イカサマイマサ『初めてのエレキ』 イカサマイマサ『初めてのエレキ』

イカサマイマサ
『初めてのエレキ』

すべてのギタリストに必ず「初めての1本」ってのがあるって素敵だ。

紙のギタマガ9月号の追悼 寺内タケシ エレキの神様よ、永遠なれ。を読むと、氏の「エレキ創造物語」というアーカイブが載っていた。語りのとおりでも、多少の“盛り”が含まれていようが、どっちでもいいってくらい面白くてロマン溢れるエピソードだったな。自分もいちばん初めは親にもらったガット・ギターにスチール弦を張ったり、ハサミでそれ風なシェイプに切り抜いた下敷きを貼ってピックガードに見立てたり、サウンドホールにマイク式ピックアップを仕込んで「これでエレキだ!」って言い張ってみたり、と“イチからすべて自作”のエレキの神様と比べたらスケールが小さすぎるけれど、“ギターのエレキ化ごっこ”をした覚えが……。

で、まわりの同世代ギタリストに聞くと、ほとんど全員“エレキ化ごっこ”の経験があるみたいで、なんか微笑ましい。平成生まれ以降のヒトは、初めから廉価なビッグネーム・ブランドの入門者用エレキ・ギターが楽器店に行けば手に入るし「なんのこっちゃ?」だろうけど、“昭和にお子ちゃま期を過ごした者あるある”だったりするのかも。

自分の最初のエレクトリック・ギターは国産のストラト・コピー・モデル。そりゃホンモノが欲しかったけど、とても手が届かない。で、中学生にありがちな“拗(こじ)れ”を発症させ、「俺はこの先F社もG社も絶対弾かないプロになる」などと言って、まわりの友人を苦笑させていた。

そんな自分を、当時なにか買うわけでもなく、wanna beトークをするためだけに通っていた某楽器店のお兄さんの一言が変えた。

「ホンモノを知らないまま、ゲテモノ好きになってほしくないから」と言うと、中坊の冷やかし客でしかない自分に、入門機ではあるけれどF社のオールド(まだビンテージって呼び方がなかった)を貸してくれたのだ。「店頭に出す前にボクが調節した竿だけどね。ま、中古だけど、新品のコピー・モデルよりマシだと思います。一週間くらい貸すから、違いを体験してみて下さい」だって。初めてのハードケース入り米国製ギターを家に持ち帰ったものの、その晩はビビってケースも開けられなかったな。

翌日から部屋でずっと触っていた。ナマで弾いてもよく鳴っていたし、ピッチは正確だし、なによりも「俺、上手くなった?」と勘違いするほど弾きやすかった。でも、かなりの恥ずかしさと、ちょっとの悔しい思いを抱えながら、きっちり一週間後にお店に返しに行った。

「そうですか、キミに合うかと思ったんだけどね、次の1本を買う時の参考になったら、よかったです」と顔色変えず真顔のまま受け取ったT氏とは、以降細く長く、お付き合いが続く。初めての1本よりも、大事なのは、その後の2本目からだ、と気づかされた、いまみち少年でしたとさ。

下の写真は『神様、お願い!』の回でチラッと登場した、神様が某年長氏に預けていたというセミー・モズレー御手製のモズライト・テリー・カスタム2号機。これもモノホンの凄み溢れるギターだったな。レコーディングで何曲か、LIVEで一回、ちゃんと弾いたものの、これも、2、3ヵ月でちょっぴりの恥ずかしさと、かなりの悔しさと共に預かり主に戻した。

”神様用に作られた道具は畏れ多くて、弾ききれない”と感じた自分は、F社やG社の王道系モデルも所有するようになってからも、レアなモデルやメーカー、半年で消えていくような限定モデルの誘惑に弱い。中坊だった自分を知るT氏に、「キミのゲテモノ好きは昔から今まで、あいかわらずなんですねぇ」と呆れられてます。

ではまた!

いまみちともたか

Profile

いまみちともたか

いまみちともたか◎1959年生まれ。BARBEE BOYSのギタリストとして1984年にデビュー後、佐野元春や井上陽水のレコーディングに参加するなど、多方面で活躍。ほかにも、椎名純平らとのヒトサライ、自身がホストとなってゲストを迎えるスタジオ・ライブ・シリーズ=“カメを止めるな”を主催するなど、精力的に活動中。

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