。ともかくそのダイナミックな演奏ぶり、若さをみなぎらしたプレイは強く印象に残っている。それぞれのソロが終わる度に、会場が大歓声に包まれたのを思い出す。

1970年を境に、ブルーグラスの中で“ニューグラス”と呼ばれる動きが始まっていく。カントリー・ガゼット、ニュー・グラス・リヴァイバルがその代表格なのだが、長髪にTシャツ姿でロックの感覚でブルーグラスを演奏する──これが当時の最新流行であったのだ。

J.D.クロウとザ・ニュー・サウスもそれに呼応したグループで、オーソドックスなブルーグラスの中に新しい息吹を吹き込んだスタイルは革新的であった。ブルーグラスでのギター・ソロといえば、速弾きながらもロー・ポジションを中心にしたものが主流だったのだが、その固定観念を易々と乗り越えてしまったのがトニー・ライスだった。左手がネックをかけ昇り、高音域にまで突き抜けていく。さらにはシンコペーションを加えたり、クロマチックなスケールで走り出したり、まったく自由奔放。まさにこれはアコースティック・ギターの革命であった。

ブルーグラスを新たなステージへ

トニー・ライスは1951年にバージニア州のダンビルに生まれた。トニーと兄のラリー・ライスは父親の影響もありブルーグラス・ミュージックを演奏するようになる。その若き日のトニーが一番影響を受けたのは、偉大なる先達クラレンス・ホワイトの存在だったという。

ケンタッキー州に移り住んだトニー・ライスは、ブルースラスの中堅バンドであったブルーグラス・アライアンスに加入。その後J.D.クロウの誘いを受け彼のザ・ニュー・サウスに参加する。75年頃から前出のように世界中を演奏旅行して回ったりアルバムを作ったりしたが、ブルーグラス・チームとしての演奏はこの時代にやり尽くしてしまったように思う。そしてトニー・ライスは新しい場所へと移っていく。

その第一歩が、マンドリン奏者のデビッド・グリスマンと組んだデビッド・グリスマン・クインテットだ。グリスマンはブルーグラスとジャンゴ・ラインハルトのようなスウィング・ジャズとを融合したドーグ(Dawg)と呼ばれる音楽を提唱し、それを実践していた。ダロル・アンガー(fiddle)、トッド・フィリップス(mandolin)らとともに、新しい音楽を作りだしていった。この頃トニー・ライスは、ジャズの和声理論や即興の技法などを学んだといわれている。

78年のソロ・アルバム『アコースティックス』は、その集大成のようなアルバムで、フィドルやマンドリンなどの入ったブルーグラスの編成ながらも、室内楽のような優雅さを醸し出している。テクニックをひけらかすのではなく音色の美しさを、アンサンブルの楽しさを感じさせる作品集だ。その後も、ジェリー・ガルシア(g)、クリス・ヒルマン(g,b,mandolin)、リッキー・スキャッグス(vo,etc)、ノーマン・ブレイク(vo,g)、兄のラリー・ライス(mandolin)などとユニットを組んだり、ブルーグラスに回帰しながらも、ギターの持つ可能性を追求していったのだ。

『Acoustics』
Tony Rice Unit

クラレンス・ホワイトから受け継いだ“聖杯”

トニー・ライスの奏法と彼のギターについて、少しだけ書いておこう。基本はフラット・ピッキングなのだが、クロス・ピッキング(註:オルタネイトにとらわれず効率的なダウン/アップを選択したピッキング)と呼ばれる奏法を活用し、それをさらにスムースでダイナミックなものにしている。それに超絶なまでのタイム感を用い、独特のシンコペートを加えていくのだ。これがトニー・ライスのグルーヴ感の源となっている。文字で書くのは簡単だが、それをあのスピード感をもって弾くとなると、おいそれと真似ができるものではないことがわかるはずだ。

トニー・ライスのメイン・ギターは、かつてクラレンス・ホワイトが使用していた1935年製マーティンD-28。ホーリー・グレイルとも呼ばれるこのギターは、サウンド・ホールが削られ大きく広げられている。ラージ・サウンド・ホールとも言われるが、このギターをクラレンス・ホワイトと兄のローランドが最初に手にした時、すでにこのような改造がなされていたのだ。これは彼の代名詞となり、シリアルナンバー“58957”は2003年にリリースされたコンピレーション・アルバムのタイトルにもなり、神格化されている。まさに名器中の名器で、トニー・ライスの音楽はこのD-28に支えられてきたといってもいいだろう。

トップの写真で手にしているこのマーティンD-28こそ、聖杯=ホーリー・グレイル。シリアルナンバーは58957。