センチメンタル・シティ・ロマンスがデビューした75年当時、同時代のロック・シーンはどうだった? センチメンタル・シティ・ロマンスがデビューした75年当時、同時代のロック・シーンはどうだった?

センチメンタル・シティ・ロマンスがデビューした75年当時、
同時代のロック・シーンはどうだった?

日本語ロックの始祖であるはっぴいえんどが72年に解散して以降、国内ロック・シーンは急速に成熟していく。センチメンタル・シティ・ロマンスの三部作が生まれたこの時代、後の歴史に名を残す新鋭バンドたちが次々と産声をあげていたのだった。ここでは当時のシーンを振り返っていく。

文=小川真一

 センチメンタル・シティ・ロマンスがデビューした75年を、日本のロック史の時系列の中で検証してみよう。驚くかもしれないが、はっぴいえんどが解散してから、まだ数年しか経っていない。はっぴいえんどの正式解散が72年の年末。その最後のステージとなった『CITY-Last Time Around』にセンチが出演したのが73年の9月21日なので、はっぴいえんどと入れ替わるような形で、センチがそのスタートを切ったと言ってもいいのだ。

 はっぴいえんどが日本語によるロックの基盤を作った。これには誰も異論はないはずだ。その彼らが築いた道を、はちみつぱい、小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ、シュガー・ベイブらが続いていった。はっぴいえんどの日本語ロックは、革新的であると同時に実験的でもあったのが、それをさらにロックとして自然な形にして続いていったのが、前述の一群であり、この系譜にセンチメンタル・シティ・ロマンスも入っている。ロックを借り物としてではなく、より身近なライフスタイルに則するものにしていったという点では、センチの功績はとても大きかったと思う。

 鈴木慶一のはちみつぱい、山下達郎率いるシュガー・ベイブ、そしてセンチメンタル・シティ・ロマンスと、それぞれが交流があり、ジョイントのコンサートもよく開かれた。74年の夏に、福島県郡山でワン・ステップ・フェスティバルが開催。このイベントは日本で最初の大型フェスとなり、ヨーコ・オノ&プラスチック・オノ・スーパー・バンド、クリス・クリストファーソン&リタ・クーリッジといった海外勢だけでなく、加藤和彦&サディスティック・ミカ・バンド、上田正樹&サウス・トゥ・サウス、久保田麻琴と夕焼け楽団、デイヴ平尾&ザ・ゴールデン・カップスなど多数のミュージシャンが参加した。

 その8月8日のステージでは、シュガー・ベイブ、センチメンタル・シティ・ロマンス、はちみつぱいの3チームが連続してライブをおこなった。この模様が2019年にCDで復刻されたのだが、センチメンタル・シティ・ロマンスのステージには、シュガー・ベイブの山下達郎、大貫妙子、村松邦男がコーラスで加わっている。そういえば、センチのデビュー・アルバム収録の「マイ・ウディ・カントリー」のコーラスにも、達郎がゲストで参加していた。

 センチが登場した70年代の半ば頃は、東京以外の地方が注目された時代でもあるのだ。70年代の初頭からは、関西ではブルースの大ブームが到来し、ウエストロード・ブルース・バンド、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、スターキング・デリシャス、ソー・バッド・レビュー、憂歌団などが連続してレコード・デビュー。これは、8.8ロックデイというアマチュアのコンテストが発火点になったのだが、関西弁とブルースとが妙に相性が良かったことにも機縁する。

 石川県小松市の存在を、めんたんぴんの「今日も小松の街は」で知った方も少なくないかもしれない。佐々木忠平率いるめんたんぴんも、センチと同じようにツアー用の機材車を購入し、全国各地をライブして回った。これは日本各地にライブハウスが生まれた時期とも重なっている。久保田麻琴の夕焼け楽団が「ハイサイおじさん」をカバーしたことから火がついた沖縄のロック。その主人公である喜納昌吉&チャンプルーズも、見事に本土上陸を果たす。九州ではサンハウスを中心とした、めんたいビートが持てはやされた。この一群の中からは、陣内孝則のザ・ロッカーズ、森山達也のザ・モッズ、大江慎也のザ・ルースターズなどが続いていく。

 そして名古屋といえば、もちろんセンチメンタル・シティ・ロマンスだ。単に名古屋の出身というだけでなく、「庄内慕情」、「内海ラヴ」、「ロスアンジェルス大橋Uターン」など、名古屋周辺を題材にした曲が多い。これらは郷土愛というよりも、より身近なモチーフを歌にした結果なのだと思う。「うちわもめ」の中に登場してくる“縁がにゃあ”という尾張弁も、とても自然に響いているはずだ。センチは、70年代半ばの地方の時代のロックを代表したといってもいいだろう。

 話をはっぴいえんどの系譜に戻すが、75年のデビュー・アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』のプロデュースを細野晴臣に依頼したこと、そして、83年に、そのはっぴいえんどの曲ばかりを集めたカバー・アルバム『はっぴいえんど』を発表したことも、すべて深い因縁のように感じられる。改めてセンチメンタル・シティ・ロマンスは、日本語によるロックの王道を歩み続けていったと思う。その意味でも、もっともっと評価されてもいいのだ。

上からシュガーベイブの1st『SONGS』(1975年)、はちみつぱいの1st『センチメンタル通り』(1973年)、センチとはちみつぱいのライブを収めた『1974 One Step Festival』。

『SONGS』
シュガーベイブ

『センチメンタル通り』
はちみつぱい

『1974 One Step Festival』
センチメンタル・シティ・ロマンス+はちみつぱい

ギター・マガジン2021年10月号には、本記事に加え、センチメンタル・シティ・ロマンス三部作のギター・フレーズ分析も掲載しています。

ギター・マガジン2021年10月号

●川谷絵音
●センチメンタル・シティ・ロマンス三部作物語
●『All Things Must Pass』とジョージ・ハリスンの魂の開花
●ナッグス・ギターズ トップ・ビルダーが練り上げる美しきハイエンド・ギター