Biography|フレディ・ロビンソン  歌心満点のソウルフル・ギタリストは、いかにして生まれたのか? Biography|フレディ・ロビンソン  歌心満点のソウルフル・ギタリストは、いかにして生まれたのか?

Biography|フレディ・ロビンソン 
歌心満点のソウルフル・ギタリストは、いかにして生まれたのか?

ソウルとジャズが綱引きをしているかのような、独自のスタイルが持ち味のフレディ・ロビンソン。この歌心はどこからきたのか? まずはこのソウルフル・ギタリストのバイオグラフィーから紐解いていこう。

文=久保木靖

レイ・チャールズ・バンドへの加入が、ジャズファンク道の転機に。

 “器用貧乏”という言葉はこの男のためにあるのかもしれない。

 ブルースに端を発し、やがてジャズに活路を見出し、最終的にはソウルフルな表現へ……いずれの時期も高水準な音楽を作り出していたものの、残念ながら大きな人気を得ることがなかった。いや、だからこそ、ジャズファンク・ファンの心をもくすぐってやまない独特の魅力を放っているのだ。

 フレディ・ロビンソンは1939年2月24日、テネシー州メンフィスに産声を上げ、アーカンソー州で幼年期を過ごす。地元で活動するブルースマンを数多く耳にし、10歳を迎える前にはジョー・ウィリー・ウィルキンスに触発されて自らギターを手にした。

 1956年、17歳の時にブルース全盛のシカゴへ移り、リトル・ウォルターやハウリン・ウルフといった巨人たちと交流を持つ。しかし、このままブルースに浸かっていても、(ボーカルへの苦手意識もあり)マジック・サムやオーティス・ラッシュのようにはなれないと思ったのか、ウォルターとのツアー中、譜面を見て演奏するジャズ・バンドを見て刺激を受けシカゴ音楽院にて理論面を強化したという。ウルフのバンド在籍時には、ボスから“ディジー・ガレスピーの曲は持ってくるなよ”と言われたというから面白い。とは言え、ウルフの「Spoonful」や「Wang Dang Doodle」に自らのギターを刻むなど、その足跡はしっかりと残した。

 1960年代に入ると、シカゴのマイナー・レーベルから「The Buzzard」や「Oh What A Party」といったシングルをリリース。骨太のギターが全面に出たインスト・ブルースには後年の片鱗が出ているものの、当時はさっぱり奮わず。しかし、これらのセッションを通してモンク・ヒギンズ(sax, p, arr)と出会えたことが、このあとのキャリアに多大な影響を及ぼしていく。

 まず、ヒギンズの紹介で知り合ったレイ・チャールズのバンドへの加入(1年弱在籍)とともにロサンゼルスへ移住すると、当地でヒギンズが絡んだジミー・マクラクラン(vo, p)やスリー・サウンズ、ブルー・ミッチェル(tp)らのセッションで起用される。ミッチェルとの2枚目『Blues’ Blues』(1972年)は、フレディのファンキーなフィーリングが全開した好盤だ。その2年前、リチャード・グルーブ・ホームズ(org)&アーニー・ワッツ(ts)の『Come Together』に参加したことが、フレディのジャズファンク魂に火をつけた可能性は大いにある。そのほか、ジャズ・クルセイダーズ、ジョン・メイオール(vo, g)らのセッションでも腕を奮った。

スタックス傘下で、ジャズファンク・スタイルがついに開眼。

 セッション活動と並行して、ヒギンズのプロデュース/編曲のもとリーダー・アルバムの制作も進む。1st作『The Coming Atlantis』(1969年)はストリングスとブラスを導入したニュー・ソウル的な面もあるが、フレディのギターはブルースとジャズが綱引きをしているようで、曲によってアプローチが異なっていて面白い。しかし、常に歌心を感じさせるソウルフルなテイストと自信に裏打ちされた手数の多いフレージングは聴く者の心を掴むのに充分。時にダサいくらいのイナタさも大きな魅力だ。ちなみに、イージーリスニング期のウェス・モンゴメリーにも通じる「Black Fox」はシングル・カットされ小ヒットを記録した。

 ビートルズやスライ&ザ・ファミリー・ストーンの有名曲も取り上げた2nd作『Hot Fun In The Summertime』(1970年)、自ら歌うブルース・ナンバーも揃えた3rd作『At The Drive-In』(1972年)、ファンク路線が極まった4th作『Off The Cuff』(1973年)と、続くアルバムはいずれも高水準。特にスタックスの子会社であるエンタープライズで制作された後者2枚にはジョー・サンプル(key)やウィルトン・フェルダー(b)が参加し、フレディのファンキーな側面を強化するとともに、レイ・チャールズやパーシー・メイフィールドにも通じる軽妙な歌い口をバックアップしている。もし、スタックスが倒産せずに3枚目(通算5枚目)が作られていたなら(そのために録音された未発表曲が1999年にリリースされたコンピ『Bluesology』に収録された)、ブルースのイナタさとジャズの洗練を持ち合わせた、ある意味アメリカ黒人音楽を代表するミュージシャンとしてもっと大きな注目を集めていたかもしれない。

 1970年代中期、フレディはイスラム教に改宗し、アブー・ターリブ(Abu Talib)と改名。1980年代初頭にヒギンズとともに参加したボビー・ブランド(vo)のアルバムでは旧名だったが、1994年のリーダー作『The Real Thing At Last』はアブー・ターリブ名義を使用。この2つのイベントの間、音楽シーンでフレディの名前が聞かれることはほとんどなかった。

 エリック・バードン&ウォーでの活躍でも知られたハーモニカ奏者ミッチ・カシュマーの『Nickels & Dimes』(2005年)にゲスト参加したのがラスト・レコーディング。2009年10月にカリフォルニア州ランカスターにて癌のために逝去した。

ギター・マガジン2017年3月号
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